小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

人生×リキュール クレームド巨峰紫

INDEX|4ページ/4ページ|

前のページ
 

 娘の前にグラスを置いた第一声がそれだった。何度も匂いを嗅いで興奮している娘。久しぶりに見たそんな無邪気な姿に目尻が熱くなる。いつまでも、そのままの純粋さで生きていって欲しいと願った遠い日。それが叶わず、荒波に揉まれながら、この子は独りぼっちでどれだけのものを削ぎ落としてきたのかしら。
 夕食後、居間のソファーで眠ってしまった娘の額にかかった髪の毛をそっと払ってやる。
 慣れない体にリキュールのアルコールが覿面に回ったのもあるが、最近の娘はすぐに眠ってしまうのだ。それが、まるで着実に死に向かっているように思えてしまい、気が狂いそうになるのを必死に耐える。
 娘の皮だけの頬を撫でる。かつてのふっくらと健康的な曲線を持った娘の顔は、彼女の作った食べ物によって作られていた。娘はこうなることで抗議をし続けていたのだろう。ずっと、気付かなくてごめんね・・こぼれた涙が頬にかかり、娘が嫌そうに少し顔をしかめたので慌てて立ち上がって片付けをしに台所に撤退した。
 そう、悲観に暮れている暇はない。洗い物を終わらせると、娘を起こして寝支度を整えさせてから部屋へと送る。規則正しい生活リズムは回復への第一歩だ。アルコール度数が低いとはいえ、お酒を飲んでしまったので、用心して入浴はせずにシャワーをさっと浴びる。もう高齢に足をつっこむような歳なのだ。無理は禁物。飲酒してお風呂で亡くなったなんて、この歳になれば珍しいことではない。万が一にもそんなことになったら、あの子はいったいどうなるの? 想像するのも恐ろしい。自分はまだまだ頑張らなければいけないのだ。
 意気込みも新たに寝室に上がり布団を敷いていると、娘が入ってきた。
「一緒に、寝ちゃダメ?」遠慮がちに聞いてきた。
「ダメな理由なんてないわよ。早く入りなさい」そうして入ってきた娘の冷たくなった手足を擦る。くすぐったいのか笑い声を上げて身をよじる娘。それを抱きしめた。久しぶりに腕に抱いた娘は骨張って細く、今にもポッキリと折れてしまいそうだ。鼻の奥が痛くなった。
「・・おかあさんの、手」不意に娘が母の手を握り、目の前にもってきた。
「ふふ。もう滲みだらけのシワシワよ。おばあちゃんの手ね」途端に娘の元気がなくなった。
 母親の腕の中深くに顔を潜らせて、黙り込んだ。暫くするとくぐもった声で話し始めた。
「・・おかあさん、あのね」耳を澄ませていないと聞き逃してしまいそうなほど、喘ぐような小さな声だ。
「あたし・・会社落ちこぼれ ちゃってね」うんうんと大きく頷く母。
「それが 原因で、失恋 した の・・」最後は涙声だった。娘は堰を切ったように泣き出した。
 ああ、やっぱりそうなのだ。なんとなくそんな気配はしていたが、聞いて逆に傷つけることになってしまったらと敢えて沈黙を守ってきた。でもこんなことなら、もっと早くに聞いてあげればよかったわ。戦慄く娘の背中を肩を、よしよしと擦り続けながら後悔が胸を染めていた。
「・・おか あ さ あ、あたし も ダ メか なあ こ、こん なで よ よんじゅ になっちゃ」
「大丈夫よ。大丈夫。どうにかなるから。やり直せるから、大丈夫よ」
 そうだ。生きてさえいれば人生は何度でもやり直せる。生きてさえいれば、どうにかなる。だから、大丈夫。それしか言えなかった。そうするしかないと思ったから。どうにかしていくしかないのだ。誰も助けてなんてくれない。これは、娘と自分の試練なのだ。だけど、きっとまだ間に合う。今からならまだ、どうにかなる。娘の独白を聞きながら希望を見出した。間違ってない。この子は大丈夫。生きていける。だから、大丈夫を繰り返した。けれど、娘の泣き声は止むどころか増々大きくなっていく。
「・・ごめ な さい ! おかあ さ ん ご めん な さ !」娘がしがみついてきた。
「いいのよ、いいの。大丈夫だから」大丈夫だから。それを何度も繰り返した。娘を落ち着かせるために、自分に言い聞かせるように。気付くと娘を落ち着かせるために子守唄を口ずさんでいた。赤ん坊の頃から寝かしつける時に歌っていた「椰子の実」。
「名も知らぬ 遠き島より 流れよる椰子の実一つ 故郷の岸を 離れて 汝はそも 波に幾月ー」
 しばらくすると娘はぴーぴーと寝息を立て始めた。その顔をそっと拭う齢八十五の母は、まだ死ねないわと唇を噛み締める。
「一緒に、やり直しましょうね」縮こまっている娘の両手を包み込む。
 なんとしても、なんとかやっていくしかないのだ。この子と二人で生ききってみせるわ。
 そんな二人を夫の写真がそっと見守っていた。


  ※クレームド巨峰紫
 日本が誇るブランド、サントリーが生んだ国産巨峰を贅沢に使ったリキュールである。高級ブドウが原料となっているだけあり、まるで濃厚なブドウジュースのような香り高く芳醇な味わいが特徴的だ。拘りのラベルには、源氏物語画帖から若紫のかな文字が書かれた和紙と、落款のモチーフが組合わさった和の趣きが詰め込まれている。
 非常にカクテルにしやすいリキュールであり、シンプルに巨峰を味わえるソーダやトニック、レモンスカッシュ、シャンパンなどの炭酸と割ってもよし、オレンジやグレープフルーツ、パイン、クランベリーなどのフルーツジュースと合わせてもいい万能さ。日本人に好まれる味を追及した究極の葡萄リキュールと言えるだろう。