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人生×リキュール カルーア

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 彼女の顔が、幸せの絶頂の笑顔から虚ろな真顔に切り替わり、ガラス玉のような無機質な目でおれを見つめる。
「あなたから、そんな言葉聞きたくなかった」
「・・ごめん」
 おれは、バイバイと言い残して店を出ていく彼女の後ろ姿を、見送ることもできなかった。
 彼女は年を明けるのを待たずに渡米したらしい。
 それからの彼女の足取りは、海外メディアやネットの情報から容易に追うことができた。
 彼女をスカウトした振り付け師は世界的にも有名な人物だったようで、彼女は鮮烈なデビューを飾ることになる。世界中が注目する若手の監督がプロデュースする映像とダンスが一体になった巨大なプロジェクトにダンサーとして抜擢された彼女の存在は瞬く間に世界中に知れ渡ることになったのだ。それを皮切りに様々なビッグイベントや舞台に出演。破竹の勢いは止まらないままに二十年余りが過ぎたのだった。
 おれはというと、日雇いのイベント系の仕事を辞めて、スクール時代の友人が立ち上げた、イベントや撮影などにダンサーを派遣する仕事を手伝うようになっていた。得意先が増え、会社も軌道に乗り始めて余裕が出てきたので、若手ダンサーを育てるスクールを開校する計画が最近浮上していた。
「おまえ、校長な」と、友人から丸投げ同然で任命された。要は、友人のアイデアに頼った楽な立ち位置で傍観してねぇで、てめぇも頭絞って努力しろということらしい。
 そんな折、彼女が主演する映画が日本でも公開されることを知った。
 彼女は、初日の舞台挨拶のために来日する。
 結局、最後まで彼女に対して中途半端な押し付けの希望や想いを抱いていた自分がみっともなくて、彼女に連絡を取れずにいた。それでも、彼女の発信する情報やインスタなどはこまめにチェックし、彼女絡みのイベントや映像が閲覧可能であれば何度でも見た。これ、一般人にやってたらストーカー行為なんだろうなと思いつつ、あくまでファンとしての応援だからと言い聞かす。あの日の言葉は忘れよう。おれだって彼女を自分の所有物にできるなんて始めっから思ってなかった。彼女は誰か1人の所有物になるには壮大過ぎる。だけど、元気な彼女を一目見たい。久しぶりに会いたいと思ったおれは、血眼になって初日のチケットを探し始めた。
 舞台に現れた彼女は、すっかり大人の女性に変貌していた。
 おれがよく知っているあどけない少女ではない。体の線が出るタイトな服装はそのままに、中身だけが成熟した美しい女性になっている。わかってはいたが、事実を目の当たりにしたおれは少なからず戸惑った。英語の比喩を散りばめた言葉を発する声もしっかりしている。彼女は成長したのだ。舞台上での監督との会話内容から彼女がバツ三になったことを知った。彼女の元夫は、この映画にも携わった名のある演出家。七十代の旦那ということで年の差婚だと騒がれた。おいおい、四十路にもなってまだそんなことをやっているのかよと自然と苦笑いが漏れる。見た目は変わっても、相変わらずだなぁとどこか安心している自分がいた。
 その晩、おれが送った花束に仕込んだカードに気付いた彼女がクラブに現れた。
「また、愛想尽かされたみたい」
 お馴染みもカルーアミルク片手に上品な笑みを浮かべる成熟しきった彼女。そこに離婚したことへの後悔や悲観は一切ない。聞けば、向こうは結婚だの離婚だのは日常茶飯事で大体そんなものらしい。
「結婚も炭酸の泡みたいなもんだった。恋と同じね」
「むーそんなもんかぁ」
「これ、Aretha Franklin」彼女が顎をしゃくる。店内にかかる音楽のことを指しているらしい。
「好きなの?」というか知ってるんだと目を向くおれに笑いかけながら、ふふんと鼻を鳴らす彼女。
「カッコいい声と歌だもん」彼女もきちんと歳を重ねたのかと感慨深い。
「ねぇ、なんでカルーアミルクなのか、教えてあげよっか」と、グラスを持ち上げて話題を変える彼女。
「夜の公園に、おじぃちゃんがね、いたの」タイミングよく「Do Right Woman, Do Right Man」に曲が変わる。
 それは、彼女がまだ十代の頃。
 踊る楽しさに目覚めた彼女は、両親にダンススクールに行きたいと持ちかけたらしい。けれど、猛反対された挙げ句、低級なことを覚えてくるからという理由でそれまで通っていた共学から名門女子校へと強制的に転校させられたのだった。それでも、彼女のダンス熱は冷めなかった。
 同じダンスでもバレエは教室に通うことを許されたので、稽古の時間を親に内緒で早目に設定し、帰宅までの時間は公園に行って連絡を取り合っていたダンス友達に教えてもらった練習に打ち込んだ。バレエで鍛えられるバランスと体幹は、全てのダンスに共通した基本だ。どんどん上達していくのが実感できて楽しくて仕方なかったと、彼女は当時を振り返る。そのうちに、夜こっそりと抜け出して公園で踊ったりもしていたようだ。それが家族にバレて軟禁されたりもしたらしい。老人と出会ったのはそんな頃だった。
 イヤホンから流れる音楽が途切れたタイミングで、乾いた拍手が聞こえた。
「上手だねービックリしちゃったよ」
 感動を言葉にしようとして車イスから身を乗り出す勢いの老人。両頬に手をあてて、すごいを連発している。
 そんなに感情が昂ってくれるなんてと嬉しくなった彼女は、見ててと言うと、もう一曲踊り出した。
 老人は食い入るように踊る彼女を見つめ、そして終わると拍手をして、車イスの後ろからなにかを取り出した。
「美しいものを見せてくれたお礼だ」
「受け取れない。だって美しいとか、買い被り過ぎだし。あたし、素人なんだよ」
「美しいことに理由は要らない。お嬢ちゃんの踊りは素晴らしい。さぁ受け取っておくれ」
「でも・・」躊躇する彼女の手に老人は一本の瓶を押し付けたそうだ。
「人生を自由に羽ばたいていく一本を!」
 老人が高らかに叫んだのと強い風が吹いたのが同時だったらしい。巻き上がった砂が目に入った彼女が再び瞼を開いた頃には老人の姿はなかったのだという。幻かとも思ったが、手元に残った黒っぽい瓶がさっきまで老人がいたことを証明していた。黒いボディに外国の街並が描かれた黄色いラベルが鮮やかな瓶は酒だった。
「それが、カルーア」
 彼女が話し終わるのと同時に計ったようにしてまた曲が変わった。「Respect」だ。我慢しきれなくなった彼女が立ち上がる。
「で、家出したんだ」
「そう。人生に羽ばたいたってわけ」
 自由にねとおれが付け加えると、これからもねと彼女は満足そうに笑って曲に合わせて踊り始めた。
 どうやら、彼女の勢いは当分失速しそうにない。


  ※カルーア
 コーヒーリキュールの代表格。メキシコ高原地方で採れるアラビカ種が原料になったカルーアは、アメリカン・コーヒーとエスプレッソの中間といったバランスの取れた味わいを楽しめるリキュールである。全体的なコーヒーの爽やかさに加えてバニラ香や糖蜜の甘い味わいが人気の秘密ともいえるだろう。そんなカルーアのの誕生は謎に包まれている。1930年代にはすでにメキシコで作られていたようだが、いつ、どこで、誰が作り出したのかは不明なのだ。ラベルにその謎を解く鍵が隠されているとも言われている。