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人生×リキュール コアントロー

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葉桜から降り注いでくる新緑色の日差しが眩しかった。
 総合病院前のコンビニから一歩踏み出した彼女が目を細めて額に手をやると、道路から立ちのぼる逃げ水に揺らいで近付いてくるバスの姿が見えた。
 土曜日の午後。バスを待つ人影は疎らだ。
 コンビニで買い物をすることに体力を使い切ってしまった彼女は、ふらつく足取りでバス停に近付く。
 急激な暑さにやられたわけではない。
 彼女に気付かれぬように忍び足で背後まで迫っていた体の限界が、彼女の精神的な打撃を合図に真横にピタリと寄り添ってしまっただけだ。
 早く帰りたいわ・・・
 一足毎に脇の下を冷や汗が伝っていく。
 初夏の太陽光を一手に集められて発熱できそうな漆黒のツイードコートから覗くバーバリーチェックのウールスカートが、黒のタイツとローヒールパンプスを履いた足に絡み付いてくるようだ。季節感を完全に無視した恰好なのにも関わらず、彼女は寒気に襲われていた。
 億劫そうな動作でやっとこバスに乗り込んだ彼女は、一番後ろの窓際の座席を陣取ると、深い息をついた。
 欠伸をするような調子で動き出したバスの振動に身を委ねながら時々顔を顰める。
 そのまま信号を二つほど過ぎた頃、お預けが解除された犬のように素早い動作で膝に置いたバッグを探ったかと思うと、先程コンビニで購入した缶チューハイを取り出して震える指でプルタブを起こした。
 よく冷えたチューハイは、彼女の食道を新幹線さながらに通過すると火照った胃になだれ込んでいく。
 混乱を極めた脳に一刻も早く麻痺成分の混入されたひんやりとした血液を回して落ち着かせなければ。一気に呷った彼女は、空き缶を足下に置くと次の缶を取り出す。
 彼女が二本目のプルタブを起こすと、隣に座っていた引っ詰め髪の女が眉間に皺を寄せて前の席に移動した。眺めの前髪をセンター分けにし、ヘナで着色された髪色をした未婚の五十代くらい。厄介な年頃の女ねと彼女は一瞥する。でもま、あたしからしたら神経質な子どもみたいなもんね。と悠々と缶チューハイに口をつける。
 彼女は、目を引く恰好をしていることに加えて真っ昼間からの公共の乗り物内での飲酒。常識的な色の薄着に身を包んだ乗客の中では悪目立ちしてしまうのは当然だった。
 運転手もバックミラー越しに彼女を睥睨していたが、彼女は知ったこっちゃないと厚顔無恥を改めない。
 二缶目が半分ほどになるとようやく、いくらか冷静を取り戻せたような気がした。
 窓の外を、午後の光が散りばめられた平凡な街並が白飛びしながら後ろに流れていく。
 世の中は、相変わらず平和なのね・・・
 乾いてひび割れた唇に冷たい缶の縁を押しつけた彼女は目を細めた。
 つい数時間前までは在り来りだった見飽きた街の景色が、今は希望に満ち溢れた美しい世界のように彼女の目には映っていた。新しい自分に心躍らせながらパーマをかけている時間のように可能性に満ちた世界。
 あたしは・・・その世界から切り離されようとしているらしい。
 自分の体が透けていくような恐怖の波に飲まれそうになった彼女は振り切るようにチューハイの残りを呷る。
 その時、鞄の中に入れたスマホが、雑な音で天国と地獄を奏で始めた。メールだ。
「お疲れさま。診察終わった?」
 同棲している彼氏からだ。どうやら店は暇らしい。
「いま帰りです」痙攣が続く指でなんとか文面を打つ。
「時間かかったね。検査とかしたの?」
「いろいろと」
「わかった。帰ったら聞かせて」
 アルコールが回り始めた五臓六腑が急激に重くなる。頼りのチューハイは二本で終わりだ。やっぱり三本買えば良かったかと後悔が滲む。体の震えが止まらない。暑いのに寒い。
 コートをかき寄せて縮こまった彼女は、終点までキツく目を閉じたままだった。

 
 若い頃から美容師一本で生きてきた彼女。勤めていた都内の美容室が閉店してしまい、当時後輩だった彼氏と共同経営という形で六本木に店を立ち上げたのが四十代だった。当時はなにもなかった六本木で、なんとか店を軌道に乗せるために奮闘して数十年。芸能人や財界人御用達として注目を浴びることになり、彼女が喜寿を過ぎたあたりから、彼女が手がけた髪型がヒットして高齢カリスマ美容師としてテレビやメディアで突然引っ張りだこになったのだ。
 世の中、なにがバズるかはわかったもんじゃないと同居人と笑って肩を竦めながらも、一世一代のビッグウェーブを逃さず乗りこなし、店も姉妹店を出すほどに成長させた。
 そして迎えた八十の誕生日。百まで現役で頑張る気迫をアピールしてワインを流し込んだ。が、翌日、血の塊のようなおどろおどろしい血便が出た。
 最初は、疲れだと思った。
 連日の激務で積み重なった疲労が原因で体調が良くないのだと。いくら食べても頬が痩けて貧血気味なのも、腹痛が続き排便が細くなり便秘薬を常飲せざる負えなかったのも。2、3日休めば元気になると楽観していた。
 更に元々、疲れで尿にタンパクが出やすい質である上、膀胱炎も何度か患い、切れ痔と疣痔を持っていたので血便はしょっちゅうだったのだ。
 その度に大騒ぎする彼氏に連行されて医者にかかったことは数知れず、結局は痔で納まっていた。なので、今回血便が続いた時にも悪化した痔のことを考え、そろそろお尻の手術をしなければいけないかなぁと過った程度。現実にはスケジュールが込み入っていてそれどころではなかったのだ。
 例の如く痺れを切らした同居人が総合病院で勝手に予約を取った。それを何度もキャンセルして、やっとかかったのが今日だった。
「どうして、もっと早く来なかったんですか?」
 検査後、開口一番に医者から投げつけられた言葉だった。三十代後半だろうか、ところどころ癖っ毛なのかあらぬ方向に跳ねて少しくたびれたマリモのような雰囲気がベテランの域を思わせる男性の医者は、仕事が忙しくてということが言い訳にならなさそうな気がした彼女がモゴモゴと答えに窮していると、容赦ない二言目を発した。
「いわゆるステージIVと呼ばれる段階です」
「それって、どういう・・・」と首を傾げる彼女を敢えて見ないようにしているのか、ひたすらCT写真を睨む医者は「もう、手の施しようが、ありません」と切って捨てた。
 切り捨てられる髪の毛はきっとこんな気持ちなんだわと彼女は悟った。脳内がフリーズしてなにも考えられない。目の前で繰り広げられている深刻な顔をした医者が写真を指しながら説明している様子が急にぐんと遠ざかってテレビを視聴しているような非現実な心地になった。気を引き締めて理解しようと努めはするが全く入ってこない。医師の丁寧な説明を必死に聞いている振りをしながら、彼女はまったく違うことを考察し始めていた。
 医師の頭頂で立った何本かの剛毛がエアコンの風になびいている。そのうちの何本かは白髪でかつキューティクルが痛んでいるのが見て取れた。この人も多忙なのだと知れる。毛量が多いようだからツーブロックにでもすれば落ち着いて白髪も目立たなくなるのにと、残念そうな眼差しで未だこちらを向かない医師を眺めた。
 早く、終わらないかしら・・・

「おっきい切れ痔だって」