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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Loot

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― 現在 ―

 変化は、常に相手の方からやってくる。今でこそ『正しい変化』は歓迎しているが、昔は違った。例えば、どう頑張っても逆らえない相手が昨日と違うことを突然言い出したり、売り上げをごまかしながら昨日までニコニコ笑っていた事務員の女が、宝物のようにしていた髪留めを突然つけなくなったり。つく側を間違えても、そのことを指摘してくれる人間は周りにいなかった。そういう世界に生きていたと言えば、それまでだが。寺司は、包丁を持つ手に迷いが出ていることに気づいて、柄を握り直した。カウンターを挟んで向かいに座る西崎が、言った。
「まーた難しいこと、考えてるんでしょ」
「まあ。人によっては、簡単なことなのかもしれませんが」
 会話のキャッチボールが静かに終わり、寺司は焼豚をスライスして小皿に盛り付け、錬り辛子を右側に添えた。いつもなら左側にするが、西崎は左利きだ。金平糖のようにデコボコの頭に、頬には何かで抉られたような傷。本人は、『わざとキツイ方を選んで生きてきた』と言って笑うが、単なる強がりだということを表情が証明している。銅線を盗んだり、寸借詐欺を無い頭で考えたりして、軽犯罪を真面目にコツコツこなしてきた男。寺司も『強がり』の部分は共感できるから、西崎の前では同じように強がる。ただ、笑いはしない。それは、自分の過去が笑い話で済むようなことじゃないという自覚があるから。
 焼豚のスライスを出すと、西崎は右手でぐるりと皿の周りを囲った。寺司は追い打ちをかけないよう、視線を逸らせた。店の中だ。客に出された料理を取る人間はいないし、そもそも深夜一時だから客は他にいない。それでも西崎の体には、まず自分の食べ物を体で隠さないと次に進めないということが刻み込まれているのだろう。おそらくきっかけになった出来事はどこかにあって、それは兄弟かもしれないし、もしかしたら悪仲間かもしれない。どこでやられたのかすら思い出せない内に、習慣になった。
「年を取ると変化を恐れると言いますけど、逆だったなと」
 寺司が言うと、左手で不器用に箸を持つ西崎は、太い首を軋ませるようにうなずいた。
「変化にゃあ、逆らえませんからねえ」
 寺司はうなずいた。西崎は頭がいいのだと思う。今のようなデコボコ男にならなければ、何かを研究して賞でも取っていたのではないかと思えるぐらいに。
「見落としたら、最悪命取りです」
 寺司が言うと、西崎は右腕の先でだらりと開いた拳を柔らかく閉じた。思い当たる節が百個はあって、その度に殴られてきたのだろう。
「でも、てらっさん、四十まで生きた。それは立派です。自分は四十まであと五年っすけど、正直どーなんのか」
 テラシという名前も、西崎が発音するとやや角が取れる。滑舌はとにかく悪くて、最初に自己紹介したとき、下の名前は聞き取れなかった。今でも分からないままだが、距離感はちょうどいい。今思い返せば、発音は限りなく『アータ』だったが、舌を通るときになまったのだろう。西崎アータなんて名前は、中々ない。
「まあ、逃げる方法ばかり考えてたんでね」
 寺司はそう言って、小さく息をついた。何度、この話を繰り返しただろう。看板も出していない小さな店で、おおよそ三年。閉店間際になるとふらりとやってくる西崎は、閉店をスムーズに進めるための用心棒代わりだった。どんな性質の悪い客でも、カウンターにもたれかかるように猫背で座る西崎に睨まれたら最後、たちまち大人しくなる。特にこの近所は平和で、目で抑え込む以上の力を要求されることはない。そうやって誰もいなくなったら、閉店時間を通り越しつつ懺悔の会が始まる。そのときは、こちらも酒をコップに注ぐ。西崎の『同じ話』が少しでも新鮮に聞こえるようにするためというのもあるが、おれの昔話の再放送も、酒の力を借りた方がうまく流れやすくなる。もちろん、相当にモザイクをかけているが。
「最近、青橋の近くに仕事で寄ったんです。色々と思い出しちゃいましたね」
 西崎が言った。出身地が近いから、ただでさえ共通の話題が多い。『青橋』というのは正式名称ではなく、ただ鮮やかな青色に塗られているからそう呼ばれているだけで、まさに県境を結んでいる。寺司は二十年近く前の青橋を頭に思い浮かべながら、呟いた。
「二十秒」
「速い車でベタ踏みでも、結構ギリっすよね」
 寺司はコップに注いだ焼酎をひと口飲んで、うなずいた。県境をまたいで反対側の市街地に入れば、大きく下っている地形も手伝って、どの方向へ走り去ったのか分からなくなる。
「バカでしたね」
 寺司は自分自身にそう言って、顔をしかめた。
 寺司達也、元車屋。十八歳から二十三歳までの間は、雇われ整備工。二十五のときに自分の店を持ち、そこから三年間経営。二十八歳のときに廃業して飲食に転向し、十二年になる。車屋を辞めたのはちょうど家族を持った辺りで、息子の誕生が転機になった。西崎とは、家庭の話はあまりしない。代わりに、転機を迎えるまでにどんな仕事をやってきたかということを、再放送のように何度も語り合ってきた。今日のこれも、何度目か分からない。オフレコの中の、オフレコ。美幸と直人には聞かせられない内容だし、西崎のような人間が客として訪れているということも、できたら知られたくない。
「家族とか増えたりして、余計に金かかって抜けらんねーって人も、いますよね」
 西崎がそう言って、焼豚を食べ終えた。寺司は苦い顔のまま小さくうなずいた。
「いますね。でもそれは、言い訳なんですよ。本当のところは、楽しいからやるんだと思いますよ」
 音松と加山。どこかに懐かしさを残す、忌まわしい名前。昔からの腐れ縁で、何もする気が起きないまま大人になった三人組だったが、強盗で生計を立てることを思いついたのは、音松だった。成人式の後、偽造ナンバーのクラウンアスリートでパトカーを振り切ったときに、音松は後部座席から身を乗り出して、こう言った。
『テラ、お前の運転はやっぱ違うよ。こういう速い車使ったら、うまくいくんじゃねえ?』
 あのとき、誇らしいと思ったことを今でも覚えている。そして、そこからの数年間が、今自分を縛り付けるための鎖となっているということも。寺司の顔に張り付いた苦い表情を見ながら、西崎は同じ表情を真似るようにしながら言った。
「本当に、足を洗えてよかったじゃないすか」
 寺司はうなずいた。あの二人と縁切りしたのは、人生で成し遂げた最高の選択だった。
 それから一時間ほどいつもの『再放送』をした後、西崎がビールを飲み干して会計を済ませ、千鳥足で扉をがらりと開くときに、振り返った。
「たこ焼き屋さんの話って、今までしたことなかったすね。じゃあ、また」
作品名:Loot 作家名:オオサカタロウ