ルッキズム天国
聖書を閉じて、視線を窓に向ける。
昼間だが、陽は差し込まない。見える木々に、北風に揺れる葉も舞う葉も無い。
余命一か月を宣告され、既に半月。
病院のこの個室で、年老いたロッド氏は、自分の命が終わるのを安らかな気持ちで待っていた。
誠実に生きてきた。顔もよくはない。腕力も強くはない。しかし、実直に生きてきた……という自負。
(主は、私を、天国に迎え入れて下さるのではないか)
それは、慢心かもしれなかった。
もちろん、ロッド氏自身も、完璧だとはこれっぽっちも思っていなかった。
ただ、やるだけのことはやってきたという、一定の満足感はあった。
残っていた懸案も信頼できる子供たちや友人たちに引き継いでもらうことができ、そこにも不安は無かった。
(あとはもう、この身を主のご判断に委ねるだけだ……)
……ロッド氏は聖書を置くと、古ぼけたリモコンを手に取った。
テレビで、古いドラマの再放送が始まる時間である。
青年とその恋人が、運命に翻弄されながらも、最終的には信仰と真実と正義によって報われるという、ロッド氏が大好きな物語。
……しかしテレビは、それを流そうとしなかった。
ロッド氏は流れるテロップを追って、目を疑った。
「な……何ですかこれは!」
緊急速報……天国でクーデターが発生し、神が既に脱出した……。
レポーターが声を張り上げている。
「……天国のあちこちから、ものすごい火の手が上がっています! ご覧下さい、インスタグラファエルに率いられた天使たちが、神殿を襲撃しています!」
そして映されている天使たちの姿と言ったら、黒、紫、黄色等等、色とりどりの羽根。赤、緑、青等等、こちらも色とりどりの髪。スーツの者もいれば、カジュアルな衣装の者もいる。
そして全員が片手にスマートフォンを握っており、少なからずが撮影をしている。
レポーターにマイクを向けられた天使が、高いテンションをもって語った。
「もう誰も真実にも正義にも興味無いよね!? これからはルッキズム! いや、本当はずっと前からそうだったんだよ! ビューティー万歳!」
隣にいた天使がマイクを奪った。
「ダッセえ因習くたばれッ! インスタグラファエル様ぁ~ッ! みぃ~んな、あなたについていきマァ~ッス!」
更に隣にいた天使がマイクを奪い、笑いながら叫んだ。
「イケてる美男子と美人以外は地獄へ落ちろ! 老いて醜いジジババは漏れなく地獄な! ギャハッ!」
……ロッド氏は震えていた。
不安に、怒りに震えていた。
「何ですかこれは? 何ですかこれは?」
そして声を張り上げた。
「し……死んだらおしまいだ!」
ロッド氏は病床から飛び起きると、腕立て伏せを開始した。
* *
木々が若葉を茂らせ、風がそよそよと吹く。
社会では、若者の自殺が激増していた。天国に行って永遠にパーティーライフを楽しもう、という雰囲気が、一定の広まりを見せていた。死に方が「映える」と天国でのカーストが上がるという噂まで広まり、しゃれた死に方を競う状況にすら至っていた。
しかし、一方では、絶対に死にたがらない者もいた。
林道を、余命半月だったはずのロッド氏が走っていた。死に損ないとは思われない、キレのある走りを見せていた。
医師はロッド氏が動き回り始めたことに驚き、また、安静にしないことに怒りもしたが、死にたくない一心のロッド氏が動き回りながら宣告の期限を超えると、もはや「匙を投げ」ていた。
「はあ、はあ……にっこり、にっこり」
走りながら、ロッド氏は作り笑顔をした。はたから見ると不審者だが、作り笑顔でもすれば健康にいいと聞き、生真面目に実践していたのである。
そして祈った。
「ああ主よ、主よ、どうか早く復権なさって下さい……にっこり」
と、その時だった。
「ぐふうっ……く、苦しい」
ロッド氏はよろよろとした後、ぱたっと倒れた。
「うあああっ……」
頑張っても、しょせんは悪あがきに過ぎなかったのか。激しい胸痛が、ロッド氏を襲っていた。
「い、嫌だ死にたくない……誰か、誰か……にっこり」
林道を見やるが、誰もやってくる様子が無い。
十秒経っても三十秒経っても誰も来ないまま、ロッド氏は身もだえた。
一分経っても三分経っても誰も来ないまま、ロッド氏の意識は遠のいていった。
「俺が来てやったぜ」
上から響くその声を、ロッド氏はやけにはっきりと聞いた。
と同時に、ロッド氏は、自分の体がふわっと軽くなったのを感じた。
今やロッド氏は、その声の主の姿を立って見ていた。立って見上げていた。
「そ、そんな……にっこり」
ロッド氏を見下ろす髑髏。握り締めた大きな鎌。
「混乱してるのか?」
ロッド氏は見回して、足元にロッド氏の体が横たわっているのを目にした。
「さあ、行こうか……地獄へ」
死神が顔を近づけてきてささやいたが、その威圧感は強烈だった。
三メートルはあろう体が折られて、恐ろしい髑髏が頭上間近に来ている。
「俺が怖いか? 怖いだろ?」
死神は笑った。
「俺迫力すごいだろ!? あ~、骨延長手術してホントよかった」
ロッド氏は、やぶれかぶれな気持ちになって言った。
「呆れました! ええ呆れましたとも! 地獄までそんな感じになっているのですか」
「じゃっかぁし~わジジイ!」
死神が再び顔を近づけてきて、怒鳴った。
「これがトレンドってモンよ! 今は死神もみ~んなこう! 高身長と小顔! 分~かるぅ!?」
死神は背筋を伸ばして笑った。
「俺はこの先四メートル、二十頭身を目指してるぜ」
「コ、コンプレックス地獄……!」
ロッド氏の言葉になど耳を貸さず、死神は続けた。
「人間どもも将来には、この域に追い付けるかもな! さ、ともかく行こうか」
おもむろに、ロッド氏は泣き出した
「嫌だ、嫌だ、どうして真面目に生きてきた私がこんなに目に……うお~ん」
「オイオイ、困ったやつだな……」
「うおお~ん」
突っ伏して泣くロッド氏を見て、死神はつぶやいた。
「ちっと可哀想だけど、泣いてもしょうが無いじゃんよ……」
と、その時だった。
「そこまででちゅッ! 天使パァ~ンチッ!」
「ぎゃあッ!」
ロッド氏が顔を上げると、髑髏は既に飛び去り、骨格が崩れ始めるところだった。
「美への嫉妬の、醜さよ……」
転がった髑髏のうめき声を聞きながら、ロッド氏は確かに見た。
伝統的な、純白の翼。普通の、ナチュラルな金髪と白い肌。
「助けに来たでちゅ! ロッドしゃん、あなたは天国でちゅ!」
「おお……!?」
「安心してくだちゃい。ルッキズム神は、ボクたちの軍勢が打倒しまちたでちゅ!」
「おおおっ!」
ロッド氏の涙は、悲嘆から感激のそれに変わった。
「よかった、よかった……本当に、本当にありがとうございます」
年甲斐も無く、子供のようにわんわんと泣いた。
「よかった……私の生涯が報われて、本当によかった」
そんなロッド氏が落ち着いたのを見はからって、天使は告げた。
「さあ、天国へ行くでちゅ」
「あのう……ところで、それでよかったんでしたっけ」
ロッド氏は、少し怪訝そうな表情で尋ねた。
昼間だが、陽は差し込まない。見える木々に、北風に揺れる葉も舞う葉も無い。
余命一か月を宣告され、既に半月。
病院のこの個室で、年老いたロッド氏は、自分の命が終わるのを安らかな気持ちで待っていた。
誠実に生きてきた。顔もよくはない。腕力も強くはない。しかし、実直に生きてきた……という自負。
(主は、私を、天国に迎え入れて下さるのではないか)
それは、慢心かもしれなかった。
もちろん、ロッド氏自身も、完璧だとはこれっぽっちも思っていなかった。
ただ、やるだけのことはやってきたという、一定の満足感はあった。
残っていた懸案も信頼できる子供たちや友人たちに引き継いでもらうことができ、そこにも不安は無かった。
(あとはもう、この身を主のご判断に委ねるだけだ……)
……ロッド氏は聖書を置くと、古ぼけたリモコンを手に取った。
テレビで、古いドラマの再放送が始まる時間である。
青年とその恋人が、運命に翻弄されながらも、最終的には信仰と真実と正義によって報われるという、ロッド氏が大好きな物語。
……しかしテレビは、それを流そうとしなかった。
ロッド氏は流れるテロップを追って、目を疑った。
「な……何ですかこれは!」
緊急速報……天国でクーデターが発生し、神が既に脱出した……。
レポーターが声を張り上げている。
「……天国のあちこちから、ものすごい火の手が上がっています! ご覧下さい、インスタグラファエルに率いられた天使たちが、神殿を襲撃しています!」
そして映されている天使たちの姿と言ったら、黒、紫、黄色等等、色とりどりの羽根。赤、緑、青等等、こちらも色とりどりの髪。スーツの者もいれば、カジュアルな衣装の者もいる。
そして全員が片手にスマートフォンを握っており、少なからずが撮影をしている。
レポーターにマイクを向けられた天使が、高いテンションをもって語った。
「もう誰も真実にも正義にも興味無いよね!? これからはルッキズム! いや、本当はずっと前からそうだったんだよ! ビューティー万歳!」
隣にいた天使がマイクを奪った。
「ダッセえ因習くたばれッ! インスタグラファエル様ぁ~ッ! みぃ~んな、あなたについていきマァ~ッス!」
更に隣にいた天使がマイクを奪い、笑いながら叫んだ。
「イケてる美男子と美人以外は地獄へ落ちろ! 老いて醜いジジババは漏れなく地獄な! ギャハッ!」
……ロッド氏は震えていた。
不安に、怒りに震えていた。
「何ですかこれは? 何ですかこれは?」
そして声を張り上げた。
「し……死んだらおしまいだ!」
ロッド氏は病床から飛び起きると、腕立て伏せを開始した。
* *
木々が若葉を茂らせ、風がそよそよと吹く。
社会では、若者の自殺が激増していた。天国に行って永遠にパーティーライフを楽しもう、という雰囲気が、一定の広まりを見せていた。死に方が「映える」と天国でのカーストが上がるという噂まで広まり、しゃれた死に方を競う状況にすら至っていた。
しかし、一方では、絶対に死にたがらない者もいた。
林道を、余命半月だったはずのロッド氏が走っていた。死に損ないとは思われない、キレのある走りを見せていた。
医師はロッド氏が動き回り始めたことに驚き、また、安静にしないことに怒りもしたが、死にたくない一心のロッド氏が動き回りながら宣告の期限を超えると、もはや「匙を投げ」ていた。
「はあ、はあ……にっこり、にっこり」
走りながら、ロッド氏は作り笑顔をした。はたから見ると不審者だが、作り笑顔でもすれば健康にいいと聞き、生真面目に実践していたのである。
そして祈った。
「ああ主よ、主よ、どうか早く復権なさって下さい……にっこり」
と、その時だった。
「ぐふうっ……く、苦しい」
ロッド氏はよろよろとした後、ぱたっと倒れた。
「うあああっ……」
頑張っても、しょせんは悪あがきに過ぎなかったのか。激しい胸痛が、ロッド氏を襲っていた。
「い、嫌だ死にたくない……誰か、誰か……にっこり」
林道を見やるが、誰もやってくる様子が無い。
十秒経っても三十秒経っても誰も来ないまま、ロッド氏は身もだえた。
一分経っても三分経っても誰も来ないまま、ロッド氏の意識は遠のいていった。
「俺が来てやったぜ」
上から響くその声を、ロッド氏はやけにはっきりと聞いた。
と同時に、ロッド氏は、自分の体がふわっと軽くなったのを感じた。
今やロッド氏は、その声の主の姿を立って見ていた。立って見上げていた。
「そ、そんな……にっこり」
ロッド氏を見下ろす髑髏。握り締めた大きな鎌。
「混乱してるのか?」
ロッド氏は見回して、足元にロッド氏の体が横たわっているのを目にした。
「さあ、行こうか……地獄へ」
死神が顔を近づけてきてささやいたが、その威圧感は強烈だった。
三メートルはあろう体が折られて、恐ろしい髑髏が頭上間近に来ている。
「俺が怖いか? 怖いだろ?」
死神は笑った。
「俺迫力すごいだろ!? あ~、骨延長手術してホントよかった」
ロッド氏は、やぶれかぶれな気持ちになって言った。
「呆れました! ええ呆れましたとも! 地獄までそんな感じになっているのですか」
「じゃっかぁし~わジジイ!」
死神が再び顔を近づけてきて、怒鳴った。
「これがトレンドってモンよ! 今は死神もみ~んなこう! 高身長と小顔! 分~かるぅ!?」
死神は背筋を伸ばして笑った。
「俺はこの先四メートル、二十頭身を目指してるぜ」
「コ、コンプレックス地獄……!」
ロッド氏の言葉になど耳を貸さず、死神は続けた。
「人間どもも将来には、この域に追い付けるかもな! さ、ともかく行こうか」
おもむろに、ロッド氏は泣き出した
「嫌だ、嫌だ、どうして真面目に生きてきた私がこんなに目に……うお~ん」
「オイオイ、困ったやつだな……」
「うおお~ん」
突っ伏して泣くロッド氏を見て、死神はつぶやいた。
「ちっと可哀想だけど、泣いてもしょうが無いじゃんよ……」
と、その時だった。
「そこまででちゅッ! 天使パァ~ンチッ!」
「ぎゃあッ!」
ロッド氏が顔を上げると、髑髏は既に飛び去り、骨格が崩れ始めるところだった。
「美への嫉妬の、醜さよ……」
転がった髑髏のうめき声を聞きながら、ロッド氏は確かに見た。
伝統的な、純白の翼。普通の、ナチュラルな金髪と白い肌。
「助けに来たでちゅ! ロッドしゃん、あなたは天国でちゅ!」
「おお……!?」
「安心してくだちゃい。ルッキズム神は、ボクたちの軍勢が打倒しまちたでちゅ!」
「おおおっ!」
ロッド氏の涙は、悲嘆から感激のそれに変わった。
「よかった、よかった……本当に、本当にありがとうございます」
年甲斐も無く、子供のようにわんわんと泣いた。
「よかった……私の生涯が報われて、本当によかった」
そんなロッド氏が落ち着いたのを見はからって、天使は告げた。
「さあ、天国へ行くでちゅ」
「あのう……ところで、それでよかったんでしたっけ」
ロッド氏は、少し怪訝そうな表情で尋ねた。