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空墓所から

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11.父の日



 世の中には、父の日というものがあるらしい。

 なんでこんな回りくどい書き方をいちいちするのかというと、実のところ、正確な父の日の日付を私は知らないのだ。たしか6月の何番目かの日曜日、という記憶まではあるのだが、何番目かまではよく分からない。目の前のパソコンで検索サイトを開いて、出てきたテキストボックスにワードを打ち込みゃすぐ分かるようなことなのに、そんな気すらも全く起きないのだ。

 別に父の日のアンチというわけではない。いわゆるデキ婚などで父になったことを悔いているような人生を歩んでいるわけでもない。私が父の日に対して無気力な理由は、もう少し別のところにある。

 父の日━━昨今、この日自体がいささか影の薄いイベントであるということは、言をまつ必要もないと思うが、私の家の場合、それがいささか過剰とも言っていいほどだった。わが家では、この日に向けてプレゼントなどを用意した記憶は一切ない。それどころか、夕食で父の日の話題が出たことすらもない。父の日に父に感謝をする、そういうことは全くと言っていいほどなかったのだ。

 それはなぜか。私の父は、私が物心がつく前にこの世を去ってしまっていたから。

 父は、恐らく私が生まれた頃から病魔に侵されていたのだろう。次第に体の調子を崩し始め、私が1歳の誕生日を迎える二週間ほど前に自宅の布団で息を引き取っていたそうだ。晩年、既に自分の死期を悟っていたとみえ、半ばヤケクソのように浮気などもしていたらしいと、大人になってから母に聞かされた。そして、そのことが尾を引いていたのだろうか、母は後に、金銭的にはともかく、死んでくれて楽になった部分はあった、そんなようなことすら口にしてはばからなかった。

 この言葉は私の脳裏に深く刻み込まれた。何せ未だに覚えているくらいなんだから。再婚もせず女手一つで育ててくれた、立派な母をかつて苛んでいた父。この図式がしっかりと、私の頭の中に形作られてしまったのである。もちろん、お互いに好きで結婚をしたわけだから、憎だけでなく愛も無論あっただろう。だが、既に息子の私にものが言えるのは母だけだし、母もいまさら死んだ男とのことをのろける気にはなれなかったのだろう。私の耳には父のあまり良くない話ばかりが入ってくることとなった。
 その後、数歳上の姉が語るおぼろげな父との思い出話などによって、ほんの少しだけとは言え父への負の思いは緩和した。しかし、それでも、遺影でしか見たことがない父に対するうっくつとした感情は、いい年になった今でも晴らしきれないでいる。

 いずれにしてもこういう理由で、わが家では父について思いをはせるのは、命日や彼岸のほうが多かった(ちょうど父の命日が彼岸にあたっていることも大きかっただろう)。しかも私は父にあまり良い感情を抱いていないあまり、それらについてもそれほど乗り気ではなかった。ましてや父の日なんか、その存在すらも認識せずに、何事もないただの日曜日として、意識すらせずに毎年過ごしていたのだ。
 そんな長い年月、父の日とは縁がなく過ごしてきた私は、その後、家を出て一人暮らしを始める。そして、配偶者を得ることもなくいい年になってしまった。すなわち、自分自身も一向に父になる気配はない状況、というわけだ。

 恐らく、私という人間は、一生、父の日とは没交渉に生きていくのだろう。父をねぎらって感謝したこともなければ、父としてねぎらわれ感謝されるようなこともなく。だが、そのこと自体は、正直、それほど悲しいとは思っていない。同じような境遇の人も少なからずいるだろうし、前述の通り悲しいかな、父の日の存在自体が影の薄いものということもあるし。

 もちろん、父の日を祝って、いつも頑張っているお父さんに、プレゼントを贈っている温かい家庭を否定する気は毛頭ない。ただ、幼少期に父を失い、自身も父となることができないであろう、いわゆる世間的には負け組とでも言おうか、そんな父というものに対しゆがんだ感情を持って生きてきてしまった男のちょっとした繰り言。いや、もっとあけすけに言ってしまえば、精一杯の負け惜しみ。それをここではき出しておきたかっただけだ。

 だが、父の日と無関係に生き、死んでいくことを悲しいともなんとも思わない、そのこと自体が、下手の横好きとはいえ文章を趣味にしている身としては、感性が乏しいなあと嘆きたくなることは否めない。

 きっと、今年も私はなにごともなかったかのように、父の日をスルーしていくだろう。幸せそうな家族連れを目に入れても、きっとなんとも思わないだろう。それはまるで、何らかの罰ゲームかのように。もしくは、何か大切なものを見失っている不幸な人であるかのように。


作品名:空墓所から 作家名:六色塔