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空墓所から

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 ところで、ここで私は重大な告白をしなければならない。忘れもしない大学2年の出来事だ。当時の私は、とある譲れない持論、いや、信念を首からぶら下げて歩いているような男だった。話すもの全てに論争をふっかけ、論破しては得意げになって薄ら笑いを浮かべて去っていく。それが正義だと信じて疑っていなかった、そんな人間だったのだ。
 それを、そのてんぐになった私の鼻を、ものの見事にへし折ったのが、今、目の前で眠りこけているAだった。こいつは一言であっさりと私の言の矛盾を指摘し、軽蔑した笑いで一刀のもとに私を切り捨てていったのだ。
 Aに敗北した私は惨めなものだった。うわさはあっという間に広がり、私は道を行く人に論争をふっかけることをやめざるを得なかった。周囲の誰とも話をしなくなり、大学でも次第に孤立していった。そういった生活を卒業するまでの約3年の間、耐え忍び続けたのだ。
 それ故、今、目の前で眠りこけているAに、私は強烈な恨みがある。いや、もっと直接的な表現をすれば、殺してしまいたい。四肢を、目や鼻や口を、あるいは脳の髄を、もしくは心の臓を思い切り切り刻んで、このAという憎き男を葬り去ってやりたい。そういう思いでいっぱいなのだ。
 今回の登山計画がその一部であったことは言うまでもない。Aがすきを作るであろう一泊の登山をわざわざ計画し、初心者のAが必要以上に疲労するようなコースを選定する。そして宿泊先を人気のない山小屋にし、その山小屋でわざわざ夜更けまで話しこみ、眠り込むその瞬間まで待っていた、そういうわけなのだ。
 彼が山小屋に倒れ込みそうになりながら入った瞬間、私は心の中でガッツポーズをしていたぐらいだった。ようやく、この山小屋という名のくもの巣に獲物が足を引っ掛けた、そんな気分でワクワクと心が躍り上がって仕方がなかったのだ。

 さあ、この眠りこけているAを、これから私は殺害しよう。この世に生きてきたことを後悔させるような、そんなとてつもない恐怖を与える殺し方をしたい。だが、そうすると死体の隠匿が面倒になるし、この小屋を汚してそこから足がついてしまう。それ故にちょっと物足りないが、シンプルに心臓をナイフでえぐることで、Aにはあの世に行ってもらおうと思う。

 私はAが持ってきたナイフを取り出し、心臓に狙いを込める。大学時代の屈辱、恨み、雌伏の時代のつらさ、それらがまざまざと脳裏によみがえる。私はとめどなく心中から湧き上がってくる殺意をそのままぶつけるかのように、ナイフをAの胸に押し込んだ。

 終わってみれば、至極あっけなかった。血は少量しか出ず、ナイフと服にいくらかこびりついただけだった。その血を拭き取って、Aに握らせる。これで近くにある崖に遺体を放り投げでもしておけば、実は思い悩んでいることがあって元気付けるために登山に誘ったが、気分が晴れず夜中に小屋を出ていき、ナイフで胸を刺したあと、息も絶え絶えの中で崖に飛び込んだ、という形に落ち着くことだろう。

(さて、あとはこいつを崖に投げ入れなくちゃ)

 私は次にすべきことを思い描きながら、何気なく遺体の顔に目をやる。その時だった。

「?!」

 ……あれ、Aってこんな顔だったっけ。思わずよく見直してしまう。しかし、見れば見るほどその遺体は、Aのようには思えなくなってくる。

「……落ち着け、落ち着け。よーく顔を思い出せ」

 過去の記憶を手繰り寄せ、懸命に私はAの顔を脳裏に思い描こうとする。しかし、それらは全てもやのような、モザイクのような、奇妙な何かがかかっていて、どうしても鮮明にならない。きょう、ここまで登山をしてきた記憶も、それまでのやり取りも、久々にあった打ち合わせのときも、その後に飲んだときも……。

「…………」

 私は焦って、心の奥底に閉じ込めていた不快な大学時代の記憶すら掘り起こす。秒で論破されたあの瞬間、あの唾棄すべき薄ら笑い、その後、キャンパスであったときの忌々しい顔。
 だが、それらの憎々しい記憶を掘り起こしても、Aの顔だけは一向に出てこない。それどころか、実はAは一卵性双生児だとか、田舎の家系のせいか親族全員が同じような顔をしているだとか、大学によく似た背格好のやつがいただとか、この世には同じ顔をしているやつが必ず3人いるだとか、不安になる情報?真実?ばかりが浮かび上がってくる。

「…………ねえ」

 誰もいないはずの小屋の中で、思わず誰もいない誰かに問いかける。その間も生を失ったのっぺりとした誰のものか分からない顔が、こちらを、私をじっと見つめてくる……。

 こいつは誰だ、Aか、そうでないのか。Aは私の殺意に気づいていて、自分によく似た人物を替え玉に仕立て上げたんじゃないだろうか。だとしたら、だとしたら、だとしたら、この犯罪はもう失敗したも同然……。

 絶望的な気持ちに思わず顔を見上げてしまう。するとそこには、一枚の姿見が立てかけられていた。鏡に写った自分の顔……。それは、自分のようで自分じゃない、なんなのかわからない顔……。


「……あれえ、弟の高志じゃん。元気ぃ?」

「おお、いとこの大ちゃん。今度、結婚するんだってねえ」

「あ、孝好おじさん、ご無沙汰しております……」


 翌朝。管理人が訪れた際、小屋には二つの遺体があった。遺体はどちらも心臓を刺し貫かれていたが、そのうち片方は相好がわからないほどめちゃめちゃに顔を傷つけられており、その前には割れてこなごなになった姿見がひっそりと置かれていた。


作品名:空墓所から 作家名:六色塔