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空墓所から

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31.ある老婆の話



 どこだか分からない、そんな場所でのことです。

 その場所には一人のおばあさんがいました。真っ白になった髪をひとつにまとめ、シワだらけの顔で口をグッとへの字に結び、直角になるぐらい腰を曲げ、ひどく粗末な着物を、しかしそれでもちゃんと着こなし、右手に棒なのかつえなのか定かではないものを持って、いつもそこに立ち尽くしていました。

 でも、そのおばあさんがたたずんでいる場所には、踏みしめる大地すらもありません。ただただ、褐色のよく分からないもやもやとしたものがぐるりと四方八方にあって、それがずっと、ずーっとどこまでも伸びて、果てしなく永遠に続いているかのような場所でした。それは上空ももちろん同様で、おばあさんのはるか頭上には、これまた同じような褐色、いや、もう少し色あせたような、セピア色なんて言い方が似合うようなやっぱりもやもやしているものが、常に美しい星々(そのもやもやの先に存在していればですが)を隠し続けていました。

 おばあさんがいつからそんなへんぴな場所に住み着いているのか、それを知っているものは誰もいません。彼女を知るものは、気が付いたらいつの間にかそこにいたんだ、皆、口をそろえて言います。また、なぜそこにいるのかも知っている人はいません。地平線が見えるくらい広い場所なのですから、そこではなく、その3歩先でも別に構わないでしょうし、なんなら居場所を転々としたって構わないはずなのですが、そのようなことをする様子は一切ありません。また、そこに居座るのなら、家の一つも建てればいいのでは、と私たちなら思ってしまうかもしれませんが、おばあさんは建築資材や大工さんのお世話になる気も一切ないようなのです。

 こんなふうに、何もない場所で何かを得ようともせず、恐らく天涯孤独に生きているであろうこのおばあさんですが、実は一つだけ、たった一つだけですが、やるべき仕事があるのです。


 相変わらずそこにじっとしているおばあさんの元に、一人の郵便屋さんがやってきました。彼はいつも訪れるこの場所を小慣れた感じで歩み、おばあさんに手のひらよりもちょっと大きめの小包を一つだけ渡します。無事に職務を全うすることができた郵便屋さんはいつもそうするように原付にまたがり去っていきました。
 おばあさんは早速小包を開けて中のものを取り出します。護送車から開放され、おばあさんの手中にその身を移動させた物体は、球体で、かつ三角や四角やこんぺいとうのような形をしていて、冷たくて熱くかつ常温で、恒星や原子ぐらいの大きさをした、ちょっと風変わりなものでした。

 おばあさんは相変わらず口をへの字に結んだ表情で、それをしばらくながめた後、例の棒のようなつえのようなもので、いきなり足元の少し先をひっかきました。すると、まるでマッチ棒に火をつけたかのようにその場所が突然燃え上がったのです。
 おばあさんは火の中に、先ほどの奇妙な物体を放り込みます、ためらうこともなく、かといって喜び勇むわけでもなく、あくまでも何気ない様子で。
 燃え盛る炎は、突っ込まれた異分子も例外とせず、今まで燃やし尽くしてきたたくさんのものたちと同様に灰にする作業を遂行します。おばあさんはその様子を例のへの字口で見届けるのです。まるで、全てが予定調和であるかのように。

 やがて物体は死を迎え、そのエネルギーを食らい尽くした炎の力も弱まっていきます。それを確認したおばあさんは、その足でか細くなった炎と灰になった物体を踏みつけて仕事をやり終えます。その後、ぽつりとつぶやくのです。

「ふう。『昨日』を燃やすのも、楽じゃないのう」

 おばあさんの言う『昨日』とは、なんの比喩でもありません。われわれが実際に生き、そして過去になった正真正銘の『昨日』なのです。

 例えば、誰かが目標を達成し、誰かが喜びを分かち合い、誰かが難問を解明し、誰かが栄光をつかみ、誰かが幸福のうちに眠りに就いたような。あるいは、誰かが夢に破れ、誰かが目標を諦め、誰かが怠惰におぼれ、誰かが誰かを嫉妬し、誰かが無力感で涙を流したような……。

 そんな多種多様、千差万別、清濁を併せ持った『昨日』。誰かが泣き、誰かが笑い、誰かが生き、誰かが死に、誰かが生まれた『昨日』。

 おばあさんは、その昨日を焼き捨てるという重要な任務を負っているのです。

 しかし、かつて『昨日』を生きたものの中には、おばあさんを悪く言うものもいるようです。やれ、なぜ大切な日を火にくべてしまうのだ、大切な記憶が失われてしまうだろう、とか。あの素晴らしい、私が栄光に満ち満ちていた日々を返してくれ、だとか。今度こそちゃんと勉強するから、もう一度だけチャンスをくれ、だとか。
 こういうものの中には、どうやって居場所を突き止めるのか、『昨日』を取り返そうとおばあさんに直談判をしに来るものも居るくらいです。

 しかし、そんなものたちがやってきても、おばあさんはいつものへの字口で、にべもなく言い放つのです。

「そんなことをしとる暇があったら、今日を頑張るがええ。急がないと『今日』も『昨日』になっちまうからのぅ。ヒッヒッヒ」


作品名:空墓所から 作家名:六色塔