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空墓所から

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36.轢死詳解



 気づくと、俺は朝の駅のコンコースにいた。

 足取りは重く、視界は常に下向き。改札を抜けた直後であろう俺はとぼとぼと乗るべき車両がやって来るプラットホームへと歩きだす。
 周囲には似たような立場の大人たちがスタスタと、快活とまではいかないが俺よりはきびきびと歩き回っている。そんな彼ら、彼女らにぶつかりそうになりながら、俺は動かない足をどうにかむち打ってホームの下り階段の手前までやってきた。
 その階段の脇。そこには小道が設けられ、その先はトイレにつながっていた。男性用の青い印と女性用の赤いそれ。それらを目にした途端、猛烈な腹痛に襲われる。
 ここは一本遅らせてでもトイレに行っておこう。車中で我慢するような羽目には陥りたくはない、ちゃんとそうするだけの意味はある。多分、上司や同僚も納得してくれるだろう。
 心の中で言い訳というパズルのピースがはまった瞬間、ほんの少し、鳥の羽根程度の微々たる重量だが気分が軽くなる。俺はトイレへと足を運び、中に入ろうとした。だがその瞬間、目の前に現れたのは「清掃中 ご協力お願いいたします」の文字。何だこれは。一瞬、腹を立てたが、瞬時に頭を回転させると、怒りのそこからムクムクと安どの吐息が漏れ始める。トイレが清掃中ならば、一本どころか数本電車を遅らせてもいいじゃないか、トイレが清掃中なんだし。こんなホイップクリームよりも甘い考えが浮かんできたからだ。
 俺は、律義にそのトイレの清掃が終了するのを待ち続けた。その清掃中の看板の少し前で、愚直にただただ立ち尽くしていたのだ。
 やがて、おばちゃんがトイレから出てきて看板を撤去し始める。「お待たせしたねえ」という言葉とともに用具を抱えて立ち去る彼女。それを尻目に、トイレの個室の奥の一角を専有する。
 そこで便座に座り込み、用を足す。トイレットペーパーを出し回している瞬間、ふいにとてつもない恐怖に襲ってくる。そうだ。電車を4、5本も逃しているじゃないか。明らかに始業時間に間に合わない。怒られるどころじゃない、解雇だ。解雇されたら、もう一回就職しなければならない。でも、就職できなかったら野垂れ死に、一巻の終わり。
 用を足す前は、おなかが痛いのなら会社を遅刻してもいいというふうに構えていた。しかし、いざそうなってみると、そこはすでに後には引けない地獄だった。俺は心身を喪失した状態でトイレから出て、階段を降り、それでもなんとかホームにたどり着く。しかし、頭に浮かぶのは恐ろしい上司の顔、解雇通知書、不採用通知書、安酒の空き缶が並ぶ姿、止まる電気や水道、家賃を払えず路上で生活している自分……。

 どうにもならない目の前の現実、暗い未来予想図しかひねり出してこない頭。もうどうにもならないと思った俺は、ちょうどホームにやってきた自分が乗るべき電車の前に飛び込み、反対に自分が電車に乗られる形になった。

 肉体が分断される激しい苦痛の中で、俺の意識は遠のいていった。



 静寂。目を開ける。そこは暗黒。

 どこだ。そう思い体を動かすが、自由が利かない。どうにか少しは動かすことができる首を起こしてみると、薄い暗闇の中にぼんやりと景色が映った。縄で縛られた自分自身、太もものあたりをすっと横に通り過ぎる、一本の軌条。
 さらに目を凝らすと、当然のように軌条の下にそれを支える、枕木の姿が見える。それが目に入った瞬間、誰でも、嫌でも、ここがどこだか理解するだろう。線路の上。すなわち今の俺の状況は、体を縛られて線路上に寝転されている、そんな状況なのだ。
 俺は起こした首で、可能な限り自分の体を見回した。手足は体と同様にロープで縛られている。唯一、上下が可能な首の力を抜いた途端、後頭部に冷たい感触がやってくる。その正体は間違いなく、腰のものと対になるもう一本の軌条だろう。
 だが、無情にも、そんな自分の置かれている状況を確かめ終えた瞬間、遠くのほうから「何か」がやってくる音が聞こえ始める。前方にライトという名の光源を宿し、車輪を履き、ものすごい速さで軌条の上を規則正しく疾走する鉄の箱。人を載せたり、貨物を載せたり、さまざまなものを運ぶことで人間に益をもたらしているその車両が、今、俺を轢断しにこちらへと向かってきている。
 俺はどうにかしてその車両から逃れようと拘束しているロープの解除を試みるべく、手足をめちゃくちゃに動かした。しかし、俺をこのようにした人間はそれほど間の抜けた人物ではなかったとみえ、自分の手足はわずかな自由をも得ることはなかった。結局その間、時間だけがいたずらに過ぎ、はるか遠くにいたはずの処刑物がこちらへと近づいてきただけに過ぎなかった。
 数刻後に自分の体を裂いてしまうであろうその車両は、今もなお刻一刻とその距離を縮めてくる。それがやってきてしまう前に、手足を封じているロープを解くことができないと悟った俺は、絶望にむしばまれながらも、とにかく体を動かしたり、寝返りを打ったりすることで何かが起こることを期待した。しかし、そのいずれも功を奏すことはなく、物体はほんの数メートル手前の距離までやってきてしまう。車輪が動く音やその車輪と線路の擦れる音。その他、聞き分けのつかない種々雑多な騒音が凶悪な獣のおたけびのように目の前でほえ立て、有無を言わさずこちらに襲いかかってくる。

 その瞬間、俺は思い出した。先日、中途採用の面接で不合格を出した者の中に、重度の鉄道マニアがいたのを……。

 犯人のその顔を思い出した瞬間、俺は頭部と脚部を真っ二つに車輪で切り裂かれる。壮絶な轢断の痛みの中で、意識が失われていく……。

作品名:空墓所から 作家名:六色塔