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ディーン小津
ディーン小津
novelistID. 70085
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クリスマスディナー

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立川敏之(たちかわとしゆき)と職場外で会うのは三カ月ぶりだった。
会議報告書をつくるとか監査の後始末があるとか、何かと理由をつけて先延ばしにされた末のことである。
予約したのは去年のクリスマスイブにディナーを取ったレストランだった。あの夜、食事を終えて店を出るとき、フロントクラークが杏子(きょうこ)の肩にコートを着せかけながら『奥様、本日はありがとうございました』と言った。
夫婦に見られたことがうれしかったのに、立川は無反応だった。聞こえなかったのか聞こえないふりをしたのか、どちらにしても水をさされたような気がし、くすぶりはあとあとまでずっと尾を引いた。

今年も入り口でコートをあずけ、クラークに案内されて席に着き、キャンドルの灯るテーブルに向かい合って座る。だが、去年とは違うと杏子は感じている。
立川とはこの一年の間に何度か身体を合わせた。特別な関係と言っていいはずだが、そういう行為があるというだけで心は少しも接近していない。男と女は身体を重ねながら身も心もうちとけ、まざりあって距離を縮めていくのではなかったか。なのに立川の心も姿も陽炎のように危うくて、すぐそこにありながら近づいていけば遠ざかる。

もう駄目かもしれない、と思う一方、まだ何とかなる、と当てのない望みを捨てきれなかった。仕事も人生も常に前を向いて進んできた女が男のことでぐずぐず逡巡するのは、四十歳を遠く越してしまったからだろうか。杏子はいちども結婚歴がなく、立川はいちどの離婚歴がある。

タワーホテル最上階の窓から街のネオンが眼下に広がっている。杏子は夜景をながめるふりをして、窓ガラスに映った立川を見た。
きちんとネクタイを締め、革靴の先までぴかぴかに磨きあげ、顔に柔和そうな微笑を浮かべ、どこにもくずれた様子を見せない男は、まるで営業会議か個人面談にでも出てきたようだ。

「先月の仙台出張のあとなんですが……」
ワイングラスで形ばかりの乾杯を済ませると、立川はさっそく口を開いた。
ぼそぼそとくぐもった低い声は、しっかり耳を傾けないと聞き取れない。それを落ち着きのある冷静な口調だと言う者もいれば、もったいぶった格好つけだと眉をひそめる者もいる。
二十五年前に同期入社で入ったとき、杏子は前者の意見だったが今は反対である。彼のふるまいは、いちいち杏子の神経を逆撫でしている。
「最終便まで時間があったので、足を伸ばして遠野まで行ってみたのです。花巻から乗り換えて一時間もかかりました。列車の本数が少ないので貸自転車で一時間ほどうろついただけです。ああ、もちろん……」
 前菜が出てきた。ワタリガニのサラダだ。
「もちろん私用で行ったわけですから、旅費の請求はしていません。ところで、もう年賀状は書かれましたか」
馬鹿丁寧な物言いが癇にさわる。それは何かの暗示か、それともただ鈍感なのか。
はい、とそっけなく答え、杏子も敬語で応酬することにした。

「最近はインターネットで簡単にダウンロードできますから、時間もかかりません」
「さすがに手回しがいいですね」
「宛名は、自分で書きますよ」
「それは律儀だ。僕は面倒くさがりなので、印刷しています」
「宛名印刷は便利でしょうね。でも、思わぬ発見があります」
レタスの葉を口に入れたので、次をしゃべるまで間があいた。立川もサラダを口に運びながら続きを待っていた。

「今年は、別々の人から同じデザインの年賀状が届きました。どう思います?」
「どう、とは?」
「イラストがまったく同じ、文字のフォントも書体も、番地の書き方まで。私のマンション名を省略して部屋番号だけでした。こういうの、珍しくありません?」
「偶然でしょう。僕も似たような年賀状はたくさん受け取りますよ」
「偶然でしょうか」
「……」
「表書きの文字も裏面のイラストも、まったく同じなんて偶然があるでしょうか」
かぼちゃのポタージュスープが出てきた。
立川は黙ってスプーンを動かしている。


今年の元旦、届いた年賀状を見ていたとき、下田優子と立川のものがまったく同じであることに気付いた。
トシーー。
優子は立川をそう呼んだ。
「トシとは幼なじみなんです」
派遣社員として入ってきた優子は、初日から立川に向かって「トシ」と呼びかけた。十歳も年上の、業務上の指揮命令者、すなわち上司に向かってである。
ビジネスルールを無視したふるまいをたしなめると、「立川課長」と言い換えるようになったが、言葉と態度は一致していなかった。言い間違えたあと、すぐに言い直し、舌を出して自分のおでこを拳でゴツンと叩くしぐさを何度見かけたことだろう。
立川も優子に対して甘いと感じられた。彼自身、幼なじみという微妙な関係をもてあましているようだった。

臆面もなく見せる馴れ馴れしい態度は、当然ながら周囲の興味を引いた。誰かが二人の関係を揶揄するような言い方をしたとき、優子は頬を膨らませて答えた。
「トシ……立川課長は、おにいちゃんみたいなものです」
だから絶対安全です、変なコトしない人ですから。そう言って悪びれた様子も見せなかった。
――この女、どういう神経なの?
三十後半の未婚の女、身体の成熟と心の未熟が混濁している。そんな女に立川を翻弄させたくなかった。「兄妹」のような関係を誇示するやり方を、あざといと感じた。優子は、杏子の一番嫌いなタイプだった。優子の存在自体が気持ち悪く、許し難かった。
立川への思いが急速に膨らみ始めたのは、優子の振る舞いが背中を押したからかもしれなかった。


――大人の付き合いということでいいですか。それで、あなたが納得できるなら。
初めてホテルへ入った日、立川は車の中でしばし沈黙したあと、そう言った。
約束ではない、期待するな――身体を重ねても重ねなくても、何も変わらない。自分の心も人生も預けないという意味だった。
それでも杏子は期待していた。身体を重ねることで何かが変わる。身体を許して心を許して、少しずつ歩み寄って絡みあって、やがて男の心と人生を掌中におさめる。
小便臭い幼なじみなど吹き飛んでしまうほどの快感と充実を、立川に与えられると思っていた。男の目も耳も心も、すべて自分に向くはずだった。それなのに彼が見つめ、心を開き、無理やわがままを受け入れる相手は、自分ではない。

そういえば、と杏子はナプキンで口を拭いた。
「下田さんが言っていました。クリスマスプレゼントに、トシからバッグを買ってもらったって。ブランド直営店へ一緒にお出かけになったそうですね」
目でそれとわかるブランドバッグを誇らしげに肩に引っかけて出勤してきた日、優子の回りには女子社員が群がった。
『トシに買ってもらっちゃった』
はしゃぐ声が女子社員の人だかりの奥から聞こえた。
杏子は憤慨した。社内での立場や風評を気にしない優子の幼さと、立川のうかつさに。そしてクリスマスプレゼントさえ素直に遅れない自分のプライドとふがいなさに。

「ああ、あれ」
立川は苦笑した。
「彼女持ち前の強引さで、ねだられました。僕はそういう方面に疎いので、彼女のペースに乗せられました」
「派遣社員とはいえ、組織の一員です。特定の社員に贈り物をするのは、いかがなものでしょう」