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無限への結論

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ただし、小説自体はフィクションです。若干実際の組織とは違った形態をとっているものもありますが、フィクションということで、見てください。今回は、いや今回も政府をディスっていますので、よろしくです。

            タイムマシン

 令和三年の五月、やっと待望のタイムマシンが完成した。開発したのは、K大学別理学研究所の柿崎家旧チームであった。タイムマシンの研究は、もちろん、この研究室だけではなく、いろいろなところで行われていた。しかし、実際に開発に至ったという報告はない。
 研究自体が始まったのはいつからだったのだろうか?
 タイムマシンというものの発想はかなり前からあったはずである。調べてみると、今から百二十年くらい前kらあったようだ。小説の中に出てくる時間移動という発想からのものであった。
 要するにタイムマシンというのは、
「時間を自由に移動するための箱のような機械」
 という発想がざっくりとはしているが、当たっていることになるのではないだろうか。
 そもそも、時間を移動するという発想は昔からあったのかも知れない。
 たとえば、おとぎ話の中にある。
「浦島太郎」
 の話など、究極のタイムトラベルではないかと言われているくらいのもので、発想はアインシュタインの相対性理論に繋がっているではないか。
 それが、昔話として語り継がれてきていたということは驚きである。
 おとぎ話を編纂した時代として考えられているのは室町時代ということなので、少なくとも六百年以上前ということにはなるであろうか。しかも、その御伽草子を編纂するための逸話が全国各地に残っていて。大和時代くらいからのものも存在しているという。まるで神代の時代ではないか。
 そんな浦島太郎の話で、玉手箱を開けたウラシマが、辿り着いたと言われる世界は確か、七百年後の世界というように、具体的な年数までも記載されているという。
 それを思うと、昔の人の発想になるのか、ひょっとして、
「その過去というのが、実は未来だったのではないか?」
 という発想もある。
 これは科学的な考え方になるが、
「時代がある周期を限界として、繰り返されているのではないか?」
 という考えである。
 時間軸というものを、まるで心電図のように、グラフの?軸(横軸)として、その変化をグラフにすると、?軸のゼロの箇所を機転として、プラスである程度まで行けば、今度はマイナス試行になり、さらにゼロを超えてマイナスがある程度まで行くと、今度はプラスに転じるという発想である。
 タイムマシンというのは、このプラスであれば、その頂点から頂点を飛び越えることで、時間を自由に操れるのではないかという発想があった。
 これが一人の人間によって提唱されたものなのか、それとも昔から言い継がれてきたことをグラフという形にしただけのものなのかは定かではない。
 しかし、この考えが通説となっているようで、幾多ある研究所ではそれを定説とするバイブルとして、考えられてきた。
 今回のタイムマシンの創造は、その考え方を逆手にとって、少し違った視線から考えられたことであった
 そうすれば、タイムパラドックスのような、
「タイムトラベルは危険」
 と言われる発想を飛び越え、それまでアンタッチャブルな領域に踏み込めることで、やっと開発に至ったと言えるのではないだろうか。
 それを思うと、そこまでの発想に至るまでに百年近く掛かったことになる。
 もっとも、最初の頃はあくまでも小説のネタであり、実際に開発などできるはずはないと思われていたのだろう。
 タイムマシンなどというのは、科学空想物語としての題材であるということであるが、それはどういうことを言っているのかというと、
「未来のどこかで完成することのあるものであろうが、今の時代には小説のネタとして考える方が、いろいろな発想が浮かぶ」
 ということである。
 タイムマシンを考えるうえで、まずタイムトラベルというものを正確に理解する必要がある。
 いわゆる、
「タイムパラドックス」
 と呼ばれるものであるが、例えば過去に向かった場合に、自分が生まれる前の親を殺したりした場合などに起こる、
「理論的矛盾」
 とでもいえばいいのか、
「親を殺してしまうと、自分が生まれてこない。自分が生まれてこないと、自分がタイムマシンを作ることもないし、タイムトラベルをすることもない。だから、親を殺すことはできない」
 という発想である。
 その発想が無限ループになって繰り返されることになるのだが、回答は生れることはない。
 しかし、それを解決する考えが実はあったりする。それが、
「パラレルワールドとの融合による考え方」
 というものである。
 時間軸には、
「過去、現在、未来」
 とあるのだが、未来が現在になり過去になるということで、普通に考えれば、一本の線で結び付いているように思う。
 しかし、現在から見た一瞬先の未来には、無限の可能性を秘めているとは言えないだろうか、無限の次にはさらに無限が広がっている。それがパラレルワールドというものであろう。
 この考え方がさすがに極端であるが、現在から見た未来や過去は、一つではないという考え方である。
 この考えに則って考えれば、自分が親を殺してからすぐに未来に戻れば、未来はまったく違った世界を形成しているかも知れない。何しろ、自分が過去に戻って、
「歴史を変えてしまったのだから」
 である。
 しかし、逆に考えると、変わってしまった未来から、過去に戻った場合。つまり、親を殺してすぐの時代に戻った場合は、同じところに戻ってこれるのだろうか? 未来が違ってしまっているのだから、自分が変えた過去も戻ってみればまったく違う過去になっているかも知れない。
 一度歴史を変えてしまったことで、過去も未来もまったく違った様相を呈しているとすれば、さっきの発想にあった。無限ループは考えなくてもいい。
 最悪の可能性ではあるが、少なくとも、無限ループという時間に対しての矛盾であるタイムパラドックスという発想は、違った形で証明されたことになるのではないだろうか。
 ただ、都市伝説のように言われているように、歴史を変えてしまうと、その瞬間に、時空のねじれが生じてしまい、その瞬間に宇宙がビックバンを起こしてしまうのではないかという考えが、間違っているという証明ではないのだ。
作品名:無限への結論 作家名:森本晃次