八人の住人
129話 子供達を預けました
僕、新しい子です。とおるちゃんです。
僕は、0歳児の状態で目覚めたらしいです。僕、ママの顔とパパの顔を思い浮かべて、泣いてる自分を覚えてます。何も考えず、二つの顔が前にないから、泣いてました。
その時はまだ子供達が家に居て、育児の真っ最中だったから、夫さんは困ってしまったようです。「赤ちゃんが三人になっちゃった!」って困ったもんだよ、と、後から言われました。
でも、交代人格は日々精神が成長します。僕は今、多分十歳くらいだと思います。
それで、子供二人なんですが、僕とおるちゃんが出て来るようになって、僕も成長してからは、主にとおるちゃんが時子ちゃんの分の育児をしていました。時子ちゃんは、もうぐったりと疲れてしまって、何もすることが出来なかったんです。
でも、それでもとおるちゃんも「これを続けるのは大変だな」と思ったし、「育児が出来ないなんて私は母親として最低だ、死んだほうがこの子達のためになるかもしれない」と時子ちゃんが考えてるのは、なんとかしないとと思いました。その時、時子ちゃんのパパに言われた事を思い出したのです。
「困ったら市役所の前で倒れてればいいよ」
僕、それで「倒れる前に聞いてみたらどうかしらん」と思って、とにかく市役所に電話して、代表の番号にまず「そちらの障害福祉課でお世話になっております、これこれという者です。病気と育児の事でご相談があるので、障害福祉課へお願い出来ませんか」と言いました。
その後、障害福祉課の人に「今年九月に双子を出産した、うつ症状が強くて育児がとてもじゃないけど出来ない、現在はほとんどすべて夫が行っている、でもそれもいつか限界が来る」とお話しました。
障害福祉課の方は「一度こちらで検討しますので該当部署が分かり次第ご連絡しますね」と電話は切れました。その後すぐ、障害福祉課の人から電話があり、「子育ての事でしたら、保育支援課ですので、そちらでご病気のお話も出来ますから」と言われました。
「でしたら、保育支援課へお電話を回して頂けますか」、僕がそう言い、電話はすぐに保育支援課へ行きました。
担当の○○ですと電話が保育支援課の方へ繋がり、僕は初めからもう一度事情を話して、夫には相談していないけど、夫ももう限界だと思う、私も困難だと、時子ちゃんの振りで電話連絡していました。
「それでしたら、緊急で本日、お宅の方へご訪問してはいけませんか?大変なようですし…児童相談所の方へ預けるという手がありますから、そちらと連絡しながら向かいますので…」
「お願いします…」
夕暮れ過ぎに市役所の方がうちに来て、子供達の様子を見て、テーブルになんとか座ってはいたもののもう力も出ず、人がうちに来たのに動けないでいる僕の姿を見て、児童相談所を介して保育施設に子供達を預けるのを強く勧めてくれました。
「市役所の人が相談内容を踏まえて家に来るから」とは、僕から夫さんにお話しをしてあって、夫さんも僕達と自分が置かれた状況がかなり苦しいのを理解していたし、市役所の人の言う通りに、子供達に必要な物を用意して、チャイルドシートに乗せ、子供達はすぐさま地域の児童相談所へと夫さんが連れて行きました。
その少し前、時子ちゃんは目が覚めて、訳がわからないながらも記憶は共有していたので、子供達が保育施設預かりになるのだからと、子供達の生まれた時からの特徴やミルク量などを細かに紙に書いていました。
それが十月の二十五日の話です。今日は十一月の三日。明日は子供達と面会に、児童相談所の人が決めて子供達が預けられている保育施設へ行く予定です。
夫さんが少し前に児童相談所の人に子供達のワクチン接種同意書を持って行った時、こんな話をしたそうです。
「目標がないと預けていても不安でしょうし、いついつまで預けるという目安を作りましょうか」
児童相談所の担当の方はそう言ったそうです。夫さんはその時、「保育園に入れるようになれば楽になるんだから、その時までに戻してもらおう」と思ったそうです。
「では、十二月に保育園に入れるかもしれないので、それが決まり次第、十一月三十日に戻してもらえませんか」
「そうですね、そうしましょう」
その場でそういう話が決まってしまったらしく、僕たちは後からそれを聴きました。
僕は正直、今でも不安です。もし時子ちゃんが「子育てなんか煩わしい」と思ってしまったら。それは誰しも一度や二度なら思うのでしょうが、時子ちゃんは、「子育てが煩わしかったわ」と自分の母親から直接に言われた事があります。
もし、時子ちゃんがそう感じてしまった時、「自分の母親とまるで同じだ」と思い込んで苦しみやしないかと、僕はそれが心配です。とおるちゃんも育児は頑張るけどね。
じゃあみんな、また。あかりちゃんの文章、読みづらくてごめんね。またね。
つづく