裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~【後編】
秋雨〜残酷な事実〜
周宣(チュソン)は立ち止まり、背後を振り返った。心配した通り、妻と彼の距離は先刻以上に開いている。妻は見た目は華奢だが、体力、持久力はなかなかのものだとは、この度の山登りで新たに知った一面だった。ゆえに、これしきの山に登ったからとて難なく彼に付いてこられるはずだ。
が、間の悪いことに、半刻あまり前、彼女は足下の小石に躓いてしまったのだ。それが原因で脚を挫いてしまったらしい。正直、無理をさせたくはなかった。たかが捻挫と甘く見てはいけない。こじらせてしまえば、一生ものの怪我になってしまうことさえある。
本当なら、すぐに患部を冷やし、ゆっくりと休ませるべきだ。最初はチュソンもそのつもりだったのだ。しかし、敢えて先を急がなければならない理由ができた。
天候の急変である。山の気候は変わりやすいというのは常識である。妻が転んだときにはまだ太陽が頭上に輝いていたにも拘わらず、あれよあれよという間に鈍色の雲が空を覆い尽くし、今にも降り出しそうな空模様になってしまった。
「翁主さま(オンジユマーマ)、大丈夫ですか?」
問いかけつつ手を差し出しながら、チュソンは改めて癖はなかなか直らないものだと我ながら苦笑する。
羅周宣(ナ・チユソン)は半年前、当代国王の娘、央明(アンミヨン)王女を妻に迎えたばかりである。チュソンは物心つくかつかない頃から、?神童?の誉れも高い英才であった。十七歳で初受験した科挙には並み居る受験者の中で群を抜いた成績で首席合格を果たし、彼の両親は一人息子の将来に大きな期待を掛けていた。
しかしながら、チュソンは王宮で出逢い、ひとめ惚れした央明王女との結婚を強く望んだ。最後は父ジョンハクが折れる形で、王妃に直談判してまで王女の降嫁を願い出たのだ。
ちなみに、央明王女は正室たる王妃の所生ではなかった。かつて国王の寵愛を独占したという美姫の忘れ形見だ。王妃は今をときめく領議政の長女であり、チュソンの父もまた父を同じくする王妃の異母弟だ。
弟とはいえ、父は常に腹違いの長姉に遠慮している。チュソン自身、自己顕示欲の強いこの伯母はできれば関わり合いたくないひとである。
王妃を産んだ領議政の先妻がまだ病臥中、領議政は若い娘と関係を持っていた。その娘というのが、ジョンハクの母だ。王妃はそのことを深く恨み、ジョンハクをも憎んでいた。
そんな王妃が意外にもあっさりと央明王女とチュソンの結婚の仲立ちをしたことは、ジョンハクとチュソンにはいささか拍子抜けであったのは確かである。
とにもかくにも、伯母の橋渡しのお陰で、チュソンは恋い焦がれた女人と結ばれた。
チュソンは嘉礼(カレ)までは王女に対して、丁重な物言いを通していた。降嫁するまではたとえ許婚とはいえ、相手は王族だからだ。だが、結婚してひと度妻となってからは、意識して親しげな言葉遣いを心がけている。
二人は世に認められた夫婦とはいえ、いまだ身体を重ねてはいないのだ。夜は同じ部屋を使っていた時期もあるのに、今では各自が別室で眠っている。ただでさえ、よそよそしい関係なのに、言葉遣いまで他人行儀にしてしまえば余計に二人の間の溝が深まるばかりのように思えてならなかった。
とはいえ、癖とは怖ろしいもので、気を緩めているとつい妻に対して臣下のような口のきき方をしてしまう。
二人の微妙な距離感を物語るかのように、王女はチュソンの手を取ろうとはしなかった。チュソンは空しく宙に浮いた自分の手を見つめ、引っ込めた。
「どうもますます雲行きが怪しくなってきたようだ。無理をさせて済まないが、先を急ごう」
チュソンは労りを込めた声音で言い、また前を向いて歩き始める。振り向かなくとも、王女が痛む右足を引きずりながら付いてこようとしているのは判っていた。
そもそも二人が都を離れたこんな郊外まで来ることになったのも、母ヨンオクのせいに他ならなかった。
祝言後ほどなく、母がチュソンの屋敷を訪れたことがあった。丁度、チュソンは王宮に出仕していて留守だった。央明は屋敷の使用人たちに対しては寛大だ。そのため、母が来たときも使用人たちは声高に世間話に興じながら、のんびりと仕事をしていたらしい。
それを見た母が激怒し、央明の居室に乗り込んでいって、央明を頭ごなしに叱りつけた。どころか、母は央明を?疫病神?、?王室の厄介者?とさえ言い放ったのだ。
流石にチュソンも見過ごせず、母にはきっぱりと屋敷内の采配は女主人たる妻がするからと釘を刺した。
以来、母からは一切の音沙汰はなくなっていたのだがー。何を思ったか、ひと月前にチュソンが在宅の日に再び屋敷を訪ねてきた。
前回で懲りたのか、母はもう王女に逢うどころか、名さえ出そうとしなかった。
ただ、ひと言、
ーそれで、まだなの?
といきなり訊ねられ、チュソンは当惑したものだ。
ーまだとは、何のことでしょう?
本当に判らず問い返したのだが、母は美しい眉を露骨にしかめた。
ー利口なあなたが私の質問を理解できないとは思えません。時ここに至っても、まだ嫁御を庇っているのですか?
唖然としているチュソンが空惚(そらとぼ)けていると誤解したようだ。母は溜息交じりに言った。
ー和子はまだかと問うているのです。
チュソンは更に絶句した。その様子に、母は先刻以上にやるせなげな溜息を吐いた。
ーその様子では、やはりまだなのですね。
それから、母が郊外に子授けに御利益あらたかな寺があるので、そこに行くようにと熱心に勧めだしたのだ。
チュソンは一度目は母の機嫌を損じないようにやんわりと断った。しかし、母によれば、既に寺の住持には連絡を取り、息子夫婦が参籠すると頼み込んでいるというではないか!
連絡済みとあれば、今になって断れるものではない。チュソンは母のお節介焼きにはほとほと閉口する想いだった。半年前のあの騒動といい、どこまでも息子夫婦の私生活に介入しようとする母に辟易としていた。
一度はっきりと止めて欲しいと言わなければならないだろうが、母は息子が思い通りにならなければ泣き出すに決まっている。チュソンが子どもの頃から、大抵相場が決まっていた。そのため、チュソンは努めて母を泣かせないように?良い子?でいなければならなかった。ただし、それは母が望む通りの息子でしかなく、本来のチュソンとはほど遠いものだったのだ。
言うことをきかない息子を前にして、母は袖から手巾を取り出し、さめざめと哀しげに泣く。また、今回もあれをやられるのかと考えただけで、溜息が出そうだ。
一方で、母の言い分に従うふりをするのも良いかもしれないとも考えていた。都を離れれば、夫婦水入らずになれる。むろん、屋敷でも二人だけの暮らしではあるが、当然ながら使用人の眼がある。
チュソンはその点、幼いときから他人の眼というものにはある程度慣れている。生まれ育った父の屋敷には常に大勢の使用人が立ち働いていた。ましてや妻は王族であり、国王の棲まいである宮殿で暮らしていたのだ。妻の方こそ人目には慣れているだろうと考えるのが普通だけれど、妻は王宮の片隅でひっそりと忘れ去られたように暮らしていた。
周宣(チュソン)は立ち止まり、背後を振り返った。心配した通り、妻と彼の距離は先刻以上に開いている。妻は見た目は華奢だが、体力、持久力はなかなかのものだとは、この度の山登りで新たに知った一面だった。ゆえに、これしきの山に登ったからとて難なく彼に付いてこられるはずだ。
が、間の悪いことに、半刻あまり前、彼女は足下の小石に躓いてしまったのだ。それが原因で脚を挫いてしまったらしい。正直、無理をさせたくはなかった。たかが捻挫と甘く見てはいけない。こじらせてしまえば、一生ものの怪我になってしまうことさえある。
本当なら、すぐに患部を冷やし、ゆっくりと休ませるべきだ。最初はチュソンもそのつもりだったのだ。しかし、敢えて先を急がなければならない理由ができた。
天候の急変である。山の気候は変わりやすいというのは常識である。妻が転んだときにはまだ太陽が頭上に輝いていたにも拘わらず、あれよあれよという間に鈍色の雲が空を覆い尽くし、今にも降り出しそうな空模様になってしまった。
「翁主さま(オンジユマーマ)、大丈夫ですか?」
問いかけつつ手を差し出しながら、チュソンは改めて癖はなかなか直らないものだと我ながら苦笑する。
羅周宣(ナ・チユソン)は半年前、当代国王の娘、央明(アンミヨン)王女を妻に迎えたばかりである。チュソンは物心つくかつかない頃から、?神童?の誉れも高い英才であった。十七歳で初受験した科挙には並み居る受験者の中で群を抜いた成績で首席合格を果たし、彼の両親は一人息子の将来に大きな期待を掛けていた。
しかしながら、チュソンは王宮で出逢い、ひとめ惚れした央明王女との結婚を強く望んだ。最後は父ジョンハクが折れる形で、王妃に直談判してまで王女の降嫁を願い出たのだ。
ちなみに、央明王女は正室たる王妃の所生ではなかった。かつて国王の寵愛を独占したという美姫の忘れ形見だ。王妃は今をときめく領議政の長女であり、チュソンの父もまた父を同じくする王妃の異母弟だ。
弟とはいえ、父は常に腹違いの長姉に遠慮している。チュソン自身、自己顕示欲の強いこの伯母はできれば関わり合いたくないひとである。
王妃を産んだ領議政の先妻がまだ病臥中、領議政は若い娘と関係を持っていた。その娘というのが、ジョンハクの母だ。王妃はそのことを深く恨み、ジョンハクをも憎んでいた。
そんな王妃が意外にもあっさりと央明王女とチュソンの結婚の仲立ちをしたことは、ジョンハクとチュソンにはいささか拍子抜けであったのは確かである。
とにもかくにも、伯母の橋渡しのお陰で、チュソンは恋い焦がれた女人と結ばれた。
チュソンは嘉礼(カレ)までは王女に対して、丁重な物言いを通していた。降嫁するまではたとえ許婚とはいえ、相手は王族だからだ。だが、結婚してひと度妻となってからは、意識して親しげな言葉遣いを心がけている。
二人は世に認められた夫婦とはいえ、いまだ身体を重ねてはいないのだ。夜は同じ部屋を使っていた時期もあるのに、今では各自が別室で眠っている。ただでさえ、よそよそしい関係なのに、言葉遣いまで他人行儀にしてしまえば余計に二人の間の溝が深まるばかりのように思えてならなかった。
とはいえ、癖とは怖ろしいもので、気を緩めているとつい妻に対して臣下のような口のきき方をしてしまう。
二人の微妙な距離感を物語るかのように、王女はチュソンの手を取ろうとはしなかった。チュソンは空しく宙に浮いた自分の手を見つめ、引っ込めた。
「どうもますます雲行きが怪しくなってきたようだ。無理をさせて済まないが、先を急ごう」
チュソンは労りを込めた声音で言い、また前を向いて歩き始める。振り向かなくとも、王女が痛む右足を引きずりながら付いてこようとしているのは判っていた。
そもそも二人が都を離れたこんな郊外まで来ることになったのも、母ヨンオクのせいに他ならなかった。
祝言後ほどなく、母がチュソンの屋敷を訪れたことがあった。丁度、チュソンは王宮に出仕していて留守だった。央明は屋敷の使用人たちに対しては寛大だ。そのため、母が来たときも使用人たちは声高に世間話に興じながら、のんびりと仕事をしていたらしい。
それを見た母が激怒し、央明の居室に乗り込んでいって、央明を頭ごなしに叱りつけた。どころか、母は央明を?疫病神?、?王室の厄介者?とさえ言い放ったのだ。
流石にチュソンも見過ごせず、母にはきっぱりと屋敷内の采配は女主人たる妻がするからと釘を刺した。
以来、母からは一切の音沙汰はなくなっていたのだがー。何を思ったか、ひと月前にチュソンが在宅の日に再び屋敷を訪ねてきた。
前回で懲りたのか、母はもう王女に逢うどころか、名さえ出そうとしなかった。
ただ、ひと言、
ーそれで、まだなの?
といきなり訊ねられ、チュソンは当惑したものだ。
ーまだとは、何のことでしょう?
本当に判らず問い返したのだが、母は美しい眉を露骨にしかめた。
ー利口なあなたが私の質問を理解できないとは思えません。時ここに至っても、まだ嫁御を庇っているのですか?
唖然としているチュソンが空惚(そらとぼ)けていると誤解したようだ。母は溜息交じりに言った。
ー和子はまだかと問うているのです。
チュソンは更に絶句した。その様子に、母は先刻以上にやるせなげな溜息を吐いた。
ーその様子では、やはりまだなのですね。
それから、母が郊外に子授けに御利益あらたかな寺があるので、そこに行くようにと熱心に勧めだしたのだ。
チュソンは一度目は母の機嫌を損じないようにやんわりと断った。しかし、母によれば、既に寺の住持には連絡を取り、息子夫婦が参籠すると頼み込んでいるというではないか!
連絡済みとあれば、今になって断れるものではない。チュソンは母のお節介焼きにはほとほと閉口する想いだった。半年前のあの騒動といい、どこまでも息子夫婦の私生活に介入しようとする母に辟易としていた。
一度はっきりと止めて欲しいと言わなければならないだろうが、母は息子が思い通りにならなければ泣き出すに決まっている。チュソンが子どもの頃から、大抵相場が決まっていた。そのため、チュソンは努めて母を泣かせないように?良い子?でいなければならなかった。ただし、それは母が望む通りの息子でしかなく、本来のチュソンとはほど遠いものだったのだ。
言うことをきかない息子を前にして、母は袖から手巾を取り出し、さめざめと哀しげに泣く。また、今回もあれをやられるのかと考えただけで、溜息が出そうだ。
一方で、母の言い分に従うふりをするのも良いかもしれないとも考えていた。都を離れれば、夫婦水入らずになれる。むろん、屋敷でも二人だけの暮らしではあるが、当然ながら使用人の眼がある。
チュソンはその点、幼いときから他人の眼というものにはある程度慣れている。生まれ育った父の屋敷には常に大勢の使用人が立ち働いていた。ましてや妻は王族であり、国王の棲まいである宮殿で暮らしていたのだ。妻の方こそ人目には慣れているだろうと考えるのが普通だけれど、妻は王宮の片隅でひっそりと忘れ去られたように暮らしていた。
作品名:裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~【後編】 作家名:東 めぐみ