小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~【前編】

INDEX|27ページ/41ページ|

次のページ前のページ
 

 自らの仕事を検分するかのように鏡でもう一度、確認する。やはり、顔色ははすごぶる悪い。これでは、まるで病み上がりの半病人ではないか。薄化粧ではごまかしようがないほどだ。
 央明は紅粉入れの蓋を開け、刷毛に紅をほんの少しだけつけた。鏡で確認しながら、頬骨の高くなった辺りにサッと紅を引く。
「これで良し、と」
 頬紅をつけたのは、何も良人なる男を満足させるためではない。彼女は自分に言い聞かせ、立ち上がった。
「美鈴(ミリヨン)」
 呼べば、控えの間に続く扉が開き、丸顔の若い娘がやってくる。金美鈴は央明付きの女官だ。物心ついたときから、ずっと側にいる。
 央明はミリョン以外の女官には絶対に身辺の用をさせない。四年前までは央明が生まれたときからずっとお側去らずの乳母がいたけれど、病を得て亡くなった。今はこのミリョンただ一人が央明の理解者であり、味方だ。
 ミリョンは央明を見て、微笑んだ。
「いつもながら、お美しいです」
 央明が肩をすくめた。
「それは皮肉?」
「まさか」
 ミリョンは笑った。
「お召し替えを?」
「そうね」
 央明が気のない様子で言うのに、ミリョンはてきぱきと準備を始めた。央明は黙って立っているだけだ。その間に、ミリョンは夜着一式を蒔絵の衣装箱に入れて運んでくる。
「手伝いが必要でしょうか」
 問われ、央明は、むっつりと首を振った。
「要らない」
「承知しました。私は隣におりますので、ご用があれば何なりとお申しつけ下さいませ」
 ミリョンがまた隣室に下がり、央明は一人で重い婚礼衣装を脱ぎ始めた。
 嘉礼を挙げた新婚夫婦は婚礼衣装のまま、初夜を迎えることが多い。新婦の婚礼衣装を脱がせるのは新郎の最初の役目だ。
 だが、央明は断固として拒否した。あからさまに拒絶するわけにはゆかないので、疲れたから窮屈な婚礼衣装から早く解放されたいのだと、もっともらしい理由をつけた。
 お人好しのチュソンは央明の我が儘を聞き入れ、央明はさっさとこうして婚礼衣装を脱いでいるというわけだ。
 疲れたと言えば、新婚初夜は一人で寝かせてくれると思いきや、流石にそこまでお人好しではなかった。央明の期待は外れた。
 まあ、良い。科挙に最年少で首席合格したと聞いていたから、どれだけ石頭で融通がきかぬ男かと思っていたけれど、予想外に話していて愉しい相手だ。
 あろうことか、チュソンは十年前に下町で遭遇したあの少年だった。あの子なら、絶対に石頭のはずはないし、話して愉しくないはずはない。チュソンと過ごしたのはわずかな時間にすぎなかったけれど、央明は今も大切な想い出として心の宝箱にしまい込んでいた。
 幸いにも、彼はあの頃とまったく変わらぬ心を持った好青年に成長していた。あの頃は央明より背が低かったのに、今は見上げるほど背が高くなっている。
 目鼻立ちも整っているし、若い娘にはモテるだろう。しかも、今をときめく羅氏の御曹司で、科挙に最年少で合格した天才といわれている。何故、選ぶ女には事欠かなかったはずのチュソンが自分をわざわざ妻に選んだのか?
 チュソンに言わせれば、?ひとめ惚れ?だそうだ。央明にとっては傍迷惑な話でしかないーはずなのだが、実のところ、央明はチュソンからそれを聞いた時、悪い気はしなかったのだから、困りものである。
 何より央明自身、十年前に出逢ったあの小柄な少年をずっと忘れられなかった。だから、チュソンから
ー私にとって幼い日に出逢ったパク・ジアンという少女は、永遠の憧れなのです。
 直截に言われたときは本当に嬉しかった。
 愕くべきことに、チュソンはあの後、ずっと央明を探していたという。
 もちろん、どれだけ手を尽くしたとしても、見つかるはずはなかった。パク・ジアンというのは、央明がお忍びで下町を出歩くときの仮の名前だったのだから。パク・ジアンはどこにも存在しない少女だった。
ーあなたがあのときの少女なら、私は諦めるつもりはありません。
 唐突にチュソンの熱っぽい言葉が蘇り、央明は頬に血が上るのを感じた。
 何を自分はとち狂っているのだろう。自分には恋なんて、一生許されないのに。こんな自分が誰かを好きになることも、また愛されることも到底できないと判っているのに。
 真っすぐなチュソンの一途な想いは、央明の心を烈しく揺さぶってくる。あの男のまっすぐさは危険だ。これまで守り通してきた秘密を暴かれる恐れがある。
 生まれたときから、央明の身辺の世話はすべて乳母がやった。五歳のときに五歳年上のミリョンが来てからは、乳母とミリョンが交替でやってくれてきた。
 必然的に央明は王女らしくもなく、自分のことは一人でやる環境が当たり前になった。乳母もミリョンも側にいないときは、自分でやらなければならなかったからだ。
 この場合、央明が王妃に疎まれ、冷遇される?日陰の王女?であるのが思わぬところで役に立った。王女として重んぜられ、かしずかれる生活が当たり前であれば、央明が乳母やミリョン以外の女官をよせつけないのは随分と不自然に思われるはずだ。
 誰にも顧みられぬ存在であるがゆえに、央明が女官の手を借りず身辺のことを自身でしたとしても、さしたる不審感を招かずに済んだのだ。
 そんな中で、央明が化粧(メーク)に興味を持ち、自分であれこれと工夫してやるようになったのはごく自然なことだった。央明は卓越した化粧術を持っている。
 自分の顔だけではない。時にはミリョンを練習台にして化粧術を試してみることもあった。年取った乳母に化粧をすることもあった。
 病の床についてから、央明は何度も乳母に化粧をしてあげた。病みやつれた顔色に白粉をはたき、明るい頬紅を入れると、とても美しく健康的に見える。
 乳母は泣いて歓んだ。可哀想な乳母。
 央明の乳母になったばかりに、重い秘密を抱えて、ずっと苦労することになった。自分に仕えることさえなければ、乳母はみすみす寿命を縮めることもなかっただろう。
 あまりにも重い秘密を隠し通すことが乳母の生命を削り取ってしまったのだ。
 央明にできることは、乳母がせめて明るい気持ちになれるように、美しく化粧をしてあげることだけだった。だから、乳母の調子が良い時、央明は乳母に少しでも前向きになって欲しくて一生懸命化粧を施した。
 央明は自分の顔を化粧するより、むしろ自分以外の人の顔を化粧する方が性に合っている。他人を美しくしてあげることで、その人が幸せな気持ちになり、歓んでくれるのが嬉しい。
 世の中には、そのような仕事を持つ女もいて、化粧師(けわいし)というのだと乳母が教えてくれた。
 まだ幼かった央明は乳母に言った。
ー乳母、私も化粧師になりたい。
 だが、乳母は哀しげに言った。
ー翁主さまは国王さまの姫君におわします。高貴なお方は仕事などせぬものですし、ましてや他の者に化粧をしてやったりしてはなりません。
 央明は小さな口を不満げに尖らせたものだ。
ーつまんない。どうしてこの国には身分があるの? 
 ただ生まれた立場が違うだけで、偉そうにしている両班がいて、頑張って働いても少しも楽になれない民がいるのか?
 幼い央明には物凄く理不尽に思えた。そんな頃、下町であの少年、チュソンに出逢ったのだ。