小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

Shred

INDEX|1ページ/40ページ|

次のページ
 


 暗くて長い廊下の先。黒色に染まったガラス窓は、外の世界を映す役目を日暮れと共に終えて、一足先に眠っている。日本と違って街灯の数は少なく、夜の十一時になると外は真っ暗闇。そんな中、音で抗うように、がらんとした部屋に置かれた一台のピアノからは、ベートーヴェンの月光が流れている。
 冬本は、第一楽章の緩やかな旋律に集中力の数パーセントを割り振りながら、残りの全てを真っ暗な外の世界に注ぎ続けた。四十二歳になって思うのは、割り振れる元の集中力が昔ほど有り余ってはいないということ。若い頃の方が無知だった分、考え事が少なくて済んだとも言える。実際、無知だった。
 その証拠に、月光が第三楽章まであるということを知ったのは、蓮町家の護衛として雇われた十年前のことだった。当時、一人娘である理緒は小学校に上がったばかりで、先生に怒られて泣きながらピアノの練習をしていた。レッスンは三年で終わったが、理緒はその後も演奏を続け、腕前は着実に上がっていった。高学年になった辺りから演奏の時間は夜にずれこんでいき、月光の第一楽章が選ばれる頻度も上がっていった。そしてある日、唐突に声がかかった。
『部屋の外が怖いから、見ていてもらえますか』
 ルール通り背を向ける形で入口の手前に立つと、理緒は自分を見ているものだと思っていたらしく、『どこ見てるんですか』と言って笑った。違う方向を見ていないと護衛の意味がないから、そこは譲らなかったが。
 演奏が止まり、冬本が少しだけ緊張を緩めると、椅子から立ち上がるときの微かな軋み音が鳴った。
「ありがとうございました」
 理緒はぺこりと頭を下げながら横を通り過ぎると、振り返った。冬本は目だけで応じると、理緒に続いて部屋から出た。色々と思い出すのは、これが最後の演奏だから。今週末、蓮町家は拠点を祖国の日本に戻す。元はスクラップと産業廃棄物を扱う家族経営の業者で、単純な廃棄が難しい分野に半世紀以上食い込んできた。例えば、核施設の廃棄物とか。海外拠点を長年切り盛りしてきた蓮町曰く、そういった日本の研究事業に比べれば、ここでやっていることは『お遊び』だったらしい。一旦話が決まった後は、全てが猛スピードで動いた。この家も買い手が決まっていて、家政婦はそのまま新しいオーナーの元で働くが、護衛はもっと単価の安い『強面の運転手』程度の人間が別で決まっている。つまり、自分も含めて四人は、一旦職を失う。家の中に常駐している二人はセキュリティ会社からの派遣で、来月からは船に乗るという。
 理緒が二階へ上がっていったことを確認すると、冬本はスマートフォンを取り出してメッセージを開いた。自分と同じフリーランスの護衛。つまり、失職組。
『お嬢の演奏会、終わったっすか? 最後の仕事、やっちゃいましょー』
 弓削は三十二歳で、理緒が恥ずかしがって目を見て話せないぐらいに、整った顔をしている。対して冬本は、神様が余興で適当に作ったような彫りの深い強面で、理緒にはよく『同じ生き物に見えませんね』と笑われた。背は百八十センチちょうどで同じだが、弓削がその長身を羨ましがられるのに対して、冬本は横幅がある分、熊に例えられて終わることが多い。でこぼこコンビの護衛。十年続いた一番の理由は、二人とも理緒から懐かれたというのが大きく、二人合わせて『フユゲ』と呼ばれてきた。理緒が中学校に上がってからは使われなくなり、冬本は『お冬さん』、弓削はそのままの名前で呼ばれている。
 添付された座標の位置を確認した冬本は、返信を両手で打ち込んだ。
『三十分後に合流する』
「お前がスマホを両手で持ってたら、ゴリラみたいだな」
 横から声がかかり、冬本は視線を向けながら小さく頭を下げた。蓮町聡、四十五歳。理緒の父親にして、この家の主。広義の実業家だが、その実態はスクラップ工場を拠点に裏から手を伸ばす、暴力団より性質の悪い存在だ。
「いつもは、熊と言われるんですが」
 冬本が言うと、蓮町は歯を見せて笑った。三歳年上なだけだが、そのやせ細った体は不健康そのもので、冬本と並ぶとほとんど老人にすら見える。
「今日はゴリラだ」
「承知しました。では、そろそろ時間なので」
「おう。戻ってきたら、話がある。一人で来い」
 冬本はうなずいて同意を示すと外に出て、シルバーのマーチに乗り込みエンジンをかけた。弓削が指定した場所に向けて走り始め、慣れた景色が流れる中でも、常に頭の中から消えない心配。それは、失職する自分の身ではない。付き合いが長い弓削にしても、金を稼ぐ手段なんてものは、どこにでも転がっている。問題は、十六歳になる理緒が、その人生のほとんどを海外で過ごしている上に、日本人学校での友達付き合いを今更リセットする羽目になるということだ。蓮町は地元に戻るらしく、理緒は県立高校の一年生として二学期から編入することが決まっている。新しい家は今の豪邸よりスケールダウンするものの、立派な門構えの一軒家で、海外仕様のパニックルームも用意されている。ただ、その生活様式の転換はあまりにも急だ。十年間、学校の送迎をしてきたが、日本ではどうするのだろうか。いくら日本とはいえ、世間知らずに電車と歩きは危険すぎる。とにかく、心配は尽きない。頭を切り替えると、冬本はネオン街の路地にマーチを滑り込ませてしばらく進み、地下のタトゥーパーラーへ続く階段の前で停めた。
 弓削は単刀直入な男だ。雇い主である蓮町は『親分』、護衛対象の理緒は『お嬢』。仕事用の車は『アシ』、私物のフォードフォーカスは『クルマ』、護身用のグロック36は『サンロク』。何でも簡潔にまとめる性格で、文句がある相手もわざわざ呼び出したり、凝ったお膳立てはしない。突然、何の警告もなく相手の軒先に現れる。そして、その時は相手にとっては、もう手遅れだ。冬本がメッセージを送ると、中から鍵が開く鈍い音が鳴った。冬本は中へ入るなり、もやがかかったように漂う血の匂いに顔をしかめた。最初に死んだのは彫り師で、おそらくドアを開けたときに弓削が頭を撃ったのだろう。左目が空洞になっている。二人目は床に寝かされた彫り師の妻で、見えている部分のほとんどが痣だらけになっていた。エプロンを巻いた弓削は額の汗を拭い、ぎょろりと開いた大きな目で見下ろしたまま、冬本に言った。
「ちいっす」
「遊んでんな。さっさと殺れよ」
 冬本が言うと、弓削は肩をすくめた。
「ははは、本人聞いてんのに。ひでえっすね。まあ、言葉分かんねえか」
 弓削は足を上げると、彫り師の妻の頭に沿わせるように一度狙いを定め、鉄板が入った靴底を叩きつけるように打ち下ろした。顎が砕けて血を纏った歯が飛び出し、二発目が完全に右頬を陥没させた。三発目と四発目で右目が破裂して飛び出し、誰の目にも死んだことが分かるぐらいになった。
作品名:Shred 作家名:オオサカタロウ