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雑草の詩 6

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 十二月、暮れも押し迫った慌ただしい日曜日の夕方、販売所近くの居酒屋に六人の仲間達は集まっていた。
 父が真悟の部屋を訪れてから二カ月が過ぎ、やっと家へ帰る決意をした真悟の、今夜は送別会だった。

 「えェー、今夜は、坂口真悟君の送別会です。皆で楽しく飲み食いして、坂口君を送り出しましょう。
 それじゃ、乾杯!」
「乾杯!」
 にぎやかな梅木の音頭で、皆一斉にグラスを合わせ酒を飲み干した。
「えェー、今夜の送別会は、みなさん、何も気にせずにどんどん飲み食いしてください。勘定は、村井が持ってくれるそうですから。」
「嘘やっどが、金はねど。
 みんな、そや、嘘やっでね。金は、梅木さん持ちやっど!」
 いつもの梅木と村井の有様に、外の四人は呆れて相手にもせずに飲んでいる。真悟の隣に座っている森は、空になった真悟のグラスにビールを注ぎながら話しかけた。
「本当に良かったよ、家へ帰ることになって。」
「有り難うございます。森さんにはなんと言っていいか‥‥‥。」真悟は森に向かって深く頭を下げた。
「おいおい、止めなよ、何もしちゃあいないよ。
 でも、良かったよ、本当に。」森は真悟の肩を叩いて、なみなみと注がれたビールを喉を鳴らして飲み干した。そして、ニコリと微笑んで、真悟にも飲み干すように促した。
「で、どうするんだ。家に住むのか、学校行くまで?」
「家、大学の近くにアパートを探すつもりです。
 家に帰るのは、まだ、ちょっと‥‥」
「そうか、でもまあ、一年寄り道したけど、これも良い経験にするさ。大学行ったら、真面目にやれよ。」
「はい、やります。」森の言葉に、真悟は心からそう答えた。
「けど、いいなあ。もう道は一本だ。突き進むより他ないな。後は、一日も早く幸恵さんと出会えるよう、俺達も祈ってるよ。」
 梅木と村井は、相変わらずにふざけ合っている。内山や塩野まで巻き込んで、あんまりあたり構わず大声を出すものだから、とうとう店の人に怒られてしまった。そして今度は、二人とも高校を出たばかりの内山に説教されている。
「そんなに怒るなよ、内山。それより、今日の主役を忘れてたよ、なあ、村井。」
「そうそう。坂口、頑張っせぇ、はよ医者になれよ。そしたら、オイはタダで診っくれな。」
「オイ、村井。おまえ、怖くねぇのか、坂口に診てもらうの。
 俺は心配だなあ。」
「うんにゃ、梅木さんに診てもろとからすれば、月とスッポンやっど。」
 また始めた二人だった。

       第 四 章

         1

 この地上には天国がある、地獄もある。盛者必衰は、この世の習わし。天国と地獄は紙一重になっていて、良いことばかりは続かない、勿論悪いことばかりも。良いこと半分悪いこと半分、それで暮らして行けたなら、こんな幸せなことはない。
 幸福が多ければ多い程いいに越したことはないけれど、良いことや悪いことが繰り返されるから、人生は面白くなる。良いことばかりじゃ、つまらない。
 もしも悪いことばかりなら‥‥‥、いっそ死んじまった方が早道、かも知れない。

         2

 『たったひとつの
  悲しみ持てあまし
  自分の命絶つ人の
  心が今は分かります

  ほんの僅かな 幸せあれば
  笑って生きてもゆけるでしょう

  けれど 今の私には
  この悲しみが全てです』

 薄暗い電燈に照らし出された壁には、いたるところにシミや汚れがあった。ガタガタと窓ガラスは風に震え、隙間からは冷たい空気が吹き込んで、部屋の中を意地悪く凍えさせていた。
 台所も何もかもが一緒くたに詰め込まれた四畳半、可愛いカーテン、小さな食器棚、テーブルに、数冊の本がのった机、必要なもの以外には、生活に潤いをもたらすものなど何一つないキチンと整理された四畳半、それが幸恵に与えられた唯一の憩いの場、オアシスだった。
 牛乳ビンに生けられた、名も知らぬ花の置かれたテーブルにノートをひろげて、真悟の家を出てようやく落ち着いた頃に書いた、詩のような詩でないような文章を幸恵は懐かしく眺めていた。
 幸恵にとって、過ぎ去った真悟との暮らしは天国そのものだった。後にも先にも、何の苦労もなく暮らせた日々はあの時をおいて他にはなかった。真悟の瞳はいつだって幸恵に向けられていたし、幸恵の瞳も、真悟のそれに答えることができた。一人じゃなかった。いつでも二人だった。まるで、幸せがアチコチそのまま落ちている、そんな風にさえ思えるほど、それは、幸せという言葉さえいつしか忘れてしまう程の毎日だった。
 良いことばかりは続かない。そう、良いことばかりは続かない。真悟の家を出てからの幸恵の生活は、まさに地獄だったのだから。

 真悟の家を着のみ着のままで飛び出した時、幸恵の手元には貯金やら何やら合わせても、十万を越す金は残されてはいなかった。真悟の母から渡された金も、血の出るような思いで受け取った幸恵は、封も切らずにあの老父人の施設へと送っていた。
 幸恵が最初に勤めたのは食堂だった。次に勤めたのはパチンコ屋。悪いことはいつまでも背中にへばり付いているかのように、行く先々で彼女の邪魔を繰り返した。
 食堂でもパチンコ屋でも、男達の視線は彼女を捕えて話さなかった。美しく生れたことが不幸なのか、皿洗いをしていた食堂でも、取り巻く男達に嫉妬した女達の反感を買う形になって追い出され、パチンコ屋でもしつこくつきまとう客の嫌がらせや何やらが原因となり、主人から不当な解雇を言い渡されていた。
 彼女はどんなときでもナリ振り構わず懸命に働いた。足下を見られたかのような安い賃金で、重労働を強いられることも度々だった。しかし、彼女には職種を選ぶゆとりもなく、働かせてくれるところならどんなところでも身を粉にして働くより他に手段はなかった。相手の方にしても、その辺のところは十分承知しているのか、最低の条件を示す。元より是非を言える道理もなく、彼女は唯々働き続けた。
 そんな幸恵にも、味方が無いわけではなかった。けれど心の内を打ち明ける手段の限られた彼女には、自分を理解してもらうに足る十分なだけの時間を持つことができなかった。いつも生活は彼女を追いかけ、そうして、敵は余りに多すぎた。
 限られた職種を手探りで探し求め、全くハンド・トウ・マウスの日々を送りながらも、やはり天使のような微笑みだけは失うことはなかった。けれど、その微笑みの中に、次第に陰りが見られるようになったことを、付け加えて置くべきだと思う。

         3

 幸恵がたまの休日に出かけて行く場所が二つあった。ひとつは真悟と共に暮らした街であり、もうひとつは彼女を心から心配してくれるあの老婦人のいる施設だった。しかしそれらの街の空気に僅かに触れただけで、彼女の足は直ぐ様逆の方向へ向けられた。彼女に与えられた愛情と満足の周りを包んでいた空気に触れることは、彼女にささやかな安らぎを運んだ。けれど、そこへ入って行くだけの勇気もなく、いつも途中で引き返す。そこには真悟に逢いたいという気持ち、逢ってはいけないという気持ち、もしも真悟に忘れ去られていたらといった恐れ、その他様々な思いが、風に揺れる小枝のように揺らめいていたのだった。
作品名:雑草の詩 6 作家名:こあみ