悠々日和キャンピングカーの旅:⑤山梨県の旅(白州、河口湖)
■旅の初日(3月21日)
携帯で「雨雲レーダー」にアクセスして、今日の行動範囲の天気予報を時間の経過モードで見ると“晴れ”、昨日の天気予報どおりで嬉しい。この確認が、旅に出る日や旅に出てからの朝の最初の行動で、今風に言うと“旅の朝のルーティーン”だ。そして「出発当日の準備リスト」を用いて旅の準備を終え、助手席に妻を乗せ、9時頃に自宅を出発した。
妻には、山梨方面に向かうと説明し、R1(国道1号線)を東に走り始めたのだが、やはり、行先を知りたがっているので、予め考えたルートを説明したころ、「何もない所は“イヤ”」と一蹴され、「イヤなものはイヤ」という妻のはっきりした性格に逆らっては、この夫婦の「キャンピングカーの旅」がつらい時間になってしまうため、行先を再考する余裕が欲しくなり、道の駅「かけがわ」に立ち寄った。
当初の予定では、R1からR150を走り、静岡市清水区の「三保の松原」で「羽衣の松」を見て、その海岸からの駿河湾越しに富士山を見る。そして、清水港あたりで昼食(海鮮丼)。その後はR52を北上して、富士川の支流の早川沿いの県道を遡り、奈良田温泉にゆっくりと浸かって、そのあたりの駐車場で車中泊する予定だったのだが、妻にキャンセルされてしまった。
確かに、南アルプスの東側の谷の道の奥の鄙びた温泉に入るだけなので、妻の言い分も分かる。素直に見直すことにした。
妻が準備してくれたおにぎりを食べたが、ちょっと少なかったので、朝食・菓子・夕食用のウィンナーを購入。この道の駅のウィンナーは美味い!
多くのバイクが停まっていた。今日はバイクのツーリング日和、そしてキャンピングカーの旅日和。啓蟄の2週間後の春分の頃は、皆、そわそわと動きまわるものだ。結局、R52を北上して甲府盆地方面を目指すことに決めて、道の駅を出発した。
掛川バイパス、日坂バイパス、藤枝バイパスと続くR1には信号がなく、スムースに走れるのだが、ウィークデーはいつも慢性渋滞だ。休日はドライブのクルマによる渋滞もあり、現在、拡張工事が進められているが、今日も既に渋滞気味だ。
このままR1を走るのは時間の無駄になるため、大井川の手前の島田金谷ICから新東名に乗った。この高速の制限時速は120km/hだが、私にとって、最も安全且つ安心するキャンピングカーの巡航速度は80~100km/hなので、マイペースで走った。すると、後ろから追い付くクルマにどんどん抜かれてしまうのだが、全く気にならない。
以前は、オービスで違反を検知されないような速度で走っていたが、キャンピングカーに乗り始めてからは、そもそも高速でガンガン走るようなクルマでもないし、運転席が高く景色を見ながら運転できること、タイヤに負荷を掛けないこと、3tの重量を考慮してアクセルを強く踏まないこと、そんな理由で、のんびりと走るようになってしまった。
それに、動体視力も次第に低下していて反射速度が遅くなっているだろうし、更に、先を急いで走るのは、短くなってきた人生のゴールへ急いでいるような気がして、のんびりと走るようになってしまった。
新清水JCTから中部横断自動車道に入り、完成している道路の北端の南部ICから身延道(R52)へ、そして道の駅「なんぶ」に立ち寄った。ここは将来、高速のSAとR52に面する道の駅の共有施設になるのだろう。道の駅のショップの入口近くで、鮎の塩焼きを販売していた。私は川魚が好きなため食指が動きながらも買わなかったが、半世紀以上も前の事を思い出した。
母の実家は、大分県の駅館川(やっかんがわ)の直ぐ近くにあり、畑を歩いて10mほど下ると、川の畔に出る。そこにはコンクリートで作られた生簀(いけす)があり、捕った魚が入っている。その辺りは、小さなダム(堰)の少し上流のため、1年中、豊富な水量だ。二人の大人が乗れるくらいの大きさの、櫓で漕ぐ川船があり、伯父が投網で魚を捕っていた。
私がまだ小学生の高学年の頃、かなり年上の従兄(いとこ)が、その船に小さな船外機を取り付けて、弟と私を少し上流まで乗せてくれたことがある。スリルと面白さが交錯した想い出だ。
母の実家ではいつも、川の恵みを食べさせてもらった。川魚の煮付け、素揚げした魚に三杯酢掛け、刺身、食用ガエルの腿(もも)の部分の刺身、鯉こく、鯰(なまず)の味噌汁、等々をよく食べた想い出がある。
その川は足が着かない深さだが、川の中央に橋脚が三つ残っており、その辺りは少し浅くなっているため、そこまで泳いだものだ。いまだに、橋脚が残っていた理由は知らないままだ。
その頃のことを想い出していると、川面に続く少し湿っぽい階段や川の匂いの記憶が蘇る。