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2004年5月・結婚式の様子に少し変化が出てきた頃…

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《2004年 5月》
結婚式の形が少しずつ変わって来たのを感じられる頃です。

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◆5月14日/最近の結婚式事情は

このところ、私の年齢のせいか葬儀に参列する事は多くても、結婚式に呼ばれる事がめっきり減りました。ご祝儀を包まなくて良いので助かる…などと無粋な事は言いませんが、どこか本音かも知れません。

ところで、この10年くらい前からは仲人さんがいない結婚式が増えていて、挙式と言うのは 「二人だけのセレモニー」のイメージが定着してきました。仲人さんが新郎新婦の紹介をする光景は、ある意味、時代遅れで野暮ったい感覚でしょうか…。

長い間、日本の婚礼儀式の中で、仲人と言う特殊な存在がありました。我々が結婚した頃(24年前)は、仲人を立てるのは全く当たり前で、誰にお願いしようかと人選するのが普通だったし、頼まれる側も、何回目の仲人だ…と自慢にもなっていたことでしょう。

そんな中、披露宴でおなじみの光景であるウエディングケーキは、勿論ヨーロッパからの伝承でありますが、何と起源はローマ時代までさかのぼるとの事。

その頃、栄華を享受していたローマ帝国の裕福な家庭では、特にケーキは“豊かさ・幸せ”を意味していました。花嫁・花婿ばかりでなく、参列している客にも食べて貰いました。参列者は、自分達もそんな幸せが訪れる事を願いつつ、ケーキを食べたとか…。

ところで、英語のCAKEは、もともと平たく丸いパンの意味。小麦粉を牛乳でこねて、かゆ状にしたものを平たくして丸いパンと同じように作りました。その後、時代とともに次第にデコレートしていき、お祝い用に華やかな形になって行ったらしいのです。

現代のウエディングケーキと言えば、見上げるような高さではありますが、本当のケーキの部分はナイフを入れる部分だけとは、誰もが知っているところでしょうね。

我が社が扱っている風船の中で、ヘリウムガスを入れた風船を参列者各人に1個ずつ持ってもらい、ウエディングケーキを中庭へ出して、入刀と同時に空に向かって一斉に風船を上げる演出なども増えています。

また、キャンドルサービスの変わりに、テーブルの上に小さいハート型の風船を入れた30cmほどの風船を立て、二人がテーブルを回って割って行く演出の注文も時々入ってくるのです。

早い話、昔ながらの文金高島田はほとんど影をひそめ、チャペルにドレス、レストラン感覚のハウスウエディングが主流になってきていて、そんな風潮に対応できない式場は苦戦を強いられるに違いありません。

主役はやはり二人なのです。そして特に女性の意向が大きく入ったセレモニーが幅を利かせているのは間違いありません。

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◆5月18日/仏の顔も三度
 
タイトルの意味は「仏の顔も三度撫でれば腹が立つ」の省略形。つまり三度も「撫でる」行為を行う事です。仏様は拝むもので、いくら温厚な仏様でも、顔をツルツル撫でられたのでは怒り出す…と言う意味で、失礼に決まっています。

このところ日本国民は、国民年金問題で思わぬ政治不信を抱いています。コマーシャル出演した女優の年金不払いで端を発した話題が…実は……

1度目/年金不払いは、現閣僚のみならず福田官房長官と言う政府代表者にも及んだ。
2度目/それを批判した民主党・菅代表も実は同罪だった。
3度目/その後、続々と国会議員の未納者が発覚、相当の大物議員も含まれる。

ここまでが国民にとって「仏の顔も三度」だったでしょう。福田官房長官の辞任で先手を打たれた民主党は、菅代表のシブシブの辞任で何とか凌いだようです。

もう既に三度も顔を撫でられた国民は、そこから以降は完全に怒り心頭でなければ、政治家・官僚にいいようにやられている行政を認可していると思われても仕方がありません。こんな馬鹿げた政治・行政を作り上げた政党政治を、日本国民として許してはいけないでしょう。

そして、何と三度どころではない事態に発展中。

4度目/未納者続出の国会議員が、国会で国民年金法案を可決した直後に、公明党3役が過去の未加入・未納を発表。さらに厚生副大臣も…。オイコラ! 

5度目/そして小泉首相が、義務ではなかったとは言え、やはり未加入による未納期間があったようで、しかも「政治責任なんて全くない」と豪語。

民主党は7月の参院選の切り札として、小沢と言う強力なカードを切った、…ように見えましたが、同じ穴のムジナだったのです。

しかし、《福田×菅》の構図とは逆に《小泉×小沢》を狙った作戦にも思えます。小泉・自民党はその矛先を北朝鮮訪問と言う次元の違う話題で切り抜けようとする腹づもりも見えます。そんな事に拉致問題を利用するな!

そして、6度目が起きてしまいました。
6度目/自民党は自民党議員の年金加入に関する資料は発表しない? つまり知らんぷり。そのうちに話題から消えるだろうとでも思っているのでしょう。日本の法律は議員や行政に都合よく出来ているようです。

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◆5月24日/街の様子が様変わり
 
昨日、野暮用で親和銀行佐賀支店の窓口に行きました。その際、ロビーに於いて「懐かしの佐賀の街写真展」として、昭和30年代の佐賀市の当時の商店街写真が400点ほど貼ってありました。昭和30年代というと、我々団塊の世代が小学生~中学生くらいの年代です。

その写真で見る当時の商店街は、はっきり言って「その頃は、そんなにボロで貧しい雰囲気だったのか…」と驚かされました。確かに私もその頃はその場所に住み、その場所で遊んだはずです。

勿論、誰もが子供時代は、貧富の差や家庭の良し悪しなんてのには無頓着で、その生まれた環境に順応するものですが、それにしても雑然とした商店街だったのです。

ふと思ったのは、「この風景は戦後10数年経った頃…、戦前はどんなだったのだろう?日本はこんな状態でよくアメリカと戦争をしたもんだ。」と、戦前の日本と言う国の稚拙さを感じさせられました。他国の情報もほとんど知らされず、神国・日本の妄想に踊らされたのでしょう。

さて、それでも昭和30年代は、買い物といえばそんなみすぼらしい商店街しか無かった事もあって、結構な人出だったのが分かりました。今の同じ場所(商店街)に比べたら数段と賑やかで、確かに活気らしきものは感じられたのです。まだアーケードが出来る前の様子が余計に古臭い姿でした。

その写真に写っている車はT型のタクシー、三輪のトラック、ボンネットバス……映画『張り込み』の撮影の様子も数枚ありました。そして、佐賀市でも「七夕まつり」が数年は続いたのを覚えていて、その模様を思い出させる写真もあったのです。

この10年来、確かに中心商店街はさびしい限りですが、しかしあの頃のように、どんなにボロっちい建物や看板類であっても、商店街に買い物客がいてこそ商店街と言えるのではないでしょうか。