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2004年2月、そろそろ道州制の話題が出ています。

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《2004年・2月》
平成の大合併が進行中、そんな中に道州制の話題が出ています。

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◆2月1日/活版印刷…今は昔?
 
今朝の朝日新聞・佐賀県版に、伊万里の活字印刷名刺店が閉店すると言う記事がありました。20年ほど前までは新聞をはじめ、ほとんどの印刷物は活字を拾って文字を作っていました。

鉛を掘り込んでの文字は、今思えば芸術的な出来ばえであったと思えます。同じ書体でも大きさが違えば当然一文字ずつ活字が要るわけで、数千字もある漢字の数を考えたら、気が遠くなるような文字数なのです。

その活字を拾う多くの職人さん達が、新聞社や印刷会社で働いていました。タイトルや写真などを間にはさみながら、一つ一つ組み込んでいく作業は、やはり一朝一夕では出来なかったに違いないでしょう。
 
活字はグーテンベルグの発明から400年くらいは印刷物に大きく寄与して、人間の文化発展を支えてきました。人間の智恵の一つの象徴である言葉を、記録や伝達方法の具体的な形にした印刷技術は、蒸気機関やダイナマイトや自動車の発明と同等に扱って良いのです。

20年~10年くらい前に、写真植字と呼ばれる方法で、印刷する文字の文化が一変しました。透明のガラスに、フィルムのネガに文字を張ったような文字盤の下から写真の印画紙に写し、それを製版して印刷するようになりました。

レンズのサイズを変えることで、文字のサイズもある程度の範囲で変えることが出来たので、同じ書体であれば1枚の文字盤で事が足りたのです。

しかし、この10年ほどは、それこそコンピュータが幅を利かせ、印刷方法も更に大きく変わり、写真植字の文字はその短い貢献期間(10数年)を終えているのです。

今日の記事で驚いたのは、前時代の遺産のような活字を使っての印刷がまだ生きていた…と言う事。勿論、それを否定する訳ではありませんが、今は仕事としては成り立たないでしょう。

先人の智恵の産物として、むしろ博物館あたりに置かれているような道具だと思えます。廃棄処分などしないで、一般公開してもらいたいものです。

30年近く文字に関わる仕事をしてきた私とすれば、活字文字でも写植文字でも、コンピュータ文字に比して、文字自体に温かみがあったと感じます。筆で書いたような文字にこそならないが、英文字でも日本文字でも一文字ごとに、作る人の思いがこもっていた感じがするのです。

デジカメの写真は、フィルムを使った従来の「人間味ある」写真には勝てない最近の写真事情と同様に、見た目の優雅さにおいてコンピュータ文字はアナログ文字に勝てないでしょう。便利で、今の時代の象徴として大きな存在ではあるのですが…。

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◆2月5日/道州制と北海道
 
このところ、国の施策に追い立てられて、やたらとあちらこちらに「市町村合併」の話が持ち上がっています。そして、何故かその協議の半分以上が物別れになっているようで、各自治体の思惑が見え隠れしているようです。

平成の大合併構想は、国からの地方交付税の削減のために始まった訳ですが、昭和の大合併と根本的に違うのは、国民が国に対しての思い入れや考え方が当時と比べて大きく変わっている事。

そして周辺からの情報量が格段に多い事…それによる「にわか物知り」が増えて、自分の意見と知識を持っている人間が多くて主張も多いのです。

江戸時代から決められていた藩は、明治4年に明治政府が行った廃藩置県により、地方自治体として3府72県に統合されてスタートしました。

しかし北海道については、室町時代以前に大和民族に追い立てられたアイヌ民族が各地に集落を形成、それも室町以降に日本人が渡り住んで、江戸時代からは松前藩とはなっていましたが、廃藩置県の際にはまだまだ未開の部分が多かったのか、県にはなっていません。

明治時代になって、一気に移住者が増えて、開拓計画も増えたのです。それまでの蝦夷という名前を北海道と改称。明治19年に内閣直属の北海道庁を置き、他の府県とは異なった行政の仕方になりました。

そして、太平洋戦争後の昭和23年に初めて他の府県と同格の地方自治体となっています。(県ではなく、14の支庁に分割 )

ところで、アメリカのカリフォルニア州は日本全体の面積よりも広いのです。勿論、アメリカにも狭い州はあるのですが、日本の場合はあまりに狭い範囲で県単位に分かれている感じがします。日本の面積の20%ほどの北海道が、1つの県としての広さが丁度いい位かも知れません。
 
現在の日本の中央集権を是正するにおいても、日本全体を8~9区分しての道州制は、地方に住む不利な点などを気にしなくても良いと言ったような国民の平等性においても必要ではないでしょうか。

今日のメディアの発達で、情報面においての地域格差はそんなに感じないとは思われます。とは言え、まだまだ施設や交通の面では格差が大きいものの、道州制の議論があっても良さそうですが、どうでしょう。

「平成の大合併」が、道州制への引き金になってくれる事を望みたいのですが、その前に小さな市町村単位での合併がままならないようでは先が長いと言うか、話題にもなりませんかね。

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◆2月8日/新幹線と在来線

約1ヶ月後の3月13日、南九州(新八代~鹿児島中央間)に九州新幹線が部分開通します。本来なら、中核都市の福岡からスタートして南へ伸びて行くのが普通なのに、反対側が先に出来るのは、恐らく初めてのケースらしい。

誘致した小里代議士は、「南の受け皿が出来ていれば、中心地からの建設も早まるだろう。」と語っているようです。

確かに新幹線が開通したら、見かけも良くなり、移動時間も大幅に短縮するでしょう。新しい駅舎の建設や周辺環境の整備など、一時期にでも建設需要は伸びて、その地域の活性化に役立ちそうです。

第一、都会地から人が訪れて来て、新幹線停車駅のある街は大いに賑わうようなイメージが持てて、期待感いっぱいでしょう。

しかし、人口が少ない地方の場合は、浮かれてばかりいられない事柄が多すぎます。むしろマイナス部分の方がずっと大きい事が既に事例として出てきているからです。

ほぼ同時期に進行して、既に1年前に開業した東北新幹線の盛岡~八戸間で、人口が約28、000人の二戸市では、それまで以上に衰退しているようなのです。鉄道在来線は第3セクターの運営に変わり、客が少ない分の値上げ幅が大きく、住民の不満が出ています。

その赤字分は税金で補填するものの、新幹線建設費用の33%を市としての負担下ことに加えて、更に新駅周辺に従来型の「箱物」も作った為に、早くも2重の債務に苦しんでいるようです。