「検食」だけではすまなかった
部長は私の口の中を覗いて、
「ハハア、これか。これはだいぶ深いゾ」と言った。
助手は研修医かもしれない。
「ハイ」と相づちを打っている。部長は私に
「これ、だいぶ深いですネ。神経抜きたいんですけど、麻酔していいですか?」と聞いた。
麻酔しないで神経を抜くとどのぐらい痛いのか、質問したかったが、バカだと思われるのもシャクなので、
「ハイ」と答えた。部長は
「シンマ」と助手に命令した。
〈シンマ?? もしかして、心臓マッサージのことか?
いやそんなはずはない。私の心臓はまだ止まっていない。
そうか、浸潤麻酔のことか!〉と納得した。
寿司屋でも客の前では符丁を使うが、内科医の私には、はじめての言葉だった。
助手は「麻酔します。少し痛いですよ」と親切に予告する。
歯科の麻酔注射(キシロカイン)のアレルギーで死んだ人がたくさんいる。
私がここで死んだら、残された猫やたくさんの患者さんに迷惑がかかるだろう。
しかし、麻酔注射をしないで神経を抜かれたら、私はもっと迷惑だ。
死んだ気になって、「ハイ」と返事した。
作品名:「検食」だけではすまなかった 作家名:ヤブ田玄白