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吸血鬼の椅子

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「お伺いした限り、確かに寿命が近い状況のようです。ものによってはいくらでももつものもありますが、あの椅子はもう寿命かもしれない。なおすとなると、かなりの荒療治になります。それで治らなかったら、できるだけ保たせるようにさせて頂いた上で、今の所有者からあなたに譲るというのも一つの手かもしれませんね。確か旦那様は、あなたとは年が二十以上離れているはずだから──人の身で二十年というのはさすがに大きい。私から旦那様に進言するつもりはありませんが、修理の間に、私がこう言っていたとあなたのご主人にお伝え頂くことは自由です」
 でももし手に入ったとしても、じきに駄目になってしまうことを覚悟なさってくださいよと言う家具職人に、執事の方は笑って、寿命が近いといっても私の老い先とどちらが短いか判りませんからと答えた。
 家具職人が出立の準備をはじめた気配が暗闇越しに伝わってきた。どうやら急を要する事態であるらしい。老執事は何も言わずに家具職人の支度を待っている。表には家具職人を乗せるための車が控えているのかもしれない。行きましょう、と家具職人の声が遠くで聞こえて、暗闇が水のように揺れる。
 移動の手段というのも様々で、古くは徒歩だったものが馬になり、馬車になり、それから馬が取り払われて単体で走る自動車になる。椅子は置かれてからその場所を動くことはなかったが、相変わらず人や車は動き回っているようだった。それも着実に進歩をとげながらだ。老執事と家具職人がシートに収まり、修理道具が家具職人の膝に納まると、誰も、何も言わないうちに静かに車が動き始めた。少し前までスターターを入れるとぶるぶるとシートが震えはじめたものだが、それすらない。
 吸血鬼の椅子というのは、と家具職人が──多分前の席にいる執事に向けて──話し始める。
「それなりに扱いが難しいものです。ましてや、今回のように寿命がつきかけている家具に関しては。事故があってはいけませんので、どなたか二、三人、手をお借りすることはできますか」
「手の空いている使用人に声をかけてみますが」
 しかしそれほど大事なのですかと執事が言った。
「この間、カスリーンが誤ってナイフで切ってしまったときは、先生のお手を煩わせましたものの、すぐに治ったじゃありませんか」
「あれは単なる傷ですので、心臓の桶で足ります」
 当然のことの様に家具職人が言った。
「今回お伺いした症状は頭の桶でないと治らない。その場合、念のための人手がいる。先程お伝えしたのは治らない可能性についてでしたが、治る方の可能性の中には、元に戻りすぎる可能性もあるのです。そうすると具合が良くない」
「そういうこともあるのですか」
 判ったような判らないような答えを返して執事が黙り込んだ。できることなら旦那様にもご同席頂ければと家具職人が続ける。
「これで駄目だったら寿命ですから。諦めて頂くためにも是非。いくらクリームを塗っても何だか皮がびちゃびちゃして、中の銀糸が出て来てしまう。この現状がもう少し進行すると、今度はゆっくり肉が崩れていく。全体が嫌な臭いを発しはじめて、肌全体が変色して膨張する。最終的にクッション部が全て溶け落ちてしまう。一応心臓の桶の方も持ってきてはありますが、多分こちらではどうしようもないです」
「主人も、先生のご到着を今か今かとお待ちです。駄目になってしまったら、私が贖わせて頂きますから」
 狭い車内で口を開くのは執事と家具職人だけで、二人の会話を聞いているはずの運転手は何も言わなかった。もしかしたら最初から運転手などいないのかもしれない。そういう車があってもおかしくはない。馬車を引く馬が魂のない鉄と油の駆動系になったように、馬車を走らせる御者も室内に収まり物思う機械になり果てているのかもしれない。車に揺られて心臓が波立つ。吸血鬼の椅子を作るには桶が必要だ。車のエンジンとは異なり、主に木と聖水でできていて、その機構も比較的単純だ。
 ──半水式といって、
 荷物と同じ後部座席に座った家具職人が、いつか、吸血鬼の椅子について丁寧に説明していたのを記憶の中から探し出す。
「桶の半分まで聖水が張ってある。もしかしたら入れなくても良いのかもしれないけど、昔からの慣習だし、実際聖水は効くからね。一応、蓋の機構で外には入れないようになっているけれど。半水式の良いところはメンテナンスがしやすいことだ。吸血鬼の家具はそれ相応に希少だし、値が張るから手入れもできるかぎりやった方がいい。手入れしないとすぐ駄目になる。もっとも頭の桶を使ったメンテナンスが必要なときは家具の寿命がつきかけているときだから、出してきても駄目なことが多いんだけど」
 誰に説明していたのだろう、というのはこの場合野暮だ。というのも、この家具職人は新しい家具を作る段には必ず誰かに向かって、ときには(というよりほとんどの場合)誰もいない虚空に向かって喋る癖があるからだ。自宅兼工房の家具職人の元に訪れるのは大半が家具の注文者や修理依頼者で、彼のお喋りに聞きに来るだけの近しい友人や血縁などはいないらしい。静まりかえった工房の中で時折桶につけられている皮がごぼごぼと声を上げていることもあったが大したうめきではなかった。相手がいようといまいとお構いなしに喋り続ける家具職人が若干砕けた口調なのは、桶の他に彼の話を聞くものがないからに違いなかった。
「心臓の桶もこれと同じだよ。ただ、中に入れるものについてはちょっと細工がある。こっちみたいにまるのまま放り込むんじゃなくて、なんというか、糸を通すんだ。銀の糸だね。カテーテルみたいな感じ……あれは管か。強度もそれなりにあって、通し終えたら桶にしっかり結いつける。使う分には問題ないけど、万が一心臓だけ持って逃げようとしても、血管の中に通された糸が心臓をずたずたにしてしまうようにね。杭ほどではないにせよ、まあ、致命傷だ」
 そうして今度は家具の作り方についての説明がはじまる。家具を作るたびに何度も聞かされる話だったが、一つ一つ作りが違うせいか聞いていて飽きることはなかった。家具職人が作るのはもっぱら特注の椅子だ。依頼主から要望を聞き取り、型と意匠を決めて、まずは椅子の骨格となる銀の基礎を鋳造する。次に皮の選定と解体、貼り付け、場合によっては特殊な糸で数体分を縫い合わせながら、数ヶ月、場合によって年単位の時間をかけて一つの椅子を完成させていく。
 新しい椅子をご注文なさろうという気はないのですか、と車の中で家具職人が執事に言った。
「そうすれば難しい交渉をなさる必要もないでしょう。カウチソファが人気ですが、大きなものでは困るというならスツールからでも。あなたの好みでお作りできます。椅子の皮の種類も、特別な皮をお求めでなければ選ぶことができますよ」
「新しい家具など、滅多なことでは」
 一瞬の躊躇があって、このご時世なかなかに難しいでしょうから、と執事の声が答えた。ところがそうでもないのです、と家具職人の声に力が入る。
作品名:吸血鬼の椅子 作家名:坂鴨禾火