2003年2 月、たまには小噺(こばなし)が面白い
私達の年齢=団塊の世代、20世紀の後半に生きてきた人間にとって、21世紀と言うのは夢のような世界に違いないと思っていました。ビルの間に空中回廊のような歩道が渡り、自動運転の車で移動する…手塚治虫の漫画の世界がまさに21世紀の姿に思えていたのです。
鉄腕アトムに描かれていた都市景観は、疑いもなく19700年代の頃までは未来都市の姿でした。しかもそれは21世紀になったら実現するに違いない…との漠然とした思い入れもあったのです。我々が中学生・高校生の頃に考えていた21世紀の都市空間は、実は西暦2003年と言えば、もう立派に出来ていなければいけない時期です。
何せ米国のアポロ宇宙船が月面に着陸して、その頃の勢いからして50年後くらいには、本当に漫画に出てくるような景観が間違いなく実現しているような、大きな発展が見込まれていたと思います。
そして月面着陸から30数年。はたして実態は…と言うと、何だか当時とそんなに変わっていません。ビルの高さとか、都市高速道路とかは確かに増えていますが、生活する気持ちのレベルはむしろ低下しているようです。
1から10まで進展する事はない…との証明のような30年間です。逆に、日本で言えば/水俣病/光化学スモッグ/川崎病/スモン病/カネミ油症/イタイイタイ病/など数えたら枚挙に暇がない公害の惨禍に見舞われている現実があります。
20世紀は前半は戦争、後半は欺瞞の世紀と言えるでしょう。大きく進み、揺れ動いた激動の1世紀との表現が当てはまります。だからこそ21世紀への期待が大きいのです。まあ、ノストラダムスの大予言も何事もなく過ぎて、あんなに話題になったのが嘘のようではありますが。
今年は、まぎれもなく2003年なのですが、全く21世紀のイメージはありません。こんな事ではたとえ2050年頃になっても、今の時代に少し毛が生えたくらいしか進んでいないかも知れません。
あの鉄腕アトムの未来景観は、もしかしたら妄想で終わってしまう可能性さえあるのは寂しいですね。何と言っても世界情勢は「一進一退」で、365歩のマーチのようです。100年後、映画「猿の惑星」に出てくるような荒涼たる地球の姿だけは見たくないのですが…。
作品名:2003年2 月、たまには小噺(こばなし)が面白い 作家名:上野倫五