Wingman
深夜三時前、車の流れはない。改造バイクのエンジン音が微かに聞こえるぐらいで、それすら雨音にかき消されている。ちょうど店の真裏に回ったとき、壁に沿って立つ影絵のようなシルエットが、目に入った。横野は、所属からいうとおれの後輩に当たる。経歴にこだわる余裕のない仕事だが、それでもキャリアの出発点が同じという事実は、頭の片隅にいつだって刻まれているものだ。後部座席から、イングラムを持った鶴田が静かに降りた。横野はフードをずらせると、おれに目礼して忍び返しすらない壁を乗り越えた。鶴田が後に続くのを確認してから、野島は残りの半周を終えて店の前にボンゴバンを停めた。雨のお陰でガソリンエンジンの音はさほど響かない。エアコンが効いた車内で待てるのは、正直助かる。野島のスマートフォンに鶴田からの合図が入り、おれは22口径を持って助手席から降りた。同じように22口径を手にした野島は、運転席から降りるなり、店の前までつかつかと歩いてシャッターを蹴飛ばした。中から耳障りな甲高い声が数人分聞こえ、シャッターが中から揺れた。
雨音でかき消されているが、押し殺した蜂の羽音のような銃声がシャッターの裏で鳴り、悲鳴が上がった。シャッターが激しく揺れて、中から鍵が開く鈍い金属音が鳴った。相手が内側から開けるよりも先に、野島が外からシャッターを掴んで力任せに引き上げた。後にも戻れないし逃げることもできなくなった男が目を丸く見開き、その右手に散弾銃が握られていることに気づいたおれは、22口径を頭に向けて引き金を引いた。おれが店の中へ入るのと同時に、一緒に滑り込んだ野島がシャッターを閉め、いつもと違うのは店の前に停まっているボンゴバンだけになった。薬莢の転がる音が残る中、鶴田が電気を点けて整備工場の中を見回した。一人は頭に一発を食らってすでに死んでおり、もう一人は息をしているが、左手の指が一本しか残っておらず、首の真横に二発分の穴が空いている。野島は耳を澄ませていた。おれは工場の中をぐるりと見渡した。二階はない。テーブルには二組に分けられたトランプ。タオルケットがどけられた痕のある簡易ベッドが三つ並んでいる。五人分だが、目の前には四人しかいない。
野島が同時に結論に達したように、唯一の『部屋』であるトイレの方を向いた。横野がフードを完全に取ると、サプレッサーが装着されたTRPオペレーターを構え、ドアに向けて二発を撃った。ドアが開いてよろけながら出てきた男は、膝をついた。二発の45口径は、男の両手を銃ごと粉々に吹き飛ばしていた。真っ赤な血の塊になった両腕を上げて懇願する男の前に立つと、横野は言った。
「野島さん、尋問をお願いします」
野島は肩をすくめると、男の頭を掴んで引き倒した。世界共通の仕草で人差し指を自分の口に当てると、静かにするように言い聞かせた。
外で雷が鳴り、雨が本格的にスコールへと切り替わったとき、横野と初めて目が合った。おれは言った。
「大きな仕事がある。一カ月後だ」
横野はTRPオペレーターを右手に持ったまま、うなずいた。野島の方を向くと、男の傍に屈みこんで、バラバラになった両手から血が流れ出さないように持ち上げた。その手つきは救急隊員のようだ。横野は引き金を引く寸前まで、これから殺す相手と笑い合うことができる。全身で銃の殺気を表現している鶴田にはできない芸当だ。おれや野島にもできない。
おれと同じように、自衛隊を辞めて『ノミヤマ』に拾われた横野。海外出張の多い仕事をそつなくこなしている内に、現地で結婚して子供を授かり、今は三人家族として幸せに暮らして『いる』。足りない部分があるとすれば、そこだった。
この仕事は、過去形の人間でないと務まらない。
野島は、外人部隊にいた。鶴田は、海上自衛隊に馴染めなかった。
おれは、自分を殺そうとした人間を許せなかった。三十年前、強盗を差し向けたのは月岡だった。それ自体が試験で、おれの動きを見届けるつもりだったのだろう。そのことに気づいたのは十五年後で、完全に偶然だった。現地でドライバーとして雇った男が、かつておれが殺した強盗の弟だったのだ。兄が強盗を『依頼』されていたということが分かり、突拍子もない強盗事件の真相はあっさりと明らかになった。おれは弟を使って意趣返しをしたが、月岡は振り向くこともできずに死んだ。
ただ、おれの弱点は『人を殺すことはないだろう』という思い込みだった。それは確かだ。今更だが、あの『試験』はおれに足りなかった覚悟のようなものを刻み込む、唯一の方法だったのかもしれない。
「行き止まりです」
そう言いながら、野島が首を横に振った。横野が止血のために持ち上げていた男の腕を離すと、立ち上がりながら頭に一発を撃ち込んだ。野島の顔には明らかな後悔の表情が浮かんでいるが、致し方ない。次々に殺し過ぎたのだ。感情が先走ることは、恥ずべきことではない。ただ、仕事が望み通りの結果に終わらないだけだ。
横野の過去形は、救えなかった家族。そして、野島が掴んでいた足取りはここで途絶えた。実行犯を殺しても、それを指示した人間に辿り着けなければ、復讐は終わらない。狙いは何かということを、横野はこれからもずっと考え続けるだろう。例えば、どうして自分がバーで飲んでいたときに限って、強盗が入るのかということを。まるで自分が家を空けているだけでなく、妻子が家にいるということを知っているようなタイミングだ。
そして横野は、まさにそのとき電話でおれと話していたということを、覚えているだろう。鶴田だけじゃなくて、自分にも仕事を振ってくれという相談だった。しかし、電話越しに話していたまさにそのとき、おれが強盗に指示を出していたということには気づけるだろうか。野島は電話番号に辿り着いたが、それは、おれが使っていたプリペイド携帯電話の番号だ。
おれは、横野と目を合わせた。この仕事には、覚悟が必要だ。そして復讐には、残りの人生を費やすだけの価値がある。その過程で、今まで以上に銃の腕を磨き、諜報のありとあらゆる方法を学ぶだろう。お前は、諜報と殺しの間を渡り歩くことができる。それこそが、この業界が必要とする本物の才能で、おれはそこを見込んでいる。
もし結論に達することができたら、お前はおれの命を狙うだろう。それが明日なのか、十数年後なのかは分からないが。
そのとき、お前はおれの最高傑作になる。