小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

2002年12 月、

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
《2002年・12月》
そろそろ読書の必要性を意識し始めた頃。

=================================

◆12月5日/最近、本当の本を読まないなあ
 
このところ、文学書とか歴史書とかを読む事がめっきり少なくなりました。いわゆる読書らしい読書をする行為そのものが減ってきたのです。勿論、新聞とか雑誌とか情報誌とか実用書とか、そしてインターネットからの情報などは、日常的に目を通しています。 
 
しかし文学者や小説家が書いた話の本とは何だかご無沙汰だと思い、先週の土曜日の夜に久しぶりに遠藤周作氏の「天使」と言う単行本を読んでみました。遠藤周作と言えば、30歳の頃に「狐狸庵」シリーズを面白く読んだ記憶があり、その軽妙さとあまり長くないストーリーが気に入っていたのです。
 
先日読んだ「天使」も、そのイメージがそっくり残っていて、何だか嬉しかった。晩年の遠藤周作と言えばインドのガンジス川の川面にはせる思いなど、哲学的、そしてどこか宗教的な領域に入って行ったようで、多面性のある作家とのイメージがあります。
 
「天使」も晩年の作品かと思い、何か難しい事でも書いてあるのかと覚悟して読み始めただけに、短編の特徴か、前半の上質なバカバカしさが余計に嬉しかった。そして後半のシリアスな内容に、つい夜中まで読みふけりました。
 
ところで、この頃の若者は本を読んでいるのでしょうか。テレビやインターネットからの情報は持っていても、自分の意思で本を読み、自分自身の考えを少しずつでも構築しているのでしょうか。

全く余計なお世話ですが、昨今の学校の先生の意見などを見聞すると、もちろん一部の子供達だけとは思いますが、子供達自体の自覚が何かだんだん本来の道ではない横道に進んで行っているように感じらます。
 
勉強しない、手伝いしない、本を読まない、外で遊ばない……20年前の劣等生の条件が当てはまる中学生、高校生が多くない事を祈ります。
 
しかし、そんな事を思わせる今の時代を作ったのは、年齢的にも実は我々なのかも知れないのです。そして理解が今一つ出来ないままに、あまりに急速な時代の進展に酔ってしまってきている。
 
そう考えると、彼らはむしろ我々の犠牲になっている世代なのかも知れません。もっとゆっくり本を読める時間を作ってやるのも親の世代の責任でしょう。本(文字)を読む事で、その作家の思想の中に入り、頭の中で架空の場面や状況設定をする事が出来るのが「考えること」の第1歩でしょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◆12月15日/店先の盛塩
 
昨晩、何回目かの忘年会で夜の町に出ました。時々見かける縁起担ぎの店先の盛塩。このところの不景気で料理屋さんの前などに、その思いが余計にこもっている感じがします。日本ではおなじみの光景ですが、その由来はどこから…。これが意外と中国の故事からでした。
 
日本の徳川時代、天下の将軍様だけが出入りできる「大奥」などと言う羨ましいような部署がありました。そこには側室が同居していたのですが、中国の皇帝も多数の側室を囲っていました。その側室達には、一人一人に邸宅が与えられていたと言うスケールの大きさで、皇帝は夜な夜な牛車に揺られて邸宅に通ったようです。
 
ところが、側室にとっては皇帝の来訪が遠のいては寂しい限り。そのうちの一人が苦肉の策で牛の好きな塩を、皇帝が通りそうな時間を見計らって自宅の門の前に盛っておいたら、案の定、牛が塩をなめて動かない。皇帝は仕方なくその邸に入っていくようになって、作戦は大成功。それが盛塩の始まりとか。
 
客の足を止めて店の中に入ってもらう……いずれにしろ、縁起を担いででも商売繁盛を願う気持ちは、神社詣り、恵比須祭、招き猫などいろいろな形で残っていて、商売人でなくても何らか一つくらいは関与したことはあるに違いありません。
 
「苦しいときの神頼み」とはよく言ったもので、神社にお詣りすれば、何だかご利益がある気持ちになっていきます。その是非はともかく、この頃はいつも神様にお願いしたいことばかりのようです。 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◆12月23日/高校生の頑張り
 
昨日の「全国高校駅伝」男子で、佐賀県代表の白石高校は、あの強豪の西脇工業に肉薄する2位と言う素晴らしい成績を残した。もう20年ほど前に鳥栖工業が作った順位と同じで、そのレースぶりは佐賀県民に大いに感激を与えてくれました。
 
小県の佐賀の高校スポーツにおいて、新体操の佐賀女子、ラグビーの佐賀工業に匹敵する駅伝の白石の名前が確固たるものになったレースでした。この年末年始に行われる全国高校ラグビーも、何だか期待が持てる気がしてきたようです。
 
スポーツでも進学でも、エリート校には全国からその道を目指して集まる傾向があります。地元の子供たちだけでそれらに対抗するのは至難のことでしょう。特に団体戦でのスポーツ競技は飛び出た人材が一人二人いても、そうは思うようになりません。
 
佐賀女子の新体操は、多少の県外組がいると聞きますが、その他はあまり聞かない。とすれば、今回の白石高校のメンバーは周辺の普通の生徒なのでしょうか。
 
彼等は高校を卒業して県外の大学や企業に進むのでしょう。もちろん大いにその才能を伸ばして貰いたいのですが、例えば九州一周駅伝などでは、出身県の出場者で大会を開催して貰えば今のように固まった順位はないと思います。つまり、九州一周駅伝ほど面白くない競技も珍しい。
 
まあ、佐賀で言えば、このところの巷間の不景気を忘れさせてくれた白石高校の2時間だったのは間違いなく、何だか少し勇気を貰った気がして嬉しいですね。
 
特に4区を走った高井選手の猛烈な走りは後世に残る快挙でした。あのロスの多い(少なくともきれいな走り方ではない)フォームでの追い上げは、途中の4~5kmくらいで力尽きると大方の人は思ったに違いありません。

しかし最後まで走りきったのは常識では考えられない力走でした。TV解説の宗茂さんが、区間賞を狙っているのでは…と言ったのもうなずけました。
 
勿論、白石高校のメンバーに限らずどこのチームでも、その姿に感銘を受けるのは、ひたむきな高校生が精一杯頑張っているから。一つの事にかける気持ちはきっと彼らの大きな財産になるようで、そんなものを持った人は羨ましい限りです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◆12月29日/地球にはどれだけの人間が住めるか?
 
自分が高校生の頃、一体何に興味があり何を目的にしてきたのか…と思い出してみることに…。そうは言っても、何か特別にはまっていた事項があった訳でもなく、強いて上げれば地理とか都市の人口に興味がありました。
 
高校時代と言えば、もう30数年前のこと。当時の都市人口のトップはニューヨークの約1100万人。上海と東京の約1000万人。大ロンドンの約900万人…と言ったところでしょうか。
 
作品名:2002年12 月、 作家名:上野倫五