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雑草の詩 4

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 恋人達は砂浜に腰を下ろし、海を見詰めている。手を握り合うでもなく肩を寄せるでもなく、ただ黙ったままで。
 言葉も何もかも、交わし合う微笑みの前では全てのものがその力を失ってゆく。交わす言葉など要りはしない。ただ見詰め合う互いの微笑みとその瞳に宿る想いだけが真実だった。互いの想いを通わせる唯一の手段だった。
 虚偽を含まぬ瞳の輝きを前にして、たとえ百万言の言葉を尽くしても真実を語り尽くせないことは歴然としている。言葉など要りはしない。どれ程キラビヤカに飾られていようと、所詮言葉は作り物。その作り物に心の全てを乗っけてしまうこと自体、そしてそれをいともた易く受け入れること自体が誤りなのだ。言い尽くせやしない。
 空の広さや海の深さ、そしてそれぞれの青を言葉に出来ないように、人間の心もまた言葉に作り上げられやしない。ただ似せることは出来る。似たものを作り上げ、それに満足出来るのも人間だ。人間の悲しさだ。
 悪戯に言葉を作り、それ等に惑わされながら悩んだり苦しんだり、何とも平和に暮らしている。言葉の内に潜む作為に気付かないならば、それはそれで幸いではあるけれど。

 巡り合いの魔法は、真悟と幸恵、このふたりの内に風を吹かせたり嵐を運んだりを繰り返しながらも、芽生えた愛を次第に大きく膨らませ、二人の心にセッセセッセと夢を運んでくる。そしてふたりで過ごす二度目の秋と冬は何事もなく過ぎて行った。
 正月を返上して来る日に備えている真悟の姿はたくましく、家事や真悟の世話を並のお手伝いさん以上にテキパキと切り盛りしている幸恵の姿は、健気で愛らしかった。ふたりを囲む周囲の人達の目にも、若いふたりの姿は新鮮で美しく映っていたし、誰もが彼等を応援していた。 真悟の父は、幸恵のファンといっても良い位だった。
 野に咲く花には、日照りや寒さが押し寄せてくる。けれど例え足蹴にされようと、どんな困難にぶつかろうと、明るく暖かい花を咲かすことを忘れない。そんな力強さを、彼は幸恵に見ていた。この先どんな風に進んでゆくのか、それは彼にも分からなかったが、幸恵に感化されつつ成長している息子の姿を見守ることは、彼にとって大きな喜びだった。
 薄暗くのしかかる過去でさえ、彼女に関しては全く用の無いものであり、そんな事など気にも留めずに、否、これから先もそれらを超越した関係を保ちながら、彼女と息子が歩いてゆくなら喜ばしいことだ、彼はそう考えていた。

         7

 三度目の試練の日が訪れた。
 真悟にとってこの一年の成果が結果として示される、まさにその日に至っていた。
 家の中は勿論、病院の中迄もがそこはかとなく落ち着かず、母親は言うまでもなく普段冷静で通っている筈の父親までもが、真悟の連絡を気に病んで、ウロウロと家と病院の間を行き来していた。
 ウマシカ並みから幾度かの脱皮を繰り返し、やっと一人前に近付くことの出来た息子は、発表を見に朝早く出掛けたまま未だもって一本の電話さえかけては来ない。とはいっても掲示されてからまだそう時間は経っていなかったが‥‥‥。 周囲の動揺をよそに、幸恵はいつものように手際良く自分の仕事を片付けていた。

 台所から少し離れた居間を占領し、真悟からの電話を、今か今かと千秋の思いで待ち続けている母親の胸中には、並々ならぬものがあった。時計を眺め幸恵に目をやり、またもや時計を眺め‥‥‥、時折訪ねてくる夫をあしらい、意味もなく立ち上がってはアッチへ行ったりコッチへ来たり、さっき見たばかりの時計をまた見たり‥‥‥、訳の分からぬ動作ばかりを繰り返している。

 ジリリーン、ジリリーン。
 三度も鳴らしてなるものか、飛びつくようにして受話器を取り上げた時、きっと彼女はそう思っていたに違いない。
「モシモシ!モシモシ!」
 必死で話すものだから、相手の声も聞こえない。
「モシモシ、真悟!
 どうだったの?どうだったの!」
「あっ、母さん、モシモシ、母さんだね? 僕だよ、真悟、やったよ!やったよ!
 合格したよ、やったんだよ。
 聞こえてる?合格したんだよ!」
「良かったわね、本当に良かった‥‥‥。
 おめでとう。おめでとう、真悟。」
 昇りつめた感情と涙の為に、最後の方はほとんど消え入るような声だった。
「母さん、今からすぐに帰るからね。
 あっ、それから、幸恵さんにも知らせといてね、合格したって。お願いだよ。
 それじゃ、大急ぎで帰るから。」
 電話の主は、言いたいことだけを一方的に言い終えた途端に、ガチャリと受話器をおろしてしまった。
 涙を落としながら、放心したようにソファに腰を下ろしていた彼女だった。しかし、急に暗く重苦しい面持ちになって寝室へと消えていったのだった。

「先生ェー、院長先生ェー!」
 真悟の父の姿を見つけた婦長は、大声で彼の名を呼び、駆け寄ってきた。
「先生、合格ですって!真悟さん、合格されたそうです。今、奥様から連絡があって‥‥‥。おめでとうございます。」
「そうか、やったか‥‥‥。わざわざありがとう。」これほど感情を表に出した婦長を今まで見たことがあったろうか、真悟の父は、涙を浮かべた彼女の瞳を見詰めながら、そう思った。
「早くお帰りになった方が‥‥‥。」
「いや、いい。まだ診察も残っているし、もうじきお昼だからね。まさか、今すぐに帰らないと、不合格になるとは言ってこなかったろうからね。」と婦長を笑わせると、彼は仕事へと向かった。

「先生、おめでとう。真悟君、合格だってね。」
「ありがとう、猪熊さん。」
「いやあ、やっとだったね。」診察を終えた猪熊は、上着を着けながら呟いた。
「これ、あんた。
 何を言い出すんでしょうねぇ、この人ったら。すいませんねぇ、先生。」
 猪熊の女房は、夫の肩をこずきながら院長に詫びた。
「いや、猪熊さんの言われる通りですよ、奥さん。いろんなことがありました。一時はどうなることかと思いましたけどねえ。」彼はしみじみと語った。
「それもこれも、幸恵ちゃんのおかげだね、先生。真悟君も立派になったよ。もう大丈夫さ。なあ、先生。」
 ゴッツイ体格に熊のような顔、猪熊という名前通りの、でも優しい目をしたオヤジの言葉に、真悟の父はニコリと笑って頷いた。
「それじゃ、猪熊さん、また三日後にいらして下さい。
 しかし、あんたが風邪を引くなんて、こりゃあ、鬼の霍乱か、さもなくば春の嵐の前触れだね。」
「へっ、なんとでも言いやがれ。
 それじゃ、また今度な。あんまり喜びすぎて深酒しなさんな。
 真悟君にも宜しく伝えといてくれ。また改めて出直すからってな。」
「すいませんねぇ、先生。ありがとうございました。また改めてて直して参ります。それじゃ、失礼いたしました。」
 旧知の二人の会話にいつもハラハラさせられっぱなしの猪熊の女房は、亭主の首根っ子を捕まえるようにして出ていった。

 真悟によってもたらされたこの朗報は瞬く間に広がり、家中はおろか、病院中に時ならぬ喜びの波が押し寄せたのだった。
 医者達から看護婦達から、そして患者達からも祝福された父親は、まるで自分のことのように頬を赤らめて彼等に礼を述べた。
作品名:雑草の詩 4 作家名:こあみ