2002年10 月・11月、年配者にもPCが一般的に…
《2002年・10月、11月》
慣れないながらも団塊の世代もパソコンを扱う必要性が出てきた頃です。
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◆10月3日/大型客船火事
昨日、長崎の三菱造船所で11万3千トンの世界最大級豪華客船が火災を起こしました。まだ建造中だったということですが、素人考えでは、建造中に火災が起こるのかな?…と思います。
客船ゆえの内装工事材料からの出火かも知れず、溶接機材などの取り扱いミスのような記事もありました。これまで何度かボヤがあったらしく、その教訓が生かされていないようです。
バブル期の頃までは造船量世界一だった日本も、5~6年前に韓国に抜かれ、製造費の見直しなどでやっとまた肩を並べようとした矢先でした。今回の「ダイアモンドプリンセス号」と、同じような客船をあと1隻受注していたということですが、久し振りの活況に大きな水を差しました。
主エンジンは問題ないとは言え、発注側にとっては納期も大幅に遅れるでしょうし、そもそも納入前に火災を起こすなんて全く縁起が悪い。もし自分が発注する立場だとしたら、大幅な値下げを要求するか、3年待っても新しく作り直せ…と言うかも知れません。
長崎三菱造船所は、太平洋戦争中に「戦艦・武蔵」を建造しています。有名な「戦艦・大和」と同一の巨大戦艦でした。当時は既に米軍は空母を主体に軍備を考えていたのに、日本は相変わらずデクノボウとも言える戦艦志向でした。
極端に言えば、そこらへんで既に勝負はあったのです。米軍はレーダーを駆使した航空機での攻撃を発展させていて、空母から発進した飛行機の空襲に日本は敗れました。
ところで、客船を使った世界一周クルーズなどと聞くと、一足飛びに旅行をする飛行機と違い、結構な費用と時間が必要で、。実際に1ヵ月ほどはかかるのでしょう。まさに金持ちがやれる事の一番手のイメージが強いですね。
しかし、「ダイアモンドプリンセス号」は、それを一般人にも手が出るくらいの値段に設定して就航したい…とのコンセプトがあったらしいのです。距離もある程度乗船したら下船可能にし、値段もリーズナブルにする。
乗る側も乗せる側も気軽に考えられる船旅のシンボルになるはずでした。そう言う点でも思惑はずれだったでしょう。まあ、自分も子育てが終われば女房殿と一緒に、せめて1週間くらいの客船の旅を設定したいものですが、出来るかどうか。
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◆10月17日/なぜ三面記事と言うのか
先日の北朝鮮拉致事件、被害者の一時帰国は、まさかそんな事が…と思う出来事が“アッと言う間”に起こった感じで日本の誰もが驚いたに違いありません。あの北朝鮮がどんな思惑で帰国を認めたのか、どこか疑いの目を向ける必要さえあるようです。
昨日のTVニュースでは、5人の帰国者の言動が少し変だと伝えているし、ある人は、自分の弟の態度がどう考えてもおかしいとの発言も出始めています。北朝鮮から帰化したある男性は、帰国者の一人が北朝鮮の軍事施設の工作員ではないか…と語っていました。そういうこともあり得るのです。
随行してきた2人の男も、表向きは赤十字の代表とのことですが、北朝鮮では赤十字と言う名前は秘密施設の一つの別名だとも言われているとか。何にしても堂々と日本へ侵入出来て、しかも何でも良いので情報を得るために帰国させた…と、半分くらい疑ってかかれば、すんなりと一時帰国を認めた意味も分かりそうです。
国交正常化の早期実現のため、まさか日本政府もそれをちらつかせた訳ではないだでしょうけど。
そんな社会情勢を伝えるメディアですが、そのうちの新聞について、今の新聞はほとんどが20~30ページはあるでしょう。そして、最後のTV・ラジオ番組欄のすぐ前のページが社会面になっているのが普通の紙面構成。本当は二十五面記事とかすべきページなのに、今もって社会面の別名は三面記事と呼ばれます。
明治時代、まだ出初めの頃の新聞は、4ページ(四面)しかなく、一面は広告。二面は政治・経済。三面は社会面。そして四面が小説や家庭・雑事情報でした。
その名残で社会記事は今もって三面記事といっている訳ですが、しかし、一面が広告だったとは驚きです。
やはり明治の御世から運営費は広告収入からだったと言う事でしょうが、今の新聞に置き換えて、もし一面が広告だけだったら読者はどんなに感じるでしょうか。
どこかの新聞社が思い切って明治時代の新聞を冗談でも良いので出してみたら面白いかも知れません。広告は手書きの文字で右から書いてある…うーん、ノスタルジー。
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◆10月25日/パソコンは「年寄りの冷や水」か。
半月ほど前、突然神戸の姉から私のPCにメールが来ました。昨年亡くなった義母の肖像画を作りたいが、どこか知らないか…と言うのです。姉からメールが来た事自体に驚かされ、そして何だか嬉しくなりました。
もう55歳になる姉は、数年前に「パソコンをやれないのは姉弟妹で私だけなので何とかやれるようになりたい。」と言っていたのを思い出します。我々団塊の世代は、一般的にパソコンなどと言うデジタルとは縁のない年齢なのです。
もし回りが誰かやってなかったら、恐らく触り始める人は少ないでしょう。そう考えたら姉が55歳で始めたのは評価出来ます。
ところで、私も大した知識もありませんが、初心者にだけ教えている私のパソコン教室で73歳の男性と、65歳の女性が学習中です。勿論、覚えるのに相当時間がかかるのは仕方ありません。
実際、2ヶ月ほど間があいたら、また最初からやり直す場合もありました。まず入力のローマ字から…とは大変なのです。
しかし、大いに感心するのはその意気込みです。そのお二人それぞれが「1年かかっても上達したい。」とのこと。なかなかの根性ですね。早い話が、我々がほとんど馴染みがない長唄とか能を何とか身につけよう…もしくは、全く理解しがたい最近の歌を歌えるようになりたい…と頑張るようなものでしょう。
言葉は悪いが、「年寄りの冷や水」と言う文字がチラチラします。
その「冷や水」とは、文字通り冷たい水のことですが、実は江戸時代の水売りが隅田川の真ん中からすくってきた水とされます。夏になると「隅田川の水は真ん中がきれいだ」と言って、桶に氷片を浮かべて売り歩いたらしい。当時の江戸の水は、井戸水には塩分が混ざりよほどの深い井戸が必要でした。
飲める水は、今も地名に残っている溜池、池袋、沼袋などに点在しただけだったので、○○上水…と呼ばれる水道(上流から水を引く)が発達したのです。小石川上水や神田上水から始まり玉川上水、仙川上水などが有名。そう言えば私が20歳の頃に住んでいた下高井戸は、京王線の駅の名前が「桜上水」でした。
慣れないながらも団塊の世代もパソコンを扱う必要性が出てきた頃です。
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◆10月3日/大型客船火事
昨日、長崎の三菱造船所で11万3千トンの世界最大級豪華客船が火災を起こしました。まだ建造中だったということですが、素人考えでは、建造中に火災が起こるのかな?…と思います。
客船ゆえの内装工事材料からの出火かも知れず、溶接機材などの取り扱いミスのような記事もありました。これまで何度かボヤがあったらしく、その教訓が生かされていないようです。
バブル期の頃までは造船量世界一だった日本も、5~6年前に韓国に抜かれ、製造費の見直しなどでやっとまた肩を並べようとした矢先でした。今回の「ダイアモンドプリンセス号」と、同じような客船をあと1隻受注していたということですが、久し振りの活況に大きな水を差しました。
主エンジンは問題ないとは言え、発注側にとっては納期も大幅に遅れるでしょうし、そもそも納入前に火災を起こすなんて全く縁起が悪い。もし自分が発注する立場だとしたら、大幅な値下げを要求するか、3年待っても新しく作り直せ…と言うかも知れません。
長崎三菱造船所は、太平洋戦争中に「戦艦・武蔵」を建造しています。有名な「戦艦・大和」と同一の巨大戦艦でした。当時は既に米軍は空母を主体に軍備を考えていたのに、日本は相変わらずデクノボウとも言える戦艦志向でした。
極端に言えば、そこらへんで既に勝負はあったのです。米軍はレーダーを駆使した航空機での攻撃を発展させていて、空母から発進した飛行機の空襲に日本は敗れました。
ところで、客船を使った世界一周クルーズなどと聞くと、一足飛びに旅行をする飛行機と違い、結構な費用と時間が必要で、。実際に1ヵ月ほどはかかるのでしょう。まさに金持ちがやれる事の一番手のイメージが強いですね。
しかし、「ダイアモンドプリンセス号」は、それを一般人にも手が出るくらいの値段に設定して就航したい…とのコンセプトがあったらしいのです。距離もある程度乗船したら下船可能にし、値段もリーズナブルにする。
乗る側も乗せる側も気軽に考えられる船旅のシンボルになるはずでした。そう言う点でも思惑はずれだったでしょう。まあ、自分も子育てが終われば女房殿と一緒に、せめて1週間くらいの客船の旅を設定したいものですが、出来るかどうか。
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◆10月17日/なぜ三面記事と言うのか
先日の北朝鮮拉致事件、被害者の一時帰国は、まさかそんな事が…と思う出来事が“アッと言う間”に起こった感じで日本の誰もが驚いたに違いありません。あの北朝鮮がどんな思惑で帰国を認めたのか、どこか疑いの目を向ける必要さえあるようです。
昨日のTVニュースでは、5人の帰国者の言動が少し変だと伝えているし、ある人は、自分の弟の態度がどう考えてもおかしいとの発言も出始めています。北朝鮮から帰化したある男性は、帰国者の一人が北朝鮮の軍事施設の工作員ではないか…と語っていました。そういうこともあり得るのです。
随行してきた2人の男も、表向きは赤十字の代表とのことですが、北朝鮮では赤十字と言う名前は秘密施設の一つの別名だとも言われているとか。何にしても堂々と日本へ侵入出来て、しかも何でも良いので情報を得るために帰国させた…と、半分くらい疑ってかかれば、すんなりと一時帰国を認めた意味も分かりそうです。
国交正常化の早期実現のため、まさか日本政府もそれをちらつかせた訳ではないだでしょうけど。
そんな社会情勢を伝えるメディアですが、そのうちの新聞について、今の新聞はほとんどが20~30ページはあるでしょう。そして、最後のTV・ラジオ番組欄のすぐ前のページが社会面になっているのが普通の紙面構成。本当は二十五面記事とかすべきページなのに、今もって社会面の別名は三面記事と呼ばれます。
明治時代、まだ出初めの頃の新聞は、4ページ(四面)しかなく、一面は広告。二面は政治・経済。三面は社会面。そして四面が小説や家庭・雑事情報でした。
その名残で社会記事は今もって三面記事といっている訳ですが、しかし、一面が広告だったとは驚きです。
やはり明治の御世から運営費は広告収入からだったと言う事でしょうが、今の新聞に置き換えて、もし一面が広告だけだったら読者はどんなに感じるでしょうか。
どこかの新聞社が思い切って明治時代の新聞を冗談でも良いので出してみたら面白いかも知れません。広告は手書きの文字で右から書いてある…うーん、ノスタルジー。
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◆10月25日/パソコンは「年寄りの冷や水」か。
半月ほど前、突然神戸の姉から私のPCにメールが来ました。昨年亡くなった義母の肖像画を作りたいが、どこか知らないか…と言うのです。姉からメールが来た事自体に驚かされ、そして何だか嬉しくなりました。
もう55歳になる姉は、数年前に「パソコンをやれないのは姉弟妹で私だけなので何とかやれるようになりたい。」と言っていたのを思い出します。我々団塊の世代は、一般的にパソコンなどと言うデジタルとは縁のない年齢なのです。
もし回りが誰かやってなかったら、恐らく触り始める人は少ないでしょう。そう考えたら姉が55歳で始めたのは評価出来ます。
ところで、私も大した知識もありませんが、初心者にだけ教えている私のパソコン教室で73歳の男性と、65歳の女性が学習中です。勿論、覚えるのに相当時間がかかるのは仕方ありません。
実際、2ヶ月ほど間があいたら、また最初からやり直す場合もありました。まず入力のローマ字から…とは大変なのです。
しかし、大いに感心するのはその意気込みです。そのお二人それぞれが「1年かかっても上達したい。」とのこと。なかなかの根性ですね。早い話が、我々がほとんど馴染みがない長唄とか能を何とか身につけよう…もしくは、全く理解しがたい最近の歌を歌えるようになりたい…と頑張るようなものでしょう。
言葉は悪いが、「年寄りの冷や水」と言う文字がチラチラします。
その「冷や水」とは、文字通り冷たい水のことですが、実は江戸時代の水売りが隅田川の真ん中からすくってきた水とされます。夏になると「隅田川の水は真ん中がきれいだ」と言って、桶に氷片を浮かべて売り歩いたらしい。当時の江戸の水は、井戸水には塩分が混ざりよほどの深い井戸が必要でした。
飲める水は、今も地名に残っている溜池、池袋、沼袋などに点在しただけだったので、○○上水…と呼ばれる水道(上流から水を引く)が発達したのです。小石川上水や神田上水から始まり玉川上水、仙川上水などが有名。そう言えば私が20歳の頃に住んでいた下高井戸は、京王線の駅の名前が「桜上水」でした。
作品名:2002年10 月・11月、年配者にもPCが一般的に… 作家名:上野倫五