雑草の詩 2
『雑草(ざっそう)の詩(うた)』
3
「いやあ、坂口さん。お忙しい中わざわざご足労頂いて、誠に恐縮です。さぞ驚かれたことでしょうなあ。
事件のあらましはもうお聞きになったと思いますが、実はですね、お宅の息子さん、真悟君ですか、真悟君は何もやっちゃあいないそうなんですな、これが。
被害者の女性、名前は山本幸恵さんって言うんですがね、彼女の話ですと、それどころか真悟君は彼女を助けようとしてくれたらしいんですなあ。それであいつらに殴られて、こんな大怪我をしているって訳です。
いや何、御心配には及びません。別に命に関わるって訳じゃありませんから。あっ、いやあ、そいつは坂口さんの方が御専門でしたね。ハハハ………。
いやあ、実は彼女喋れんもんですからね、筆談やら何やらで事情聴取も大変だったんですよ、これが。しかし彼女が主犯の山口の顔を憶えてましてね、その山口の口から真悟君の名前が出たって訳です。真悟君はずっと一言も喋らんですしこの怪我でしょう。彼女の話を聞くまで、真相が解からず困っとったんですよ。
いやあ、まあ兎に角、お父さんにも御心配をお掛けいたしましたが、本日はもうお引き取り下さって結構です。誠に申し訳ありませんでした。」中年の、人の良さそうな刑事はそう言いながら盛んに短く刈り込まれた頭を掻いた。
事件から一夜明け、もう昼近くの時間だった。警察署の一室で刑事に頭を叩かれながら、包帯だらけのミイラになった真悟は終始俯いたまま座っていた。そして刑事を挟むようにして真悟と向かい合い、彼の父は立っていた。
真悟の父は五十そこそこの優しい目をした紳士だった。僅かに白いものの交じった髪とがっしりした体格を持つ彼は、柔和な面持ちを少しこわばらせながら刑事に深々と頭を下げ礼をのべた。
「隣の部屋で今回の事件のあらましは聞かせて頂きました。誠に申し訳ありません。息子がもう少し早く、こんな事態になる前に彼等を止めていたら、そう思うと残念でならんのです。
この度の不祥事は、やはり息子にも責任がありますし、私共にも責任があると思います。今日は息子もこんな状態ですし、お言葉に甘えて連れて帰ろうと思います。後のことはまた息子や家内ともじっくり話し合って対処してゆく積りでございます。
御迷惑をお掛けして、誠に申し訳ありませんでした。」そういうと、父は再び深く頭を下げた。
その時だった、今まで静かだった部屋の外が急に賑やかになり、それは段々と大きくなって男女の言い争う声とはっきり判るまでの大きさとなった。
「奥さん困りますよ!静かにして下さい。ここを何処だと思ってるんですか!」
「離して下さい、息子は無実なんです!あの子に、あの子に会えば判るんです、会わせて下さい!離して下さい!」
ガーン!力任せに開けられた扉、そこに現われたのは山口の母親だった。
彼女は真悟の姿を認めるな否や、彼の元へ走り寄りその肩を掴んだ。
「うちの子は何もやっちゃあいないわよね。ねえ、ちゃんと言って頂戴、この人たちにちゃんと言って頂戴!」それだけ早口に捲し立て、哀願するような視線を真悟に向けたまま動かなかった。
彼女の凄まじい形相に居合わせた一同は一瞬言葉を忘れて唖然としていたが、再び刑事達は総掛かりで彼女を押し戻しにかかった。しかし、彼女は尚も叫ぶ。
「うちの子が、うちの子があんな事する筈がないわ!ねぇ、はっきり言って、関係ないって言ってよ!きっと何かの間違いだわ。」
「奥さん、落ち着いて下さい。落ち着きなさい!」
「女が悪いのよ、そうに違いないわ、きっとそうだわ。
離してよ!うちの子はそんな子じゃないわ、正直に言いなさいよ!ねぇ、あんた!
うちの子は、そんな事しないわよー!この嘘つきー!」
最後は殆ど絶叫だった。真悟は椅子から立ち上がったまま、目だけをギラつかせていた。やがて、父親は真悟の肩にそっと手を回し刑事に深く一礼すると、静かに、その背を押して扉の外へと出たのだった。
4
家へ戻ってからというもの、真悟は二階にある自分の部屋へ閉じ籠もったまま外に出てこようとはしなかった。誰が来ても誰とも口を聞かず、カーテンを引き下ろした暗い部屋の中で、後悔と自責の念に責め立てられながら狂いださんばかりの眠れない昼と夜を送っていた。
「真悟!真悟、ここを開けなさい、真悟。」母はそう言いながら部屋の戸を幾度も叩いた。しかし中からは何の反応もない。
「出てらっしゃい真悟。お父さんが呼んでるのよ、早くここを開けなさい。」尚も母は真悟の部屋の戸を叩き続けた。
「うるせえなあ。」扉を開けた真悟はじっと母をにらみつけた。が、母はその視線を毅然とした態度で跳ね返し、
「お父さんがお話があるそうだから、すぐ下へ降りてらっしゃい。」と、それだけ言い残して階下へと降りていった。
「ちぇっ!また説教かよ。」母の後ろ姿に挑むような視線を投げつけた真悟だったが、渋々その後に従った。
ドタッ、ドタッ、ノロノロとわざと音をたてながら階段を降り真悟は居間へ入っていった。途端に彼の顔から血の気が失せた。真悟がそこに見たものは、父と母、そしてあの女の姿だった。
父はそんな真悟の姿を暫く見詰めていたが、やがて静かな口調で言った。
「そこに座りなさい、真悟。
この人が誰か、説明する必要はないな。」そう問いかける父に、真悟は俯いたまま何も答えなかった。
「真悟、これから話す事はあの事件以来、私とお母さんとで何度も相談して決めた事だ。お前にとっても私達にとっても、それは今一番大切な事だと思っている。」
真悟は目を上げて父を見た。その視線は真悟に向けられたまま微動だにしない。
「今日から、この山本幸恵さんには、家族の一員としてこの家で生活してもらう。分かったな、真悟。」
「えっ!」驚きの声を上げ、真悟は父をそして母を見た。
「幸恵さんは、とっても可哀想な身の上なんですよ。小さい時に御両親を亡くして、その上体も普通の体じゃないのに、今迄ひとりっきりでがんばって生きてきたのよ‥‥‥。それなのにこんな事件にまで巻き込まれてしまってー。」母は静かに目頭を押さえた。
「ちょっと待ってよ。俺は何もやってないじゃないか、何で俺がこいつと一緒の家に住まなきゃならないんだよ。
そりゃあ、確かに俺にも悪いとこはあったさ。でも、それとこれとは全く別の話じゃないか。」テーブルの上に付いた両手にグッと力を入れて、噛みつくような勢いの真悟だった。
「真悟、お前達のやったことはそんな生易しいことじゃない。
一人の人間そのものを踏み潰したようなものだ。お前は、彼女を人間として扱ってたいなかった。もしお前が人間であれば、こんな事が起る前に、全てを止められた筈だったんだ。
お前達は、彼女の体ばかりか心の中までも無惨に傷つけてしまったんだぞ。分かるか、真悟。
今のお前にとって一番大切な事は、大学へ行くことでもなんでもない。先ず彼女に償いをすることだ、彼女の傷を癒すことだ。それをやらなきゃ生きてゆく資格も、人間と名乗る資格もお前には与えられない。
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「いやあ、坂口さん。お忙しい中わざわざご足労頂いて、誠に恐縮です。さぞ驚かれたことでしょうなあ。
事件のあらましはもうお聞きになったと思いますが、実はですね、お宅の息子さん、真悟君ですか、真悟君は何もやっちゃあいないそうなんですな、これが。
被害者の女性、名前は山本幸恵さんって言うんですがね、彼女の話ですと、それどころか真悟君は彼女を助けようとしてくれたらしいんですなあ。それであいつらに殴られて、こんな大怪我をしているって訳です。
いや何、御心配には及びません。別に命に関わるって訳じゃありませんから。あっ、いやあ、そいつは坂口さんの方が御専門でしたね。ハハハ………。
いやあ、実は彼女喋れんもんですからね、筆談やら何やらで事情聴取も大変だったんですよ、これが。しかし彼女が主犯の山口の顔を憶えてましてね、その山口の口から真悟君の名前が出たって訳です。真悟君はずっと一言も喋らんですしこの怪我でしょう。彼女の話を聞くまで、真相が解からず困っとったんですよ。
いやあ、まあ兎に角、お父さんにも御心配をお掛けいたしましたが、本日はもうお引き取り下さって結構です。誠に申し訳ありませんでした。」中年の、人の良さそうな刑事はそう言いながら盛んに短く刈り込まれた頭を掻いた。
事件から一夜明け、もう昼近くの時間だった。警察署の一室で刑事に頭を叩かれながら、包帯だらけのミイラになった真悟は終始俯いたまま座っていた。そして刑事を挟むようにして真悟と向かい合い、彼の父は立っていた。
真悟の父は五十そこそこの優しい目をした紳士だった。僅かに白いものの交じった髪とがっしりした体格を持つ彼は、柔和な面持ちを少しこわばらせながら刑事に深々と頭を下げ礼をのべた。
「隣の部屋で今回の事件のあらましは聞かせて頂きました。誠に申し訳ありません。息子がもう少し早く、こんな事態になる前に彼等を止めていたら、そう思うと残念でならんのです。
この度の不祥事は、やはり息子にも責任がありますし、私共にも責任があると思います。今日は息子もこんな状態ですし、お言葉に甘えて連れて帰ろうと思います。後のことはまた息子や家内ともじっくり話し合って対処してゆく積りでございます。
御迷惑をお掛けして、誠に申し訳ありませんでした。」そういうと、父は再び深く頭を下げた。
その時だった、今まで静かだった部屋の外が急に賑やかになり、それは段々と大きくなって男女の言い争う声とはっきり判るまでの大きさとなった。
「奥さん困りますよ!静かにして下さい。ここを何処だと思ってるんですか!」
「離して下さい、息子は無実なんです!あの子に、あの子に会えば判るんです、会わせて下さい!離して下さい!」
ガーン!力任せに開けられた扉、そこに現われたのは山口の母親だった。
彼女は真悟の姿を認めるな否や、彼の元へ走り寄りその肩を掴んだ。
「うちの子は何もやっちゃあいないわよね。ねえ、ちゃんと言って頂戴、この人たちにちゃんと言って頂戴!」それだけ早口に捲し立て、哀願するような視線を真悟に向けたまま動かなかった。
彼女の凄まじい形相に居合わせた一同は一瞬言葉を忘れて唖然としていたが、再び刑事達は総掛かりで彼女を押し戻しにかかった。しかし、彼女は尚も叫ぶ。
「うちの子が、うちの子があんな事する筈がないわ!ねぇ、はっきり言って、関係ないって言ってよ!きっと何かの間違いだわ。」
「奥さん、落ち着いて下さい。落ち着きなさい!」
「女が悪いのよ、そうに違いないわ、きっとそうだわ。
離してよ!うちの子はそんな子じゃないわ、正直に言いなさいよ!ねぇ、あんた!
うちの子は、そんな事しないわよー!この嘘つきー!」
最後は殆ど絶叫だった。真悟は椅子から立ち上がったまま、目だけをギラつかせていた。やがて、父親は真悟の肩にそっと手を回し刑事に深く一礼すると、静かに、その背を押して扉の外へと出たのだった。
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家へ戻ってからというもの、真悟は二階にある自分の部屋へ閉じ籠もったまま外に出てこようとはしなかった。誰が来ても誰とも口を聞かず、カーテンを引き下ろした暗い部屋の中で、後悔と自責の念に責め立てられながら狂いださんばかりの眠れない昼と夜を送っていた。
「真悟!真悟、ここを開けなさい、真悟。」母はそう言いながら部屋の戸を幾度も叩いた。しかし中からは何の反応もない。
「出てらっしゃい真悟。お父さんが呼んでるのよ、早くここを開けなさい。」尚も母は真悟の部屋の戸を叩き続けた。
「うるせえなあ。」扉を開けた真悟はじっと母をにらみつけた。が、母はその視線を毅然とした態度で跳ね返し、
「お父さんがお話があるそうだから、すぐ下へ降りてらっしゃい。」と、それだけ言い残して階下へと降りていった。
「ちぇっ!また説教かよ。」母の後ろ姿に挑むような視線を投げつけた真悟だったが、渋々その後に従った。
ドタッ、ドタッ、ノロノロとわざと音をたてながら階段を降り真悟は居間へ入っていった。途端に彼の顔から血の気が失せた。真悟がそこに見たものは、父と母、そしてあの女の姿だった。
父はそんな真悟の姿を暫く見詰めていたが、やがて静かな口調で言った。
「そこに座りなさい、真悟。
この人が誰か、説明する必要はないな。」そう問いかける父に、真悟は俯いたまま何も答えなかった。
「真悟、これから話す事はあの事件以来、私とお母さんとで何度も相談して決めた事だ。お前にとっても私達にとっても、それは今一番大切な事だと思っている。」
真悟は目を上げて父を見た。その視線は真悟に向けられたまま微動だにしない。
「今日から、この山本幸恵さんには、家族の一員としてこの家で生活してもらう。分かったな、真悟。」
「えっ!」驚きの声を上げ、真悟は父をそして母を見た。
「幸恵さんは、とっても可哀想な身の上なんですよ。小さい時に御両親を亡くして、その上体も普通の体じゃないのに、今迄ひとりっきりでがんばって生きてきたのよ‥‥‥。それなのにこんな事件にまで巻き込まれてしまってー。」母は静かに目頭を押さえた。
「ちょっと待ってよ。俺は何もやってないじゃないか、何で俺がこいつと一緒の家に住まなきゃならないんだよ。
そりゃあ、確かに俺にも悪いとこはあったさ。でも、それとこれとは全く別の話じゃないか。」テーブルの上に付いた両手にグッと力を入れて、噛みつくような勢いの真悟だった。
「真悟、お前達のやったことはそんな生易しいことじゃない。
一人の人間そのものを踏み潰したようなものだ。お前は、彼女を人間として扱ってたいなかった。もしお前が人間であれば、こんな事が起る前に、全てを止められた筈だったんだ。
お前達は、彼女の体ばかりか心の中までも無惨に傷つけてしまったんだぞ。分かるか、真悟。
今のお前にとって一番大切な事は、大学へ行くことでもなんでもない。先ず彼女に償いをすることだ、彼女の傷を癒すことだ。それをやらなきゃ生きてゆく資格も、人間と名乗る資格もお前には与えられない。