小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

Silver Spoon

INDEX|1ページ/5ページ|

次のページ
 
― 十年前 ―

 空気がふわりと揺れて、わたしは思わず瞬きをした。隣を歩いていた歩美が足を止め、体ごと振り返っていて、制服の左胸にすがりつく中学校の校章に跳ねた西日がちくちくと目を刺してくる。歩美は目を細めて、二階の窓に目を凝らせていた。
「今の、誰?」
「こっち側には、誰もいないよ」
 わたしはそう答えて、歩美と同じ方向に顔だけ向けた。一周すると息が上がるぐらいの塀に囲まれた、大きな家。二年に上がってまた一緒のクラスになった歩美は、わたしの背が伸びたことに驚いていたけど、久々に一緒に家に帰ったときに『家も大きくなってない?』と言って、笑っていた。わたしもそう思う。
 小学校のころは『おうち』で、中学校に上がってからは『家』と呼ばれるようになった。こうやって見上げると、歩美の言う通り、少しずつ一緒に成長しているようだ。今になって自分が過ごした幼少期は当たり前ではなかったのだなと、実感している。
 結城家は父親の達也、母親の佳世で構成されている。あくまで夫婦である二人が結城家のメンバーで、娘のわたしはあくまでゲストだ。梨沙子という名前こそあるけれど、広大な敷地の中で自由に動ける場所を与えられている。ただそれだけだ。
「ほんとに、何か見えたんだけどな」
 歩美は眉を細めた。ついさっきまで、友達が週末に食べた『ビリヤニ』という料理の響きだけで大笑いしていたのに、もう真顔になってしまっている。わたしは口角を上げて、その表情が歩美に受け入れられるまで、辛抱強く待った。
「サエちゃんかも」
 サエちゃんというのは住み込みのお手伝いさんで、ほとんどひとりで家の面倒を見ている。父母は、外の世界から蜘蛛の糸でがんじがらめに捕らえられたように、常に電話をしているか、家を空けていることが多い。
「そっか」
 歩美は肩をすくめて、再び歩き出した。玄関までたどり着いてひと息ついたところで別れ、私は敷地に足を踏み入れた。玄関から入って靴を脱いでいると、壁掛け時計の電池を入れ替えているサエちゃんがにこりと笑った。
「梨沙子さん、お帰りなさい」
「ただいま。さん付けしなくていいですよ」
 わたしが言うと、サエちゃんは古い乾電池を手に持ったまま笑った。
「どんどん大人になっていくから、気おくれしてしまって」
「中二ですよ。子供でいさせてください」
 わたしは靴を並べて、サエちゃんが時計を壁に戻すのを手伝ってから、言いたかったことの残りを続けた。
「早業じゃないですか? さっきまで二階にいましたよね?」
「私は、ずっとここにいましたよ」
 サエちゃんは時計の針が正確に動いていることを確かめるように、盤を見上げたまま言った。
「歩美と帰ってきたんですけど、客間と反対側の二階に人影が見えたって」
 わたしが言うと、サエちゃんは盤から視線を逸らせることなく、首を傾げた。音を嫌う両親が選んだ、針の音がほとんど鳴らない、静かな時計。自身の腕時計と秒針がぴったり合っていることを確認すると、ようやく仕事が終わったように息をついて、わたしの方を向いた。
「今、見てきましょうか? それとも、紅茶を淹れましょうか」
「紅茶で」
 わたしは、サエちゃんと一緒にキッチンへ入った。サエちゃんは『見てきてください』と言われた方が、気楽だっただろうか。もしかしたら、わたしが何気なく言えば言うほど、それは恐ろしい要求だったかもしれない。
 歩美が妙な物を見るのは、一回目ではない。友達になったのは小学三年生のときで、そのころから心霊少女だった。四年生のとき、いつも通学路を遠回りして帰る理由を聞いたら、『あの道は何か嫌な感じがする』と言っていて、集団下校で実際にそこを通る羽目になったときは、真っ青な顔をしていた。そのとき一緒にいた同級生が、何年も前に事故があった現場だったということを親から聞き出して、歩美の『霊感』は本物になった。だから彼女が言うことには、耳を傾けておいた方がいい。サエちゃんは、心霊なんか信じなさそうな芯の強い見た目をしているけど、実際にはどうなんだろう。慣れっこになってしまって、少しのことでは驚かないのかも。
 本当なら、久々に歩美を家の中に案内したいけど、多分刺激が強すぎる。何より、歩美は小学校の時は家へ遊びに来る常連だったけど、ある日突然怖がって、あまり寄り付かなくなってしまったのだ。夜中になれば天井が軋み、壁越しに唸り声のような音が聞こえたりする、お化け屋敷のような家。何度も聞いたことがあるけど、一番はっきり聞き取れたのは『いえ』という不明瞭なフレーズ。もう一つ『え』が続いて『いええ』というような感じにも聞こえた。今年のお正月、珍しく家族が全員揃ったから、そのことを言ってみた。でも、父と母は全く関心がないように『気のせいだ』と言っただけだった。豪華なおせち料理が並んでいても、結城家の会話は基本的に貧しい。
 そして、その空っぽさに、わたし自身も麻痺してしまっている。でも、生きているはずの人間が死人のようだからこそ、余計に分かる。
 この家は、生きていると。

― 現在 ―

 今思い返せば、中二のときに初めて意識した。結城家は異常だと。担任の反対すら押し切って寮のある高校に入ったのは、今でも正しい判断だった。両親と仲が悪かったわけではないし、サエちゃんと話せなくなるのは特に寂しかった。ただ自分の将来を考えたときに、まず浮かんだのが『寮住まいになれば週末しか帰れなくなって、もうサエちゃんとは毎日話せない』ということだったから、決心は逆に固まった。地方の国立大に進学して下宿生活を四年間に渡って送り、その間に少しずつ、結城家の令嬢という香りを消していった。今は総合職で採用された企業で、事務と受付をしている。少しずつなだらかな下り坂を下りていくだけの、楽な人生。感情の起伏がなくて、何事もほどほどにこなしてきた。その性格は周りからも見抜かれていて、大学時代は陰で『リサちゃん人形』と呼ばれていた。ゼミや就職活動で、信じられないぐらいのやる気を見せる同期を見ながら思っていたのは、極端に上を向いたり足掻いたりして、怖くないのかなということ。
 夕方四時になり、一時間の有給休暇を取っているわたしは片づけを始めた。リサちゃん人形は健在だ。何事も丁寧に、そつがない所作でこなす。これから会社を出て、一直線にマンションへと戻る。ここまでは、週末に予定のある普通の人。会社の人間には、内容を一切伝えていない。
 先週、両親が揃って死んだ。鳴らないガス警報が、音を嫌っていた二人の命取りになった。サエちゃんは助かったけど、意識不明で病院に運ばれ、再び目を開くまでに丸一日かかったらしい。警察が介入しているから、葬儀は少し先の話。
 最初に訃報を聞いたとき、あの家なら不思議じゃないと思った。
 最後に帰ったのは、去年の冬。高校を卒業するまでは自分の部屋だった洋室の客間で、かつての音を聞こうとして耳を澄ませた。夕方になり、コーヒーを持って上がってきたサエちゃんは、壁に耳をくっつけているわたしを見て、困惑したように笑った。
『何か聞こえますか?』
『分かんないです』
作品名:Silver Spoon 作家名:オオサカタロウ