四人の同窓会
阿蘇旅行は折角のお誘いでしたが、もうご一緒する時間がなくなりました。わたしの我が儘をお許しください。順延ではなく、どうぞ村木君と楽しんで来てください。わたしの魂だけは同行したいと思います。
これまでの私への優しい心遣いに心から感謝いたします。最期のお願いですが、私が対岸に旅立つ時も遠くからそっと見守ってください。
198X年4月 平山凛子
その年の平山凛子の初盆が明けた日に、K駅で村木隆一と落ち合って冨津家と平山家の墓参りに行った。
村木の会社は業績も順調に伸びており、オーナー社長として着々と実績を上げていた。
「妹さんから相原には知らせないでくれと言われたので、俺が一人でデッカンの葬儀に参列してきたよ……。妹からデッカンの遺言だと言われたが?」
村木は不思議そうな面持ちで訊いてきた。
「チェンの墓参の後、凛子と例の食堂と母校を訪問したが、その時既に彼女の病状が相当悪化していることが分かった……。それで今年の1月から文通を始めたが、4月の返信が最後になった。その手紙で、凛子が旅立つ時も遠くから見守ってくれと書いてあったので……」
その手紙で彼女が余命宣告されていたことを知ったが、東京行きもそのための治療であることが分かった。
「そうか、それでお前の最後の手紙が葬儀の時に披露されたのか。デッカンの最後の旅立ちの姿を見たが、手紙が三通傍らに置いてあったぞ。妹から赤い万年筆を託ったので……。デッカンに最後まで付き合ってくれた相原に感謝するよ、ありがとう……」
私の最後の手紙が届いた時には、彼女は危篤状態で未開封のまま息を引き取っていた。
妹の計らいで私の最後の手紙が葬儀の時に開封されて披露されたが、それは凛子に聞かせるためだったという。
「凛子は脳に悪性の腫瘍ができて、東京の専門医に定期的に治療を受けていたそうだ。腫瘍を知った凛子が足でまといになることを嫌って、旦那とは5年前に離婚していたそうだ……」
彼女がホスピスで独り終末医療を受けていたと聞いて、彼女の文面も平山姓でいたことも納得できた。
凛子は最後まで病名も余命も秘めたまま、あの世に旅立っていた。彼女にすれば周りから気を遣われることがかえって苦痛になるからであろう。
「四人の同窓会を始めて二年になるが、遂に二人だけになったな。これでデッカンもチェンも逝ったし、寂しくなったよ……」
村木が感慨深げに言った。
「うん、凛子が言い遺したように、二人の魂を連れて、これから四人で阿蘇に行くか!」
三通の手紙を抱いて旅立った凛子が哀れで仕方がなかった。
私は凛子の遺品である赤い万年筆を握りしめて裏番の車に乗った。(完)
あとがき(手紙3)
平山凛子様
温かい春が巡ってきて立夏も直ぐそこに来たのに……。凛子の手紙を読んで悔しくてしかたがありません。夏は凛子の季節でしたので……。
故郷の山は冬を乗り越えて蒼々と装い、川は碧い水が悠然と流れて変わらぬ時を刻んでいます。
凛子から人生の儚さを教えられるとは思いもしませんでした。
凛子は清く生きているのに……、命まで不平等だと思っているのでしょう。
差別に苦しめられた人生の最終章に病魔との闘いが待っていたとは、今の凛子に、“頑張れ”という曖昧な言葉を贈る勇気が私にはありません。
でも、私が枕元にいたら「元気になって阿蘇に行こう!」と、涙ながらに言うでしょう。
4人の同窓会のお陰で20年振りに再会して、凛子との新しい想い出を連ねることができました。
港町の駅で再会した時は綺麗になった凛子に驚かされたし、第二ボタンを見て高校時代を連想しました。部活の後に、凛子が振舞ってくれた駅前の天ぷらうどんは特別に美味しかったです。
紅白試合でボールを二塁に送球した後に帽子を脱いでお礼を言いましたが、実はお礼ではなかったのです……。
あの時代は面と向かって告白することは憚れたので、『好きです!』を聴こえないように呟いたのです……。だから、凛子にも誰にも私の声は聴こえなかったはずです。
その初恋人の凛子と海峡沿いを散歩した時は胸が熱くなりました。今でも凛子と腕を組んで歩いた時の感触を左腕が覚えています。
代々木の居酒屋では凛子がきつそうで、その時に重大な異変を確信しました。
富津の墓参に行った帰りに、「これで思い残すこともなくなった」と言いましたね。その言葉に全てが凝縮されていたと思います。
その後にJRで凛子の通学コースを通ってから食堂や母校を訪問しました。凛子は通学路の風景を記憶に刷り込むように見つめていましたね。
母校の坂道で小休止した時に「悔しいわ、何回も駆け上がったのに……」と、言った顔が今でも忘れられません。
それを最後に凛子は私の視界から消えましたが、文通で凛子の心模様や病状を知ることができました。
凛子との唯一のつながりであった文字を綴ることもできなくなったとのこと
……、残念ですが致し方ありません。
招魂場に行ってくれたのですね、私に黙って……。ありがとう。
阿蘇旅行は、三人が揃うまで順延にします。
凛子の言う通り、何があっても遠くから凛子を見守り続けます。
凛子は頑なに涙を見せなかったが、弱虫の私はもう涙で文字が書けません。
私もこれを限りに手紙を書くことを止めて、凛子への思いを心の中に綴り、
それを夏空に託したいと思います。
平山凛子、ありがとう!
198X年五月 相原公亮