悠々日和キャンピングカーの旅:②朝霧高原と富士五湖
■旅の2日目
5:30に目が覚めた。バンクベッドの小窓のシェードを下げて外を見ると、まだ夜明け前だ。昨夜は早めにベッドに入ったので睡眠時間は十分だ。
運転席の上の狭い空間のバンクベッドで、暖かい布団に入っていたため、寒さは感じなかったが、顔は冷たくなっていた。布団から出てダイネットに下りると、さすがに寒い。ダイネットのテーブルの横の温度計は3℃を表示していた。
外に出ると、昨夜は数台だったキャンピングカーが、深夜に到着したのか、十台を超える台数になっていて驚いた。日本各地のナンバープレートが付いていて、更に驚いた。朝霧高原のブランドは強い。
昨日会えなかった富士山は、昇ってくる朝陽で薄いピンク色に白んだ空を背にして浮かび上がっていた。道の駅の裏手の小高い丘に上って、その姿を写真に収めた。
道の駅に続く階段から、巨大なバスが駐車場に入って来た。それは、山中湖で使用されている水陸両用バスの「KABA号」で、何故ここに、と思いながら近付いた。横に立つとかなり見上げほど高く、3mはありそうな巨大なもので、“カバ in 朝霧”の写真を撮った。KABA号が駐車場を出ていった後、スクリューが付いていたかどうかの確認を忘れていたことに気付いた。
キャンピングカーに戻ってからは、家電を使う前に、サブバッテリーの充電残量をチェックしたところ、赤ランプが点灯。絶望的な気がした。試しに、蛇口のコックをひねると水は出た。赤ランプの意味合いが良く分からない。
ガスで湯を沸かして、コーヒーを淹れ、一息ついた。少し寒かったが、ガスの炎で、ダイネットは多少なりとも暖かくなった。なお、サブバッテリーの充電残量が作動中のFFヒーターに及ぼす影響が分からず、安全を考えて、スイッチは入れなかった。
朝食用のウィンナーを温めようと、ダメ元で、電子レンジのスイッチを入れたが作動しない。赤ランプが点くと電子レンジは作動しない、と覚えておこう。
ガスコンロでウィンナーに火を通し、目玉焼きを作り、食パンに挟んで食べた。その後は、食器類を洗って、歯を磨いて、顔を洗った。赤ランプでもここまでは出来た。
今日は富士山周辺を回って自宅に帰るだけなので、家電を使う機会は少なく、気分は少し楽になった。
今日は快晴だ。停まっていたキャンピングカーの多くは既に出発していた。遠くから来たキャンピングカーにとって、この天気ならば、早く出発するのも頷ける。翻って私は、ちょっと富士五湖を回って自宅に戻るのみのため、ゆっくりとしたペースになっていた。
出発前、隣の駐車スペースに、あのルパン3世の愛車「フィアット500(通称チンクエチェント)」が停まり、朝露に濡れたクルマを磨き始めた男性がいたので、声を掛けた。神奈川県の相模から早朝に出発して、たった今、到着したとのこと。この車は遅いし、上り坂が苦手なので、朝早く来たとのことだった。お互いに、相手が興味を持ちそうな愛車のことを話した。情報交換だ。
この駐車場内には、十台を超すキャンピングカーが駐車していたのだが、私も含めて、その旅人同士が会話する光景はなかった。車外で目が合えば話すきっかけになるのだが・・・、隣のキャンピングカーのドアをノックして「会話しませんか」と言うのは憚られる。いずれにせよ、会話するチャンスはなかった。
新参者は経験豊富な人の話を聞きたいもので、経験豊富な人は色々と話したいのでは、と勝手な想像をしているのは私だけ?
お世話になった道の駅からは富士パノラマラインを北上。
この道を走りながらでは、精進湖(しょうじこ)はほんの一瞬しか見えない。そのため、湖岸の道に入り、ぐるりと一周回った。その西側の数ヵ所、木の枝が道の方まで延びている場所があり、キャンピングカーの屋根に当たらないように注意しながらの運転になった。再び富士パノラマラインに戻り、西湖(さいこ)に向かった。
西湖に下る道は「湖北ビューライン」と呼ばれる県道で、下り始めてからの路面は、青木ヶ原樹海の高木の陰になっている部分が多く、路面凍結注意の看板で体が硬くなった。ブレーキではなくシフトダウンで速度を落として下った。スタッドレスタイヤでないため、一旦滑り始めると、3トンの車重のキャンピングカーは止まらなくなりそうな気がして、少しビビりながらも、何事もなく下り終えた。
そこには、日本の原風景とも言える茅葺屋根の家々が立ち並ぶ「西湖いやしの里根場(ねんば)」があったが、次回、妻と一緒に行くこととし、今回はパスした。
西湖が見えた。富士山も見える。この車窓情景をじっくりと見るために、キャンピングカーを駐車場に入れた。湖岸まで下りて、湖から樹海、その奥の富士山までの構図の写真を撮った。雲ひとつない絶景だ。ここは素晴らしい展望が広がるフォトスポットだ。静かだ。この雰囲気が西湖の売りなのだろう。
何かで読んだのだが、本栖湖、精進湖、西湖の三湖の湖面は同じ標高900mであり、西湖の水を人工の水路で河口湖へ流すと、それに連れて他の二湖の水位も下がった事実もあり、この三湖は湖底でつながっているとのことだ。かつてはひとつの湖だったが、富士山から流れ出た溶岩流で、三つの湖になった経緯もあるようだ。
ここからの湖岸道路は、ほぼどこからでも湖面の向こうに富士山が見える。さすが湖北ビューラインだ。所々に見えるキャンプ場は、さすがに冬シーズンのためか、テントの数は少なかった。
西湖より約70m下れば河口湖だ。この湖岸道路からも富士山が良く見える。広い駐車場がある大石公園に立ち寄った。ここは、花畑、川口湖、そして富士山をセットにした写真が撮れる最高の場所だ。暫く風景を味わいながら、写真を撮った。その中のお気に入りの1枚を、本投稿のカバーページに使用した。良い景色だった。
再び東へ進むと、これまでの車窓風景とは全く異なり、美術館やレストランが見えてきた。そのような場所は妻のお気に入りで、今回は立ち寄らず、妻との二人旅のために取っておこう。
その先の河口湖大橋は渡らず、湖の東端を走った。そこは橋で区切られた小さな湖のようで、ホテルが立ち並ぶ。高校の修学旅行で泊まったホテルがある筈だが、もう半世紀に近い時間の経過もあり、記憶も薄れているが、外観からは見当が付かなかった。その先にはロープウェーも架かっていた。
湖岸には広い駐車場があり、そこで小休止。河口湖の東南のそこから、ここまで走って来た方向を振り返ると御坂(みさか)山地が見える。この山々があったからこそ、山中湖を除く富士四湖が出来たような気がする。湖側から見ると、この山地はそれほどの高さは感じられないが、以前バイクで、甲府盆地側から御坂みち(R137)を上った際は、かなり険しい勾配の山々が目の前に広がっていた。
強いて理由はなかったが、山中湖には行かずに、富士パノラマラインで帰路に就いた。この道は富士山が見える観光道路と思いきや、大型トラックがかなり走る幹線道路だと気付いた。
作品名:悠々日和キャンピングカーの旅:②朝霧高原と富士五湖 作家名:静岡のとみちゃん