火曜日の幻想譚 Ⅴ
596.谷沢さんの来訪
谷沢 (たにさわ)さんが食材とワインを抱えて家へとやってきた。
数年前に引っ越してきて、右も左も分からなかった彼ら夫婦と、ひょんなことで仲良くなった私たち夫婦。彼らにいろいろと教えているうちに仲良くなり、今ではお互いの家を行き来するぐらいの間柄になっていた。
「いつもいつも、ありがとうね。でも、近々病院で検査があるんでしょう、大丈夫?」
「ええ。問題ありませんわ。それに心配をさせたくないので、検査のことは夫にも話していないんですの」
スマホで見ていたフリマサイトを横目に見ながら、谷沢さんと雑談する。普段は、客人にこんな態度をとってはいけないのだが、既にもう仲良しの谷沢さんには、そのようなことは一向に無縁だった。
「今日はおいしいお肉とそれに合いそうなワインが手に入りましたので、お持ちしましたわ」
「でも、私なんかより旦那のほうがいいんじゃない? 最近、残業続きで忙しいんでしょ?」
質問には答えず、谷沢さんは私のスマホの画面をのぞき込む。
「……このブランドなら、もうちょっと安く売っていたサイトがありましたわよ」
「?」
なんで谷沢さんが知ってるんだろう。彼女はネットで通販をしないどころか、スマホすら持っていない。機械が苦手らしくかたくなにガラケー派を貫き通し、電池パックをとっかえとっかえ、いまだに10年近く前の機種を使い込んでいる。そんな谷沢さんに対して疑問を抱いたが、パソコンか何かで情報を仕入れたのかもしれないし、一概に否定するのはよくないので、何も言わないでおいた。
「それでは、ちょっと調理しますので、お台所をお借りしますわよ」
「あ、私も手伝います」
「いいんですのよ。紺田さんはじっとしてらして」
少しの会話の後、谷沢さんは私を制して台所にこもってしまった。
「…………」
谷沢さんが台所に消えたタイミングを見計らい、私はスマホの画面を切り替える。
「奥さん、来たわよ」
「うん。知ってる」
「今日は二人で飲むから、多分、遅くなると思う」
「ああ、分かった」
「ところで……、次、二人で会えるの、いつになりそう?」
「来週の金曜日、妻が病院で検査を受けることになってるから、その時、適当に抜け出してくるよ」
「そう。楽しみにしてるわ。ついでに、あのサイトでブランド物のバッグが安かったの、買ってくれない?」
「あそこよりももっと安く売ってるサイトがあるから、そこで買うよ」
「本当? 楽しみにしているわ」
「ああ」
「紺田さーん」
奥さんのほうの谷沢さんの声に驚き、旦那さんのほうの谷沢さんとのやりとりを素早く打ち切って台所へ向かう。
「どうか、しましたか」
「すみません、おみそ、ございますか?」
「あ、そこの収納の奥にありますよ」
「ありがとうございます」
スカートのポケットからスマホの頭が見える腰をこちらへ突き出しながら、谷沢さんはみそを取り出した。
「できましたわ」
しばらくして、グツグツと煮込まれた鍋が運ばれてくる。
「おいしそう。何の肉?」
私の質問に、谷沢さんはうつむき加減でつぶやくように。
「あなたがこの上もなく愛しているお肉ですわ」
「そう。じゃ、いただきまーす」
ワインで唇を湿らし、小皿にとった肉に勢いよくかぶりついたその瞬間。私の脳裏についさっきまでの記憶がよみがえり、それらの点が一気に線になる。
ガラケー派の谷沢さんが、フリマサイトに口を出してきた。
病院の検査は、旦那には秘密と言っていたはずなのに、旦那さんは知っていた。
谷沢さんのスカートのポケットにスマホが入っていた。
私がこの上もなく愛している肉……。
もしかして、私たちの仲は既にバレていて、旦那さんは既にもう……。
ということは奥さんが持っているスマホは旦那さんの……。
じゃあ、さっきLINEでやり取りしたのは、台所にいた奥さん……。
ということはこの肉は、まさか……。
ワインに仕込まれていた毒にのたうち回る中、寂しそうな笑みを浮かべる谷沢さんがこちらに向かって、別のサイトで安く手に入れたのであろうバッグを放り投げてきた。