火曜日の幻想譚 Ⅴ
600.火曜日の幻想譚
Kくんへ。
突然、こんなものを送りつけて申し訳ないと思っています。さぞかしびっくりしていると思います。でも、本当に申し訳ないのですが、僕の願いを聞いてくれるのはもはや君しかいないのです。どうか、気の小さい友人の最期の願いだと思って、聞き届けてください。
僕は、小さい頃からとにかく影の薄い子でした。覚えていますか? 小学校の頃、ガキ大将のSくんから、
「おまえはいるのかいないのか、よく分からない。幻みたいなやつだ」
なんて言われていたのを。
そんな僕は、小さい頃から文章を描くのが好きでした。小説なんて大層なものじゃありません。小話のようなちょっとした短い話。そんなのをいくつも描いては、自分で読んで泣いたり、笑ったりする日々を送っていました。
そんな奇妙な子どもだったせいか、僕はよく学校でいじめの標的にされました。唯一の友人である君も知っている通り、先述のSくんや、中学から一緒になったMくんに、毎日、嫌がらせをされていたのです。
それはもう、ひどいいじめでした。靴を隠されたり、ものを取られたり、ズボンを下ろされたり。そんなことは日常茶飯事。屋上や体育倉庫で、めちゃくちゃに殴られたこともあったくらいです。
でも、僕はそんないじめにもくじけることはありませんでした。なぜかというと、いくらいじめられている時間があっても、文章を、大好きな話を描いてさえいられれば、僕はいくらでも耐えられたからです。文章という幻想の世界に潜り込むことで、現実のつらさを紛らわすことができたんです。
でも、苦難はそれだけでは終わりませんでした。中学を出て、いじめる子たちがようやく視界から消えうせたのに、僕は重い病に侵されていると診断されました。当面は、生命の危険はないけれど、長生きするのは難しいだろう、医師は事務的な顔で、そう僕に告げたのです。
それを聞いて、僕は打ちひしがれつつも決意したのです。幻のようだった僕を救ってくれた幻想。それに、お礼をすることにしようって……。
ここには、この文章も含めて120×5=600の幻想譚という名の小宇宙があります。
小、中学生の頃、いじめられて泣きながら描いた話があれば、つい先日、病床でせき込みながらどうにか描いた話もあります。僕が中学までに経験したやや現実に即した話があれば、病床で描いた完全なる虚構もあります。気軽に描いた話があれば、熱を込めて描いた話もあります。怒りに任せて殴り描いた残酷な話も、欲望のままに描いたエロティックなものも、誰かの胸を打つかもしれない感動的な話もあるでしょう。ただ、世間を知らない僕が描きましたから、間の抜けた錯誤もあるかもしれません。それだけはお許しください。
なぜ、この600の話が「火曜日の幻想譚」なのか、これも、説明する必要があるかもしれません。
実は、僕の担当医師が回診に来るのが毎週火曜日だったんです。ただ、それだけのことです。でも、それは僕にとっては恐怖の回診でした。その日の結果次第で、僕が、来週の火曜日を生きて迎えられるかが決まる、といっても過言ではなかったんです。
だから、僕は火曜日の診察の時間が来るまで、これが最後の火曜日になるかもしれないと思いながら、必死に筆を走らせ、過去作品に手直しをしていました。むしばまれていく現実から逃避するため、脳裏に描き出した幻想にひたすら没頭していたんです。それが、毎週の火曜日だったんです。
そして、病で体力が落ちている僕が描ける話は、2000字が限度でした。小さい頃は、大人になったら長編も描けるようになるんだろうなと思っていたし、そのための構想も少しは練っていたのですが、それはついぞ実らずじまいになりそうです。……いや、これは余計な話でしたね。
Kくん。お手を煩わせるけれども、僕がこの世を去った後、この600のか細いきらめきをネットのどこかにそっとばらまいてはくれないでしょうか。場所も、話の順番も君の好きなようにしてくれて構いません。世の中には、僕の描いたものより素晴らしい話があるのも重々承知です。ただ、僕が生きた証と、僕の人生を救い、彩ってくれた幻想の数々に、ほんの少しばかりのお礼がしたい、それだけなのです。それだけが僕の願いなんです。わがままを言って申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
今日も回診があります。もうそろそろ終幕が近いのは、自分が一番良く分かっているつもりです。正直、不安ばかりが募ります。でも、こんなにたくさんの原稿用紙に囲まれて、今この瞬間すらも物語をつむいでいられる。この喜び、栄光さえあれば、僕は、きっと安らかに目をつむれるはずです。
そろそろ息が続きません。最後になりましたが、Kくん、そして、幻想よ。僕はとても楽しい人生でした。
ありがとう。さようなら。