創世の轍(二)
(二)
このところ佐太郎は、何日もの間、家に籠っている。
彼は、縁側に座り手入れの行き届いた庭を眺め、それに飽きると部屋で寝ころび天井を見上げる。
主が動かねば、小弥太と権六は、手持無沙汰となる。それに耐えかねて、
「小弥太、釣りにでも行くか。」
という権六に、
「主人を置いて行けるものか。」
と、応える小弥太。
「じゃというて、只々じっとしておくというのもなぁ・・、いつまで待つのじゃ。」
「少し黙らぬか。」
「・・あ~、暇じゃのう・・・」
「黙れというに。」
「・・・」
と、隣の部屋から漏れる声を聞いた佐太郎が、手持無沙汰の二人を呼んだ。二人は、佐太郎の前にかしこまる。
「権六、お前、釣りに行け。」
という佐太郎に少々気抜けした二人だが、
「はい、では、行って参ります。」
と、立ち上がり部屋を出ようとする権六。その権六に、
「権六、何処へ行く。」
と、佐太郎が問う。権六は、
「釣りで御座いますが・・」
と、応えた。
「わしは、行先を尋ねておる。」
「あぁ、ソジンさまの上流で鮎でも釣ろうかと思うております。」
「帰りに、忽然様に釣った鮎を差し上げよ。」
「全て、差し上げるので?」
「そうじゃ。」
「わしらの分は?」
「全てと言うたなら、すべてじゃ。」
権六は、納得出来ないとブツブツ言いながら、釣り竿を担いでソジンさまの上流へ向かった。
権六が、部屋を出ると、佐太郎は、また寝転んで天井を見続けていた。
夕方、釣りに行った権六が戻ってきた。佐太郎は、鮎を受け取った時の忽然の様子を聞いた。
「塩と炭を用意しておられまして、わしが、『佐太郎様からの差し入れです。』というと、『そうですか。丁度火を熾そうと思うておりました。』と喜んでいらっしゃいました。」
「そうか。それで、今晩の夕餉は、何じゃ?」
「ですから、鮎を召し上がるかと思いますが・・」
「忽然様の夕餉ではない。俺達の夕餉を問うておる。鮎か?」
「いや、鮎は、全て忽然様にと仰せられたので・・」
「そうか。残念じゃ。」
「ならば、数尾持ち帰れと仰せになれば良いものを・・」
「権六なら、言わずとも持ち帰ると思うた。」
「・・・」
「権六、夕餉は、鮎じゃ。それに、酒。」
権六は、黙って頭を下げ、部屋を出た。それを見て佐太郎は、
「やはり、何尾か持ち帰っておったか。」
と、笑う。
権六が部屋を出た後、佐太郎は、
「ずっと考えておったのじゃが・・」
と、小弥太を見て言う。
「俺は、これまで忽然様の元へ数年通い続けておったが、一体、何故であったのだろうか・・」
「当のご本人が分からぬのでは、周りの者が分かる筈が御座いません。ただ、数年前と今の佐太郎様を比べてみますと、生来の気儘に磨きがかかったかと・・」
「そうか。それで?」
「それだけで御座います。」
「気儘を養う為に通うたというのか。」
「まあ、そうとも言えるかと・・」
「そうか・・」
と、佐太郎は、また黙ってしまう。
そして、夕餉を取りながら、というより、鮎を肴に盃を傾けながら、先程問いかけるともなく呟いた疑問を権六に向けて話すと、権六は、
「それは、佐太郎様は、忽然様が好きじゃからで御座います。」
と、即座に応える。そして、酒の勢いも手伝って、
「わしの爺様が、時折話してくれましたが・・」
と、権六は、幼い頃の話を始める。
権六の曽祖父は、西国の或る武将に仕えていた。が、その地方の勢力争いで主が討ち死にした為、彼は、流浪の身となった。そして、長い年月をかけてこの地に辿り着き、村の外れで住み始めた。曽祖父が四十五歳の時である。
間もなく曽祖父は、戦に駆り出されて亭主を失った農家の後家と暮らし始めた。当時の武士は、戦のない時に農作業など熟しながら暮らすのが珍しくなかった。曽祖父の西国での暮らしぶりも同様であったので、彼は、その家の働き手として重宝された。
後家には、男女それぞれ一人の子があったが、流行り病で二人とも早逝し、その後、生まれたのが権六の祖父で、名を作助という。
作助は、生まれつき少々変わり者で、『口が有るなら、話せる筈だ。』と、田んぼのカエルに言葉を教えたり、魚を見て『手足がないのに、何故動けるのか。』などと考え込んだりしていた。その作助が七歳の時、先代の領主が、彼の近くを通り過ぎた。作助は、『お殿様、あんたは、偉いのか。』と、臆面もなく大声で領主に聞いた。家臣達は、作助の無礼を諫めようとしたが、領主は、それを止めて『そうじゃ。わしは、この国で一番偉い。』と、笑いながら応えた。『それでは、教えてくれないか。カエルは、口があるのに、何故に話せない?』と、すかさず問う作助に、領主は、返答が出来なかった。が、『こやつ、面白いことをいう子じゃ。おい、小僧。お前が十五になった時、わしを訪ねるがよい。』と言い残し、その場を去って行った。
そして、八年後、十五歳になった作助は、周囲が止めるのを気にもせず領主を訪ねた。当時の領主は、『そういえば・・』と、作助を思い出し『目通り許す』となった。
『作助、カエルが、何故、話せぬか分かったのか?』
と、問う領主に、
『いえ、分かりません。しかし、カエルとは、美味いものじゃと分かりました。』
と応えた。
『何、カエルが美味いじゃと?』
『はい、煮て良し、焼いて良しで御座います。』
『そうか。では、明日にでもカエルを料理して持って参れ。』
という次第となり、領主は、翌日、カエルを食べた。そして、
『美味い!』
と、領主を言わせ、それが縁で作助は、門衛の下働きとなった。
一頻り話して、
「まあ、そういう次第で、爺様依頼、わしの代まで門衛の下働きをやっておったので御座います。」
と、権六は言った。
「そうか、それで?」
と、佐太郎。
「その爺様が、亡くなる半年前に言いました、『思うに、殿様は、わしを、わしは、殿様のことが好きだったのだと思う。さして理由などないが、ただ好きであるから、わしは雇われた。わしも殿様が好きじゃから、働いただけのことじゃ。』と。ですから、佐太郎さまも妙に何故、何故と考えず、単純に好きであるからだと思えばすっきりするのでは?」
と言い、もうその話は忘れたとでもいうように、鮎を肴に酒を飲んだ。
佐太郎は、自分も権六のように物事を単純に考えられる性格であったならばと、彼をふと羨ましく感じたが、その様な事を考えても詮無いことだと自嘲気味に笑った。
領内に住む限り、領主の命令は絶対であるから、忽然の場合、佐太郎が『殿の御命である。』との一言を発すれば、忽然は、佐太郎を主としなければならない。だが、佐太郎は、忽然にその一言を使いたくない。出来売れば、忽然の方から近付いて欲しいと思うが、忽然にしてみれば佐太郎に近づく理由も必然性もない。
加えて今の佐太郎と忽然を比べれば、何処を取ってみても忽然の方が優れている。そして、将来の二人の関係を想像しても、人としての優劣の関係は変わらないであろうと佐太郎は思う。自分より能力のある者を配下にする。そして、上手く御する為には、何が必要であるかという答えを見付けようと必死なのである。
このところ佐太郎は、何日もの間、家に籠っている。
彼は、縁側に座り手入れの行き届いた庭を眺め、それに飽きると部屋で寝ころび天井を見上げる。
主が動かねば、小弥太と権六は、手持無沙汰となる。それに耐えかねて、
「小弥太、釣りにでも行くか。」
という権六に、
「主人を置いて行けるものか。」
と、応える小弥太。
「じゃというて、只々じっとしておくというのもなぁ・・、いつまで待つのじゃ。」
「少し黙らぬか。」
「・・あ~、暇じゃのう・・・」
「黙れというに。」
「・・・」
と、隣の部屋から漏れる声を聞いた佐太郎が、手持無沙汰の二人を呼んだ。二人は、佐太郎の前にかしこまる。
「権六、お前、釣りに行け。」
という佐太郎に少々気抜けした二人だが、
「はい、では、行って参ります。」
と、立ち上がり部屋を出ようとする権六。その権六に、
「権六、何処へ行く。」
と、佐太郎が問う。権六は、
「釣りで御座いますが・・」
と、応えた。
「わしは、行先を尋ねておる。」
「あぁ、ソジンさまの上流で鮎でも釣ろうかと思うております。」
「帰りに、忽然様に釣った鮎を差し上げよ。」
「全て、差し上げるので?」
「そうじゃ。」
「わしらの分は?」
「全てと言うたなら、すべてじゃ。」
権六は、納得出来ないとブツブツ言いながら、釣り竿を担いでソジンさまの上流へ向かった。
権六が、部屋を出ると、佐太郎は、また寝転んで天井を見続けていた。
夕方、釣りに行った権六が戻ってきた。佐太郎は、鮎を受け取った時の忽然の様子を聞いた。
「塩と炭を用意しておられまして、わしが、『佐太郎様からの差し入れです。』というと、『そうですか。丁度火を熾そうと思うておりました。』と喜んでいらっしゃいました。」
「そうか。それで、今晩の夕餉は、何じゃ?」
「ですから、鮎を召し上がるかと思いますが・・」
「忽然様の夕餉ではない。俺達の夕餉を問うておる。鮎か?」
「いや、鮎は、全て忽然様にと仰せられたので・・」
「そうか。残念じゃ。」
「ならば、数尾持ち帰れと仰せになれば良いものを・・」
「権六なら、言わずとも持ち帰ると思うた。」
「・・・」
「権六、夕餉は、鮎じゃ。それに、酒。」
権六は、黙って頭を下げ、部屋を出た。それを見て佐太郎は、
「やはり、何尾か持ち帰っておったか。」
と、笑う。
権六が部屋を出た後、佐太郎は、
「ずっと考えておったのじゃが・・」
と、小弥太を見て言う。
「俺は、これまで忽然様の元へ数年通い続けておったが、一体、何故であったのだろうか・・」
「当のご本人が分からぬのでは、周りの者が分かる筈が御座いません。ただ、数年前と今の佐太郎様を比べてみますと、生来の気儘に磨きがかかったかと・・」
「そうか。それで?」
「それだけで御座います。」
「気儘を養う為に通うたというのか。」
「まあ、そうとも言えるかと・・」
「そうか・・」
と、佐太郎は、また黙ってしまう。
そして、夕餉を取りながら、というより、鮎を肴に盃を傾けながら、先程問いかけるともなく呟いた疑問を権六に向けて話すと、権六は、
「それは、佐太郎様は、忽然様が好きじゃからで御座います。」
と、即座に応える。そして、酒の勢いも手伝って、
「わしの爺様が、時折話してくれましたが・・」
と、権六は、幼い頃の話を始める。
権六の曽祖父は、西国の或る武将に仕えていた。が、その地方の勢力争いで主が討ち死にした為、彼は、流浪の身となった。そして、長い年月をかけてこの地に辿り着き、村の外れで住み始めた。曽祖父が四十五歳の時である。
間もなく曽祖父は、戦に駆り出されて亭主を失った農家の後家と暮らし始めた。当時の武士は、戦のない時に農作業など熟しながら暮らすのが珍しくなかった。曽祖父の西国での暮らしぶりも同様であったので、彼は、その家の働き手として重宝された。
後家には、男女それぞれ一人の子があったが、流行り病で二人とも早逝し、その後、生まれたのが権六の祖父で、名を作助という。
作助は、生まれつき少々変わり者で、『口が有るなら、話せる筈だ。』と、田んぼのカエルに言葉を教えたり、魚を見て『手足がないのに、何故動けるのか。』などと考え込んだりしていた。その作助が七歳の時、先代の領主が、彼の近くを通り過ぎた。作助は、『お殿様、あんたは、偉いのか。』と、臆面もなく大声で領主に聞いた。家臣達は、作助の無礼を諫めようとしたが、領主は、それを止めて『そうじゃ。わしは、この国で一番偉い。』と、笑いながら応えた。『それでは、教えてくれないか。カエルは、口があるのに、何故に話せない?』と、すかさず問う作助に、領主は、返答が出来なかった。が、『こやつ、面白いことをいう子じゃ。おい、小僧。お前が十五になった時、わしを訪ねるがよい。』と言い残し、その場を去って行った。
そして、八年後、十五歳になった作助は、周囲が止めるのを気にもせず領主を訪ねた。当時の領主は、『そういえば・・』と、作助を思い出し『目通り許す』となった。
『作助、カエルが、何故、話せぬか分かったのか?』
と、問う領主に、
『いえ、分かりません。しかし、カエルとは、美味いものじゃと分かりました。』
と応えた。
『何、カエルが美味いじゃと?』
『はい、煮て良し、焼いて良しで御座います。』
『そうか。では、明日にでもカエルを料理して持って参れ。』
という次第となり、領主は、翌日、カエルを食べた。そして、
『美味い!』
と、領主を言わせ、それが縁で作助は、門衛の下働きとなった。
一頻り話して、
「まあ、そういう次第で、爺様依頼、わしの代まで門衛の下働きをやっておったので御座います。」
と、権六は言った。
「そうか、それで?」
と、佐太郎。
「その爺様が、亡くなる半年前に言いました、『思うに、殿様は、わしを、わしは、殿様のことが好きだったのだと思う。さして理由などないが、ただ好きであるから、わしは雇われた。わしも殿様が好きじゃから、働いただけのことじゃ。』と。ですから、佐太郎さまも妙に何故、何故と考えず、単純に好きであるからだと思えばすっきりするのでは?」
と言い、もうその話は忘れたとでもいうように、鮎を肴に酒を飲んだ。
佐太郎は、自分も権六のように物事を単純に考えられる性格であったならばと、彼をふと羨ましく感じたが、その様な事を考えても詮無いことだと自嘲気味に笑った。
領内に住む限り、領主の命令は絶対であるから、忽然の場合、佐太郎が『殿の御命である。』との一言を発すれば、忽然は、佐太郎を主としなければならない。だが、佐太郎は、忽然にその一言を使いたくない。出来売れば、忽然の方から近付いて欲しいと思うが、忽然にしてみれば佐太郎に近づく理由も必然性もない。
加えて今の佐太郎と忽然を比べれば、何処を取ってみても忽然の方が優れている。そして、将来の二人の関係を想像しても、人としての優劣の関係は変わらないであろうと佐太郎は思う。自分より能力のある者を配下にする。そして、上手く御する為には、何が必要であるかという答えを見付けようと必死なのである。