最もつまらない物語
○田×男は自他ともに認めるつまらない人生を送って、そして死んだ。
享年四十。死因は交通事故。そこは唯一劇的だったかもしれないが、事故多発交差点だったので大勢に埋もれると言えば埋もれた。
* * *
○田は、閻魔大王の裁きを受ける死者たちの列に並んでいた。
列は、非常に静粛に存在していた。
彼らを見張っている鬼たちが、ただ恐ろしかったからである。
○田も当然にそういう一人だったが、その静寂を破って、遠くから鬼の怒声が届いた。
「○田×男が、いるだろう!?」
○田は耳を疑った。
「○田×男、出てこい!」
そして○田は怯えた。
一体全体、こうも大勢の死者たちがいる中で、何故自分たった一人が名指しされたのか。
しかし、鬼を無視するわけにはいかなかった。ぐずぐずしているほうが、結果が恐ろしく思われた。
○田は力無く手を挙げた。
「わ、私でしょうか……」
列の死者たちの視線が、○田に集まった。
のっしのっしとやってきた鬼も、○田の顔を見据えた。
「……おう、このツラだな。よし、ついてこい」
○田は、無機質な部屋に通された。
そこは人間界で言えば警察の取調室のような――と言っても、現実には警察の取調室なんて見たことも無かったのだが――雰囲気だったが、そのために○田は怯えた。
これからここで、取り調べのようなことをされるのだろうか? ……い、いや……いや落ち着け落ち着け、まだ閻魔大王の裁きの前じゃないか。金棒でぶん殴られるようなことは、まあ無いだろう。そうだ、礼儀正しく、素直に振舞ってさえいれば……。
鬼とふたりきり、○田が自分自身を説得していながら立っていると、扉が開いて、ひとりの女性――と言っても人間ではなく、鬼の――が入ってきた。
「かけて下さい。手荒なことはしないので、まずは安心して下さい」
確かに、彼女は敬語で言った。
金棒を握り絞めた筋骨隆々たる男の鬼たちとは対照的な、細身の美人。金棒ではなくノートパソコンを持っており、秘書のような眼鏡をかけている。それでいて男の鬼たちと同じく角が突き出し、露出が多く、虎柄のビキニだけが彼女を覆っている。
○田は、張り詰めていた気持ちが一気にゆるんで、大きなため息を漏らした。
「あ、ありがとうございます……」
そして○田は頬を緩めた。何だ、どんな目に遭うかと思っていたら天国みたいじゃないか、とさえ思いかけていた。
「でもいやらしい目で私を見ると、そこの鬼が金棒を……」
「ひっ! す、すみません」
○田が怯えると、彼女は笑った。
「金棒を置いて……」
「えっ……?」
「彼のその手であなたを、強制的に賢者タイムにします」
やっぱり地獄!
○田がうろたえると、彼女は笑った。
「冗談です」
「……そ、そうですか」
○田は小バカにされたような気がし、苛立ちを隠しながら丁寧に尋ねた。
「ところで、私は何故ここに呼ばれたのでしょうか?」
「結論から言えば、あなたは賞を受けました」
「賞? 私の何かが特別に認められた、ということですか?」
「そうです。あなたのために、特別に、順を追って説明しましょう」
彼女がノートパソコンを得意気に操作すると、パワーポイントで作成しているようなグラフが表示された。
タイトルには「世界人口推移」。横軸には年代が並び、プロットエリアにはまずは点がひとつだけ置かれている。
「これは紀元一年の人口。三億人です。この頃にはまだ、私たちは、閻魔様のお力にただ頼って足りていました」
○田は、ぽかんと画面を見ていた。
「ところが、この世界人口が」
画面において、線がアニメーション表示によって描かれて行って、右端に迫るやすさまじい上昇カーブを見せた。
「産業革命の頃からぐぐ~っと増加して、現在八十億人」
彼女は○田を見て言った。
「裁くのが大変過ぎると思いませんか?」
「あ、はい……」
「ですよね。というわけで私たちも、体制の改革を進めたのです」
「なるほど」
あまり話が見えてこないと思いながらも、○田はとりあえず相槌を続けた。
「だから例えば、現在閻魔様には三十人の影武者がいて、三十列を並列的に引き受けている状態です」
「ほ~、そうなっているとは思いも寄りませんでした」
○田は、さっきまでいた列を思い返しながら言った。
「ディズニーランドのあちこちで来園者を喜ばせる、ミッキーマウスみたいな感じですね」
「え? そうですか?」
彼女は笑って続けた。
「ミッキーは世界に一体ですよ」
地獄の鬼なのに頭天国じゃねーか! っていうかこの展開どっかで無かった? ……と○田は内心ツッコんだが、面倒くさいので内心で済ませた。
「ところで、話が見えてきません。それで、私が何の賞を取ったのでしょうか」
「それはですね……」
彼女はノートパソコンを操作しながら言った。
「このように体制の改革を進めている私たちは、死者の皆さんの裁きも大勢の鬼たちで手分けするようにしています。現在では、テレワークとして、死者一名あたり三人の鬼たちがその死者の人生ダイジェスト動画を見て、『いいね!』あるいは『よくないね!』ボタンをクリックしています」
仕事選びに苦労してきた○田はボヤいた。
「お~、ラクチンな、まるで天国みたいな労働環境ですね」
彼女がノートパソコンの画面を変えると、金棒も筋肉も無くなで肩の、頬のコケた鬼たちが動画視聴している画像が映った。
「あんま天国じゃなかった」
そして○田がよく見ると、動画を視聴する鬼たちが更にカメラで視聴されているのだった。
「ちなみに監視している鬼たちも、仕事をサボらないかカメラで監視されています」
「ええ……」
「なお、この監視が何重層になっているかはよく分かっていません」
地獄やんけ! と言いかけたが、○田はとりあえず飲みこんだ。
「は、ははは」
「それはさておき……人生ダイジェスト動画視聴を途中で止めると、その鬼は一族郎党金棒でボッコボッコにされます」
「地獄やんけ!」
○田が叫んでしまうと、はたして、彼女もうなづいた。
「そう思うでしょう。だから鬼たちは、まず絶対に、最後まで動画を視聴するのです。視聴し終えて、『いいね!』や『よくないね!』を、絶対にクリックするのです」
彼女はここで、○田の顔を見据えて見て言った。
「しかし、あなたの動画は……あなたの人生ダイジェスト動画は、担当の鬼たち全員が最後まで視聴するのを放棄した」
「つ、つまり……?」
「圧倒的につまらなかったということです」
「ええ~っ!?」
「最後まで視聴するより、ボコられるほうがラクだったということです」
○田はわめいた。
「し、失礼じゃないの!? っていうか俺の人生がつまらないという自覚はあったけど、まさかそこまでだとは……」
彼女は気の毒そうな顔で言った。
「ちなみにこの珍事が起こったのは、四十年ぶりのようです……なお前回は、○田×彦」
「俺のオヤジだし!」
「その前は○田×助です」
「俺のじーちゃんだし! 何だよこの展開……俺サラブレッドじゃねーか」
享年四十。死因は交通事故。そこは唯一劇的だったかもしれないが、事故多発交差点だったので大勢に埋もれると言えば埋もれた。
* * *
○田は、閻魔大王の裁きを受ける死者たちの列に並んでいた。
列は、非常に静粛に存在していた。
彼らを見張っている鬼たちが、ただ恐ろしかったからである。
○田も当然にそういう一人だったが、その静寂を破って、遠くから鬼の怒声が届いた。
「○田×男が、いるだろう!?」
○田は耳を疑った。
「○田×男、出てこい!」
そして○田は怯えた。
一体全体、こうも大勢の死者たちがいる中で、何故自分たった一人が名指しされたのか。
しかし、鬼を無視するわけにはいかなかった。ぐずぐずしているほうが、結果が恐ろしく思われた。
○田は力無く手を挙げた。
「わ、私でしょうか……」
列の死者たちの視線が、○田に集まった。
のっしのっしとやってきた鬼も、○田の顔を見据えた。
「……おう、このツラだな。よし、ついてこい」
○田は、無機質な部屋に通された。
そこは人間界で言えば警察の取調室のような――と言っても、現実には警察の取調室なんて見たことも無かったのだが――雰囲気だったが、そのために○田は怯えた。
これからここで、取り調べのようなことをされるのだろうか? ……い、いや……いや落ち着け落ち着け、まだ閻魔大王の裁きの前じゃないか。金棒でぶん殴られるようなことは、まあ無いだろう。そうだ、礼儀正しく、素直に振舞ってさえいれば……。
鬼とふたりきり、○田が自分自身を説得していながら立っていると、扉が開いて、ひとりの女性――と言っても人間ではなく、鬼の――が入ってきた。
「かけて下さい。手荒なことはしないので、まずは安心して下さい」
確かに、彼女は敬語で言った。
金棒を握り絞めた筋骨隆々たる男の鬼たちとは対照的な、細身の美人。金棒ではなくノートパソコンを持っており、秘書のような眼鏡をかけている。それでいて男の鬼たちと同じく角が突き出し、露出が多く、虎柄のビキニだけが彼女を覆っている。
○田は、張り詰めていた気持ちが一気にゆるんで、大きなため息を漏らした。
「あ、ありがとうございます……」
そして○田は頬を緩めた。何だ、どんな目に遭うかと思っていたら天国みたいじゃないか、とさえ思いかけていた。
「でもいやらしい目で私を見ると、そこの鬼が金棒を……」
「ひっ! す、すみません」
○田が怯えると、彼女は笑った。
「金棒を置いて……」
「えっ……?」
「彼のその手であなたを、強制的に賢者タイムにします」
やっぱり地獄!
○田がうろたえると、彼女は笑った。
「冗談です」
「……そ、そうですか」
○田は小バカにされたような気がし、苛立ちを隠しながら丁寧に尋ねた。
「ところで、私は何故ここに呼ばれたのでしょうか?」
「結論から言えば、あなたは賞を受けました」
「賞? 私の何かが特別に認められた、ということですか?」
「そうです。あなたのために、特別に、順を追って説明しましょう」
彼女がノートパソコンを得意気に操作すると、パワーポイントで作成しているようなグラフが表示された。
タイトルには「世界人口推移」。横軸には年代が並び、プロットエリアにはまずは点がひとつだけ置かれている。
「これは紀元一年の人口。三億人です。この頃にはまだ、私たちは、閻魔様のお力にただ頼って足りていました」
○田は、ぽかんと画面を見ていた。
「ところが、この世界人口が」
画面において、線がアニメーション表示によって描かれて行って、右端に迫るやすさまじい上昇カーブを見せた。
「産業革命の頃からぐぐ~っと増加して、現在八十億人」
彼女は○田を見て言った。
「裁くのが大変過ぎると思いませんか?」
「あ、はい……」
「ですよね。というわけで私たちも、体制の改革を進めたのです」
「なるほど」
あまり話が見えてこないと思いながらも、○田はとりあえず相槌を続けた。
「だから例えば、現在閻魔様には三十人の影武者がいて、三十列を並列的に引き受けている状態です」
「ほ~、そうなっているとは思いも寄りませんでした」
○田は、さっきまでいた列を思い返しながら言った。
「ディズニーランドのあちこちで来園者を喜ばせる、ミッキーマウスみたいな感じですね」
「え? そうですか?」
彼女は笑って続けた。
「ミッキーは世界に一体ですよ」
地獄の鬼なのに頭天国じゃねーか! っていうかこの展開どっかで無かった? ……と○田は内心ツッコんだが、面倒くさいので内心で済ませた。
「ところで、話が見えてきません。それで、私が何の賞を取ったのでしょうか」
「それはですね……」
彼女はノートパソコンを操作しながら言った。
「このように体制の改革を進めている私たちは、死者の皆さんの裁きも大勢の鬼たちで手分けするようにしています。現在では、テレワークとして、死者一名あたり三人の鬼たちがその死者の人生ダイジェスト動画を見て、『いいね!』あるいは『よくないね!』ボタンをクリックしています」
仕事選びに苦労してきた○田はボヤいた。
「お~、ラクチンな、まるで天国みたいな労働環境ですね」
彼女がノートパソコンの画面を変えると、金棒も筋肉も無くなで肩の、頬のコケた鬼たちが動画視聴している画像が映った。
「あんま天国じゃなかった」
そして○田がよく見ると、動画を視聴する鬼たちが更にカメラで視聴されているのだった。
「ちなみに監視している鬼たちも、仕事をサボらないかカメラで監視されています」
「ええ……」
「なお、この監視が何重層になっているかはよく分かっていません」
地獄やんけ! と言いかけたが、○田はとりあえず飲みこんだ。
「は、ははは」
「それはさておき……人生ダイジェスト動画視聴を途中で止めると、その鬼は一族郎党金棒でボッコボッコにされます」
「地獄やんけ!」
○田が叫んでしまうと、はたして、彼女もうなづいた。
「そう思うでしょう。だから鬼たちは、まず絶対に、最後まで動画を視聴するのです。視聴し終えて、『いいね!』や『よくないね!』を、絶対にクリックするのです」
彼女はここで、○田の顔を見据えて見て言った。
「しかし、あなたの動画は……あなたの人生ダイジェスト動画は、担当の鬼たち全員が最後まで視聴するのを放棄した」
「つ、つまり……?」
「圧倒的につまらなかったということです」
「ええ~っ!?」
「最後まで視聴するより、ボコられるほうがラクだったということです」
○田はわめいた。
「し、失礼じゃないの!? っていうか俺の人生がつまらないという自覚はあったけど、まさかそこまでだとは……」
彼女は気の毒そうな顔で言った。
「ちなみにこの珍事が起こったのは、四十年ぶりのようです……なお前回は、○田×彦」
「俺のオヤジだし!」
「その前は○田×助です」
「俺のじーちゃんだし! 何だよこの展開……俺サラブレッドじゃねーか」