Disillusion
Disillusion(― 覚醒 ―) 1
第 1 部 「 人 鋳 型 」
─ちょっとした偶然。出会いは何時もそんな物だ。―
/1
去年は、ダムの水まで枯れてしまう程に雨が降る事が無かったのに、今年は年がら年中降り続く勢いで雨が降っている。私はそんな事はお構い無しに傘も差さずに散歩をしている。男勝りしている(とよく言われる)がさすがに人目を引いた。だがそれも気にならない。こんな私を世間は異常と罵るだろう。そう、その程度の異常(アウト)ならまだいいのだ。私は既に完全に異端者(アウトサイダー)なのだ。
何時しか、頭が麻痺した様な感触を覚え、精神と感情が切り断たれてしまった。表面は違いないように見えても、感覚では、やはりむず痒い違和感を感じる。記憶だけがふわふわと自分という海に浮いている。まるで他人の記憶を自分の中に放り投げられて定着していないようだ。その拍子に表情というものがどこかにいってしまい、私の身体は理性に支配された。だから、心なんか疾うの昔に失せたと、その頃の私は思っていた。
ガチャリ。
ドアノブを捻り、扉を開く。正面に見えるのはリビングへと繋がる扉。その扉も開き、私はリビングに足を踏み入れた。その先には段ボール箱を減らすために整理作業を行っている母がいた。
「あ、向日葵(ひまわり)ちゃん。お帰りなさい。」
一瞬微笑んでまた段ボールに向き直る。私は何時もの様にそれを無視した。そして真っ直ぐ自分の部屋へと向かった。
ガチャリ。
今日3度目に聞くドアの閉まる音。私の部屋は氷のように冷たく、だがそれが私の心を唯一包んでくれる優しいもの。ひんやりと冷えたベッドに横になると、私はそのまま眠りについた。
気がつくと、時計は午前四時を示していた。緩慢な動作でベットから起き上がると、少しはねた髪を手で梳(と)く。少し早いと思いつつ制服をベットに出して、学校に行く準備を整えた。服は雨の中傘もささずに歩いていた為、濡れていた。その服を乱暴に脱ぎ捨てて風呂場の近くにある洗濯籠に突っ込んだ。そして自分の部屋に戻り、新しい学校の新しい制服を着る。
私の母は、スナック・バーを経営する文字通り「ママ」だ。夜勤から帰って、朝から昼にかけては完全に寝ているため、私が昼ご飯を作り置きしておくというなんとも滅茶苦茶なルールがある。まあ夜勤を考えるとそれも仕方が無いと諦めて作ってあげている訳だが。まあそんなことも私にとってはどうでもいいことだった。私は親を親だと思っていない。私は5歳のときに父親が母親の浮気を突き止め、口論になり母親が父親に刺殺された現場を見てしまった。私の目の前で殺った為、父は私を殺そ
うとした。その瞬間チャイムがなり、住民が家に入り込んできた。よくよく考えれば、母と父の口論を聞かされて、その末に悲鳴が上がれば、すぐ住民が駆けつける、と予想できていたはずだ。それすら父は怒りでわからなかった。父は住民の目の前で脊髄あたりを切って自殺した。住民はそのことに驚いて悲鳴を上げるのではなく、その光景を目の当たりにした私が顔色ひとつ変えていないのに驚愕し、戦慄し、絶句した。息もせずに私を化け物でも見るような目で見ていた。今でもはっきり覚えている。その後、結局私は孤児院に預けられ、数週間で今の家族に引き取られた。父は私が十三の時に他界した。母はその為に働き口を見つけようと必死に探した結果、親友がそのお母さんの経営していたスナックを引き継ぎ経営していたから、そこに拾ってもらうことができた。それで数年働いて、その親友も親友の母を追う様に病死したため、母は親友のためにも、その母の為にも、そのスナックを引き継ぎ、今に至る訳だ。
それも私には関係ない。関係ないと思いたい。私は独りが好きだから。孤独は落ち着く。誰も自分に期待せず、誰も自分を罵らない。縛られることがない。それが私の望む生き方。そんな昔のことを回想していると、時計の針は二巡りした。作り置きの煮物をタッパーに入れると、自分の部屋の鞄を手に取り、ドアを開いた。
私は今年、高校二年生へ進級した。それに合わせるように私は学校を移された。私は関係のない物や興味のないものには無関心だ。そう、自分でわかるくらいに。その挙句、それが気に入らない同級生がカッターナイフで私の腹部を刺した。それ自体が理由でもあるのだが、一番の理由はその同級生が恐怖に取り付かれて私が転校しないと学校に行かないというのだ。私は環境が合わないという名目で学校から左遷された。なぜ恐怖に取り付かれたかといえば、カッターナイフで刺されても私が顔色ひとつ変えなかったから。私はこれも良く覚えている。その同級生の顔が怒りから恐怖に変わっていく所を。
私はまず校長室へ向かうことにした。校長は割りと普通に若めの人で、三十中盤ぐらいだろうか。性格も生優しい。生徒から人気がある事は聞かなくてもわかった。ある程度話が終わると、指定された教室へ足を運んだ。先生は扉の前で待っていた。
「あぁ、転入生の子? 私は天童 玲子。担任が産休を取っている間だけこのクラスを持つことになってる代理担任よ。まあ短い間だけどよろしくね。」
私だって馬鹿ではない。ある程度他人に合わせることで面倒なことは避けられると理解できる。だから基本的には前と変わらないが、多少は無視することが減った。と自分では思っている。
はい、とだけ返事をすると、先生は私を連れて教室へ入った。
「皆、今日から転校してきた女の子を紹介するわー。」
そういうと私の顔を見て、目で自己紹介するように促した。
「燈条 向日葵です。よろしくお願いします。」
事務的な口調で淡々とマニュアル通りに喋る。このクラスでは転校生を質問攻めする恒例のイベントがあるらしく、三十〜四十ほど質問をされた。勿論、支障ない程度は答えた。そして昼休み。
「燈条さん、良かったら一緒に食べない?」
さっそく何人かが誘ってきた。
「いい。」
短い返答。私は普通に答えた。つもりだった。
「何それ。調子(チョーシ)ん乗ってない?」
クラスメイトの反応は冷ややかなものだった。むしろ喧嘩腰なのだろう。そして、それはすぐに学級(クラス)どころか学年中に広がっ
たようだ。たった数時間で。いつもと同じ。嗚呼、面倒臭い。対した支障じゃないからまあいいか。そして放課後へと時は移った。
今日も雨だった。昨日よりも強く、激しく雨は地面に打ちつけられていた。無言で靴を履き替え、また傘もささずに帰路を歩もうとしていたそのときだった。乾いた明るい声がこんな雨の中鋭く私に飛んでくる。
「燈条さん」
緩やかに振り向くと傘を差した同学年がいた。そんなに大きい声じゃないのに、わたしには余韻すら残る程はっきり聞こえた。でもそれも私には関係ない。振り返った身体を前に戻して歩き出した。この人もまた同じように私を嫌悪するだろう。そう思った時だった。歩いた気配は感じなかった。なのにその人は既に私の横に来ていた。
「アンタ…誰?」
第 1 部 「 人 鋳 型 」
─ちょっとした偶然。出会いは何時もそんな物だ。―
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去年は、ダムの水まで枯れてしまう程に雨が降る事が無かったのに、今年は年がら年中降り続く勢いで雨が降っている。私はそんな事はお構い無しに傘も差さずに散歩をしている。男勝りしている(とよく言われる)がさすがに人目を引いた。だがそれも気にならない。こんな私を世間は異常と罵るだろう。そう、その程度の異常(アウト)ならまだいいのだ。私は既に完全に異端者(アウトサイダー)なのだ。
何時しか、頭が麻痺した様な感触を覚え、精神と感情が切り断たれてしまった。表面は違いないように見えても、感覚では、やはりむず痒い違和感を感じる。記憶だけがふわふわと自分という海に浮いている。まるで他人の記憶を自分の中に放り投げられて定着していないようだ。その拍子に表情というものがどこかにいってしまい、私の身体は理性に支配された。だから、心なんか疾うの昔に失せたと、その頃の私は思っていた。
ガチャリ。
ドアノブを捻り、扉を開く。正面に見えるのはリビングへと繋がる扉。その扉も開き、私はリビングに足を踏み入れた。その先には段ボール箱を減らすために整理作業を行っている母がいた。
「あ、向日葵(ひまわり)ちゃん。お帰りなさい。」
一瞬微笑んでまた段ボールに向き直る。私は何時もの様にそれを無視した。そして真っ直ぐ自分の部屋へと向かった。
ガチャリ。
今日3度目に聞くドアの閉まる音。私の部屋は氷のように冷たく、だがそれが私の心を唯一包んでくれる優しいもの。ひんやりと冷えたベッドに横になると、私はそのまま眠りについた。
気がつくと、時計は午前四時を示していた。緩慢な動作でベットから起き上がると、少しはねた髪を手で梳(と)く。少し早いと思いつつ制服をベットに出して、学校に行く準備を整えた。服は雨の中傘もささずに歩いていた為、濡れていた。その服を乱暴に脱ぎ捨てて風呂場の近くにある洗濯籠に突っ込んだ。そして自分の部屋に戻り、新しい学校の新しい制服を着る。
私の母は、スナック・バーを経営する文字通り「ママ」だ。夜勤から帰って、朝から昼にかけては完全に寝ているため、私が昼ご飯を作り置きしておくというなんとも滅茶苦茶なルールがある。まあ夜勤を考えるとそれも仕方が無いと諦めて作ってあげている訳だが。まあそんなことも私にとってはどうでもいいことだった。私は親を親だと思っていない。私は5歳のときに父親が母親の浮気を突き止め、口論になり母親が父親に刺殺された現場を見てしまった。私の目の前で殺った為、父は私を殺そ
うとした。その瞬間チャイムがなり、住民が家に入り込んできた。よくよく考えれば、母と父の口論を聞かされて、その末に悲鳴が上がれば、すぐ住民が駆けつける、と予想できていたはずだ。それすら父は怒りでわからなかった。父は住民の目の前で脊髄あたりを切って自殺した。住民はそのことに驚いて悲鳴を上げるのではなく、その光景を目の当たりにした私が顔色ひとつ変えていないのに驚愕し、戦慄し、絶句した。息もせずに私を化け物でも見るような目で見ていた。今でもはっきり覚えている。その後、結局私は孤児院に預けられ、数週間で今の家族に引き取られた。父は私が十三の時に他界した。母はその為に働き口を見つけようと必死に探した結果、親友がそのお母さんの経営していたスナックを引き継ぎ経営していたから、そこに拾ってもらうことができた。それで数年働いて、その親友も親友の母を追う様に病死したため、母は親友のためにも、その母の為にも、そのスナックを引き継ぎ、今に至る訳だ。
それも私には関係ない。関係ないと思いたい。私は独りが好きだから。孤独は落ち着く。誰も自分に期待せず、誰も自分を罵らない。縛られることがない。それが私の望む生き方。そんな昔のことを回想していると、時計の針は二巡りした。作り置きの煮物をタッパーに入れると、自分の部屋の鞄を手に取り、ドアを開いた。
私は今年、高校二年生へ進級した。それに合わせるように私は学校を移された。私は関係のない物や興味のないものには無関心だ。そう、自分でわかるくらいに。その挙句、それが気に入らない同級生がカッターナイフで私の腹部を刺した。それ自体が理由でもあるのだが、一番の理由はその同級生が恐怖に取り付かれて私が転校しないと学校に行かないというのだ。私は環境が合わないという名目で学校から左遷された。なぜ恐怖に取り付かれたかといえば、カッターナイフで刺されても私が顔色ひとつ変えなかったから。私はこれも良く覚えている。その同級生の顔が怒りから恐怖に変わっていく所を。
私はまず校長室へ向かうことにした。校長は割りと普通に若めの人で、三十中盤ぐらいだろうか。性格も生優しい。生徒から人気がある事は聞かなくてもわかった。ある程度話が終わると、指定された教室へ足を運んだ。先生は扉の前で待っていた。
「あぁ、転入生の子? 私は天童 玲子。担任が産休を取っている間だけこのクラスを持つことになってる代理担任よ。まあ短い間だけどよろしくね。」
私だって馬鹿ではない。ある程度他人に合わせることで面倒なことは避けられると理解できる。だから基本的には前と変わらないが、多少は無視することが減った。と自分では思っている。
はい、とだけ返事をすると、先生は私を連れて教室へ入った。
「皆、今日から転校してきた女の子を紹介するわー。」
そういうと私の顔を見て、目で自己紹介するように促した。
「燈条 向日葵です。よろしくお願いします。」
事務的な口調で淡々とマニュアル通りに喋る。このクラスでは転校生を質問攻めする恒例のイベントがあるらしく、三十〜四十ほど質問をされた。勿論、支障ない程度は答えた。そして昼休み。
「燈条さん、良かったら一緒に食べない?」
さっそく何人かが誘ってきた。
「いい。」
短い返答。私は普通に答えた。つもりだった。
「何それ。調子(チョーシ)ん乗ってない?」
クラスメイトの反応は冷ややかなものだった。むしろ喧嘩腰なのだろう。そして、それはすぐに学級(クラス)どころか学年中に広がっ
たようだ。たった数時間で。いつもと同じ。嗚呼、面倒臭い。対した支障じゃないからまあいいか。そして放課後へと時は移った。
今日も雨だった。昨日よりも強く、激しく雨は地面に打ちつけられていた。無言で靴を履き替え、また傘もささずに帰路を歩もうとしていたそのときだった。乾いた明るい声がこんな雨の中鋭く私に飛んでくる。
「燈条さん」
緩やかに振り向くと傘を差した同学年がいた。そんなに大きい声じゃないのに、わたしには余韻すら残る程はっきり聞こえた。でもそれも私には関係ない。振り返った身体を前に戻して歩き出した。この人もまた同じように私を嫌悪するだろう。そう思った時だった。歩いた気配は感じなかった。なのにその人は既に私の横に来ていた。
「アンタ…誰?」
作品名:Disillusion 作家名:紅蓮