死別(おしゃべりさんのひとり言 その93)
死別
心の準備、伝えておくべきことなど、やっぱり必要なんですよね。
誰にでも、この瞬間は訪れるものです。
まだ小学校に行く前、95歳でひいおばあちゃんが亡くなりました。怖いおばあちゃんで、私が悪戯なんかすると、お尻に仏壇の線香で灸(やいと)を据えられました。もうそれもなくなると気付いたことで、死を初めて認識した出来事でした。
17歳の夏、母方のおじいちゃんをガンで亡くしました。私には入院しているとは知らされていませんでしたので、アメリカに短期留学しました。その時向こうから送った絵葉書を、病室で嬉しそうに見ていたそうです。
20歳の冬に、父方のおばあちゃんが、玄関先で倒れて亡くなりました。親戚の寄り合いに参加して、暖房の効いた車で送ってもらい、玄関までの間の急激な温度変化で、脳の血管が切れたそうです。そのまま冷たくなっていました。
24歳の秋には、父方のおじいちゃんが入院中に亡くなりました。私の職場に近い大きな病院に入院したのに、仕事が忙しく一度もお見舞いに行っていませんでした。
それからしばらく、40歳の時、大好きだった母方のおばあちゃんが、病院で亡くなりました。
それまでの経験から、お見舞には絶対に行かないといけないと思っていたので、病院にも足を運びましたが、日々衰弱していくおばあちゃんを見るのが辛かったです。悲報を聞いた時、私は声を上げて泣きました。
今では多くの知り合いが亡くなっています。その人数を数えたことなんかありません。
叔父や叔母も高齢になり、2~3年に一度くらいの頻度で親戚の葬儀があります。
その他、友達が白血病で亡くなったり、バイクの二人乗りで転倒して亡くなったり。ホステスをしていた友達は、飲酒後の仕事帰りにトラックと正面衝突。肺がんで亡くなった友達は、病院のベッドで「死にたくない」と泣き叫んでいたと、その母親から聞きました。
恩師もガンで。ボスもガンで・・・。
どれもこれも悔やまれてなりません。しかし私は、誰の死に目にも立ち会ったことがありません。
両親は今も健在です。母さんはとても健康で、病気もほとんどしませんが、父さんには、何度も覚悟させられました。覚悟とは死に対するもののことです。
20年ほど前に、実家の屋根に溜まった苔を掃除していた最中に、父は足を滑らせ5メートルほどの大屋根から転落しました。それを私は下から見ていたのですが、受けとめることもできないほど一瞬で、右肩から地面に落下。この瞬間覚悟するしかなかった理由は、頭を石垣にぶつけると思ったからです。しかし幸いにもわずかな石の隙間にすっぽりと頭が入り、右上腕をポッキリ骨折するだけで済みました。
ある日、実家での法事の時に、親戚のおじさんが言いました。「顔が変だぞ」
父の顔が普段と違うように見えたそうです。確かに疲れているように感じましたが、このおじさんは、心当たりがあるから、「すぐに病院に行け」と言いました。
翌日父は、一人で車を運転して、町の病院に行きました。そしてその待合室で突然意識を失ったのです。覚悟する間もなく、家族が誰も知らないうちにこんなことが起こっていましたが、場所が場所だけにすぐに処置がされました。父は脳卒中でした。
しかしその回復後にも、父の健康は戻りませんでした。突然歩けなくなったり、思うように体を動かせなくなることがあり、何度もその町の病院に救急車でかけ込みました。そしてしばらくすると元に戻って退院する。これの繰り返しです。私はそろそろ覚悟をし始めていました。
しかし、弟のコネで大きな大学病院を紹介してもらい。そこに検査入院したところ、特殊な心筋梗塞の疑いがあるということでした。弟が診断結果を聞いたところによると、通常では有り得ないくらい心臓の血管が渦を巻いてしまっていた(?)そうです。
父はその治療をするにあたり、新しい手術法の被験者として、その手術を受けることになりました。結果手術は成功。一旦は「良かった良かった」と皆言いました。しかしその2日後に、父はくしゃみをした途端に、体を全く動かせなくなってしまいました。
作品名:死別(おしゃべりさんのひとり言 その93) 作家名:亨利(ヘンリー)