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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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元禄浪漫紀行(34)~(40)

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第三十七話 長屋の子育て






さあ、赤ん坊の産まれてからというもの、俺達夫婦はほとんど夜っぴて赤ん坊に付きっ切りとなり、おかねは、お稽古の合間にも赤ん坊にお乳をあげた。

中には、赤ん坊にと、おもちゃなどを土産を持ってきてくれるお弟子も居たけど、それより親切だったのは、長屋の住人だ。

俺が洗濯に出ている間、秋夫が急に泣き出した時があり、それはもちろん、長屋中に聴こえる大声だった。赤ん坊は遠慮などしない。

俺が洗濯物をほっぽって家に戻ろうとすると、近くで水を汲んでいた海苔屋のトメさんが、俺を呼び止めた。

「これ、赤ん坊は私が見てやるよ。お前さんは早く仕事を済ませなね」

「えっ、よろしいんですか?」

俺はびっくりした。長屋はみんな助け合って暮らしていたけど、そんな事まで手助けしてくれるとは思わなかったからだ。

「大丈夫さ。ありゃあね、あの声は多分、おしめが濡れてるんだよ。それならこの婆でも役に立つさね」

「そ、それは…では、お願いします、トメさん」

「あいよ」


俺が洗濯が終わる前に、トメさんは本当に秋夫のおしめを持ってきて、「洗っておやり」と差し出した。俺が礼を言って、「すみません」と謝ると、「なあに、この長屋に生まれたあかんぼなんだ。こんなのは当たり前だよ」と言われたのだ。


トメさんは、「この長屋に生まれた赤ん坊」と言った。もしかしたら、長屋の住人は、みんな同じように思っていたかもしれない。

長屋の付き合いそっちのけで遊び惚けている、奥の駕籠舁き二人でさえも、秋夫を抱いて揺らしたり、「ほれ、食ってみな」と、おやつを口に入れたりしてくれた。


「ほーれほれ」

駕籠屋の新吉は、秋夫の前で銀色に光る小さな粒をくるくる回して、秋夫がそれを顔ごと追いかけて首を回しているうちに、ぽいっと口の中に放り込んだ。

秋夫はしばらくもぐもぐとそれを味わっていたけど、突然びっくりしたように、まん丸の目をぴかっと見開く。

「あーい!」

ぷくぷくした小っちゃな両手を振り回して、秋夫は俺の腕の中でぱたぱた足を掻いた。嬉しくて仕方ないらしい我が子を見ていて、俺も嬉しかった。

「おおそうかそうか、うめえか」

新吉さんは嬉しそうにそう言って、秋夫の前で片手を振っていた。駕籠屋のもう一人、三太郎も笑い転げている。

「赤ん坊が初めて氷砂糖なんてものぉ食ったんだ。こらぁえれぇこった」

そう言いながら、三太郎も紙袋の中から、氷砂糖を取り出し口に放り込んでいた。

「すまないね、二人とも」

「いいんだよ。今日の客は羽振りが良かったからな。これから二人で久しぶりに遊びに出るんだ」

「行ってらっしゃい。気を付けて」

「よせやいくすぐってぇ」

俺の挨拶に照れ笑いをしながら、新吉と三太郎は木戸をくぐって行ってしまった。


そんな風に、俺達は長屋のみんなに育児を手伝われて、俺が「空風秋兵衛」としての書き物をしている間も、おかねがちょっと昼寝をすると言った時も、手の空いてそうな住人に頼めば、赤ん坊を見てくれていた。

だから俺達は、育児疲れでへとへとになってしまう事もなく、仕事も続けられた。俺は長屋の全員に感謝していたし、すまない気持ちもあったけど、みんなが秋夫の成長を楽しみにしてくれているのが分かって、嬉しかった。



俺が江戸に来て、一体どのくらい経っただろう。気が付けばおかねと夫婦になり、秋夫という愛しい子を成していた。あっという間だった。

当たり前のように裏長屋で暮らしていながらも、俺は今でも、元居た時代との違いを比べている時がある。

それはもちろん、江戸の方が不便が多いという比べ方もあったけど、人々が助け合って暮らそうと心掛けている所では、江戸に敵う時代はないのではと思うくらい、俺達夫婦は人に助けられて暮らしている。

「ふあ…うああ…!」

「おっと、どうしたどうした」

考え事をする暇もなく秋夫がまた泣き出し、人差し指を差し出すとそれに吸い付いてきたので、俺は、井戸端でおそのさんと喋っているはずのおかねを呼びに行った。