小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
HERRSOMMER夏目
HERRSOMMER夏目
novelistID. 69501
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

「 より大いなる希望」:アイヒンガー:

INDEX|1ページ/1ページ|

 
*
【内容・一覧】:


*戦後ドイツ短篇のタイトル考: ---
 
   各作品のタイトルには時代の状況が読み取れる。レクラム版より
 
   ・「陽動作戦」:シュヌレ
    陽動作戦とは味方の真の作戦を隠し、敵の判断を見誤らせるために、        ある行動に出て敵の注意をその方向に向けさせること。

   ・「隘路」:ベンダー作
    あいろとは、狭くて険しい道をいう。
           
   ・「アルカディア」:ヘルムリン作
   アルカディアとはギリシアの地名に由来し、桃源郷を意味する。
       
   ・「総合大学・ユニヴァースィティ」:ヴァイラウホ作
             ・60年代 ---
        ・「ハイデルベルクへお前は行き過ぎる」;ベル作
    ・「再会・ヴィーダーズィーン」:シュナイダー作
             ・70年代 ---
    ・「香水」:ジュースキント作
            --- 80年代 ---

*** ^^^  

* 詩三編: 閨秀詩人 より

・ 五月のわたしは...
   ・ドーミン / ・アイヒンガー

* 自由律俳句 より : 五句

 * クリスマスの 第一の祝日歌:
ランゲッサーの異世界より

*- * (( ( *  PV.340-

 冗談じゃないわと、こんな詩をみたら、この閨秀詩人は吃驚もし軽蔑するだろう。 彼女は半ユダヤ系でもあり、両親や姉妹がナチスヒットラー時代にアウシュヴィッツ強制収容所で殲滅の被害にあっているのだ。

だから 彼女はいつも、こころに恩寵とキリストによる救済を求めて、実人生は もとより、長短編小説や幾多の詩集において書き、生きてきたのだ

だが、時代も進み、同じ現代といっても、戦後と経済発展がなされて自由に豊かになった今とは、生活も考えも書くものも当然ながら異なる。
  そして彼女なら同じ世代の、こんな詩のほうにSympathyを強く感じることだろう。
 ・嗚呼 窓一つなき 家の中
陽が輝き 花が咲き始めても つゆ知らず
夜の闇に漂う 沈黙の帳(とばり)にて
慰みもなく 憤怒の静けさ増すばかり・・・

 この閨秀詩人ドーミンの父もやはり、半ユダヤ系であり、弁護士であるが、流謫(るたく)の地イギリスで亡くなっているのだ。
    *
  また、こんな詩を書いた半ユダヤ系の閨秀詩人もいるが、やはり、哀愁と希望と 祈りに満ちている。>>>

  長いこと 捜し求めてきたものは何 ?..
  光は消え 闇の中で力も失せ 認識もできないまま 
けれども こころの安らぎとは どういうものか 
  そして 愛するこころは 新しき衣装を着ること 
 こころの安らぎは 何処に?...
  そは 心の中にこそ  その道のりは遠く・・

この閨秀詩人アイヒンガーはウイーン生まれで、半ユダヤ系のため学問は許されず、戦後になって、ようやく、医学の研究に専念できたのだが、それもつかの間、二年後には断念すると、長編小説「より大いなる希望」Die größere Hoffnung の完成を目指し作家生活に専念していくのである。

*- *- ((( *

 ・柿三つ 枝に残りし 漱石忌 

     * - ( ((  *

  道之助は或る時、友人の徳丸五十くんに云った。
 きみはなにかと博識だが カトリック閨秀ランゲッサーのこんな詩篇は知らないだろうな。まるで 彼女の詩は典礼の一部でもあるように 書いているのだから。
  彼女は半ユダヤ系でもあり、ナチスの迫害に苦しめられていたからこんな詩を書くのも故あることなのだが、何十編となく書き纏めているのだ。
 神の恩寵に感謝し、救済を確信するように、と云うと、
 
   なるほど、この短い詩からも 陰と陽、暗さと希望が見て取れるから、それは推察できる。
 それにしても 暗い時代は いつになっても引きずって変わらぬものだな。
特に中東ような宗教も民族も異なった国が隣り合わせて存在していれば、これは歴史的にも解決が、未だになされていなく、なかなか 複雑なのがわかる 。
   だから、こんな詩も書かれたのだと思うが、希望は見失しなっては いけない と徳丸くんが関心を示したのは こんな詩である。

【 クリスマスの第一の祝日歌: 】
       第一王の詩 より

  わが血と感性は 暗い運命に満ち 目覚めると こころは 
   耀く露を求めてやまなかった すると 刹那 叫んでいた:

  おお 露よ そは 恩寵さながら ゲデオンのマントのように光り輝き
   神の下 沈黙のうちに拡がると 天は上に被せた衣となり やがて
   激しい音が雷(いかずち)のように轟きわたるや
  その激しきあとには 陽の光が 黄金のように輝きはじめていた・・

    エピファニー Epiphanie より  
  E. Langgässer :Gedichte Claassen Verlag 1959 S.32

Vgl. 露はイエスキリストの比喩。

       桑子道之助の優雅な青春交遊・抄 より

*- *- ((( *

一夏、古稀を過ぎた老人は、今年もまた、一人、海辺の別荘に来てのんびりと過ごしていた。
老人はその朝もテラスに出て、五十がらみのお手伝いが用意してくれた濃い珈琲を飲みながら、テーブルに置かれた新聞は拡げられてはいるが、読もうともせずに、海に目を向けていると、岩陰に一隻のヨットが隠れたかと思い、しばらく見つめていたが、なかなか出てはこない。
不思議に思っているところに、お手伝いが、ご主人様、お手紙をお持ちしましたと言って差し出してきた。
 果て、誰からだろうと思ったが、直ぐには開こうようともしないでいると、素敵な人からのお知らせであればようございますわね、と云い去っていく。・
   ・***