ダンスフロア
一 初夏
いつ大人になったか、と生徒に聞かれた。初夏の光あふれる図書室で本の整頓をしていた手が、ふと止まる。
「先生、大人になりたかった?」
ちょうど昼休み終了を告げるチャイムが鳴り始めたので、
「山田さん、とりあえず授業!」
と、別棟にある教室へ、半ば強引に追い返した。
授業の用意を抱えて教室に入ると、山田さんは誇張表現抜きで不服そうな顔をして、窓側の前から二番目の席に座っていた。
大人になりたかったか。
「換骨奪胎」の意味を生徒に調べさせている間、机の列の間を歩きながら、私は頭の中で繰り返しつぶやいた。なりたかったし、なりたくなかった。これが一番単純明快な答えなのだけれど、そう言ったところで、酌量の余地なく彼女が眉間にしわを寄せて抗議してくるのはなんとなく見えている。「意味わかんないんですけど、それってあれですよ、矛盾ってやつ?」覚えたての言葉を物怖じなく振りかざす中学生の瑞々しさは、大人の私にはちょっとまぶしい。
教卓の脇を通って廊下側に体を向け、擦りガラスの窓をぼんやり見ながら、だいたい、と私は思った。だいたい、白か黒か、善か悪かみたいに、答えをはっきりさせられるような問題はそうそうない。確かに、山田さん、あなたくらいの頃は私も息を荒くしていろいろな疑問や矛盾にがむしゃらに挑んでいた気がする。それこそ、必ず明確な答えが見つかるものだ、そうじゃなきゃおかしいって信じてね。でも、いつか、どこかの瞬間で気づいたのだと思う。ひょっとしたらそれは、諦めという言葉のほうが近いのかもしれないけれど。はっきりとした答えを見つけることだけが全てではない、と。
強く風が吹いて、乳白色の窓ガラスが音を立てて揺れる。
可能性は無限大、何にでもなれていいわね。
かつて、これほど未来を夢見させる大人の言霊はなかった。でも、過去の記憶から燦然と現れるその言葉は、今の私には、子どもの輝かしい未来に目がくらんだ、哀しき大人の独りごとのようにも聞こえる。無限にあったはずの未来を少しずつ食べながら、私たちは気づかないうちに大人になっている。息を吸い、そして吐く自然さで、純粋さを失い、日々傲慢になってゆく。
いつだって、外堀は知らない間に埋められていくのだ。大人になんかなりたくなかった、そう思った時にはもう、大人になっているんだよ、山田さん。窓側の前から二番目の席で、陽の光に透けた茶色の髪が風に揺れる。めくるめく狭間に憂う十四歳は美しい。
大人になりたかったのは、大人になれば何でもうまくいくと信じていた十四歳の子どもの私。大人になんかなりたくなかったのは、どこかで見失った十四歳の欠片を捜す三十二歳の大人の私。矛盾してませんか、先生。やはりそんな懐疑的な一言が返ってきそうではあるけれど、大人になったらわかるようになるのよ、と、よくあるはぐらかしのテンプレートで煙に巻いたふりをしよう。
五時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り、憂いの少女は素早く立ち上がると、子どもの無邪気さで教卓まで駆けてきた。