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山と生き物

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 子供のころから虫好きで親しんできた。虫好きな子供にとっては定番のようにカブトムシやクワガタムシさらにはカミキリムシなどの甲虫は特に好きで飼育にも励んだ。しかし、僕は青年になるまで小さなカミキリムシに似たハンミョウという虫を知らなかった。子供のころの遊び場であった野山にはいなかったかもしれないし、いてもたまたま見つけることがなかったのかもしれない。
 僕が初めてハンミョウを見たのは京都での大学生時代だ。虫歯の治療を終えた歯科医からの帰り道、道路の端のコンクリートの溝蓋の上にキラッと光るものが目に入った。その輝きに惹かれその場にしゃがんでその場から逃げようともしない光の正体である虫をじっと見つめた。その虫は生きているのか死んでいるのかはっきりとはしない。その甲が放つ緑、オレンジ、紺などのメタリックな光は美しく怪しげでもあった。僕は初めて見る虫をしばらく見ていていた。すると、なんだか目が回るような不快がこみあげてきて気分が悪くなった。かすかに嘔気も覚えた。思わず僕はその虫から目をそむけ、そして虫が視界に入らないように立ち上がりその場を離れた。悪い気分はゆっくりと歩いているうちにおさまっていった。落ち着くと僕はどうして気分が悪くなったのか考えた。不明瞭に交じり合って変化する甲虫の模様と輝きに酔ったのだろうか、意識下の生理が拒否したのだろうか、それとも歯科医で受けた麻酔の影響だったのだろうか。
 その時の虫がハンミョウという名前の虫だと知ったのは就職して近江の地に住むようになってからだ。近くの野山でよく出会うことがあるごくありふれた虫だった。出会ったそれらはやはり美しい光を放っていた。その輝きは甲や頭部だけではなく、飛翔時に見える羽の下の胴体もが瑠璃色に輝くことが分かった。そして、幾度の出会いで目にしたきらめきにあの時のような不快を感じることは一度もなかった。それどころか、ハンミョウたちのある行動に親しみを感じるまでになった。ハンミョウを目にするのはたいてい野山の道で、歩くすぐ前を飛んで逃げる時である。僕が歩いてハンミョウのいるところにさしかかる度に彼らは必ずと言っていいほど僕の少し前方に飛ぶ。数メートル飛んでは着地して、僕がまたそこまでたどり着くとまた前方に飛んでゆく。ハンミョウとしてはただ単に近づいた僕から逃げているのだろうが、繰り返すその行動はまるで僕の道先案内をしているように見える。昔から「ミチオシエ」と言われているこの行動はハンミョウ自体の呼び名にもなっているようだ。
 僕はよく山登りに出かける。若い頃からよく登っていて健脚の方である。歩くペースも速い。逆に僕の妻は山の経験は少なく歩くペースもかなりゆっくりな方である。一緒に登るときはこのペースの違いから、僕が先行しある程度登っては妻が上がってくるのを待つということの繰り返しのパターンになる。どうせ登頂までの時間が一緒なら妻のペースでゆっくりと登ればいいのではないかとも考えるのだが、どうもスローすぎるペースは僕の心身のリズムになじまないようなのである。そして、妻とのある山でのこと、いつものように僕が先を登り、妻を待ってはまた先へといういつもの調子で登っていた。妻がたどり着くまで待ち遠しいので、妻が追いつくとすぐに出発した。その時、「ハンミョウか!」 妻の怒気を孕んだ声が背中にささった。僕はすぐに意味を理解して声をあげて笑ってしまったが、少し思いやりがなかったことに反省をするのであった。


オオセンチコガネ

 山道で春から秋にかけて見かける2センチ前後の丸っこい甲虫である。体色は複数あり瑠璃色の個体もあるが緑やエンジ色のものもある。いづれも光沢の良いメタリックな甲冑を身にまとい、陽の光を浴びると宝石さながらである。こうした金属光沢の色彩は構造色と呼ばれていて、ネット情報によると「光の波長あるいはそれ以下の微細構造による、分光に由来する発色現象」だとのこと。見る角度によって色が変化するのも特徴である。タマムシやカナブンなども同じ仕組みのものであるらしい。
 ところでこのコガネムシ、主食は動物の糞や腐肉だそうで、糞を転がして運ぶ技ももっている。アフリカのフンコロガシのようなことをしているのだ。このことを知ってから山道で出会ったときに気やすく手をのばすことにためらいを覚えるようになったものだ。しかし、登山道ではしばしば登山者に踏まれて死んでいるものも目にする。無残な屍が放つ輝きは悲しい。だから彼らを登山道で見つけると摘まんで草木の中に投げやるようになった。動物の糞は、結構登山道の石の上などにあることが多い。そこに彼らが集まるので1匹を見つけるとすぐ近くに2、3匹いる。見つけるたびに摘まんで投げる。つい先日もわずか5メートほどの区間で3匹の命を救った。3匹とも僕が摘まもうと指を伸ばすと後ずさりをする。丸い宝石が後ずさりする動作は糞虫であることなどすっかり忘れさせるほどかわいらしい。かまわず摘まんで笹原に投げ入れた。しかし、その先では2匹がすでに石に張り付いていた。山登りは足元をよく見て歩きたいものである。我が身の安全だけでなく足元の命の安全のためにも。彼らはそのために輝きを放っているのだから。


蛇皮



 何年か前、いつもの散歩先の自然公園内の森でお大きな青大将を見た。それは橋の欄干の外側に橋と平行に横たわっていた。目を見張る長さで1メーターはゆうに超えていた。青大将は見下ろす僕の視線に動じることなく陽を浴びていた。
何年か後、その時と同じ橋で脱皮後の大きな蛇皮を見つけた。皮は橋の同じ場所に同じ向きで脱がれていた。長さは1メートルを超えている。見た目に瑞々しさが残り、手に取るとしっとり湿り気が残っていた。脱皮してからいくらも経っていないようだ。また、それは見事に脱がれており頭部の眼球の細部までも明確な完全体といってよいものだった。
蛇皮を手にした僕はどうしたものかとしばらくその場で逡巡した結果持ち帰ることにした。
ヘビ皮を財布に入れておくとお金が貯まるという言い伝えがある。持ち帰った皮はとてもじゃないが財布などには入らない。財布がダメならと、浅ましい僕は買っていた宝くじと一緒に袋に入れてみた。結果は書くまでもない。しかし、恥ずかしながら次のもやってみた。もちろん結果は同じ。
そんなことがあって、今はこの蛇皮の処分に困っている。あまりに完全体なので捨てるには惜しい。とりあえずはここに、と置いたはいいがその存在は薄れていくばかり。その内忘れてしまっており、ふと思い出して所在を探してまわるという始末。ああ、ここだった、と見つけた蛇皮は本棚のすき間でトグロを巻いていた。

作品名:山と生き物 作家名:ひろし63