山と生き物
イノシシ
イノシシは身近な野生動物だ。かつての職場は山の麓の湿地と林を造成して建てられた施設であった。日が暮れてしばらくするとイノシシの親子連れがよく現れた。遅出勤務の退勤時など建物の周囲にある駐車場の車に乗ろうとすると近くに集団がいたり、車のライトにもさほど動じない一団が歩いているなどまるでナイトサファリのようであった。
イノシシたちは敷地内の植え込みなどの地面の中にいるミミズを狙って来ているらしかった。翌朝には地面のあちこちが掘り起こされていた。イノシシは鼻で土を掘るらしい。けっこう硬い地面でも豪快に荒らされており、その鼻の力たるや驚くばかりのものだ。その年は隣接する自然公園の芝地なども派手にやられていた。
そんな折、職場施設の裏山に登った時のことである。至近距離で遭遇するというヒヤリとした出来事があった。裏山は天山(あまやま)といって低山ながらも見晴らしの良い山である。山頂近くの尾根にある見晴らし岩の上からは滋賀県の山が視界300度ほど見渡せる。ニヤミスはその展望を楽しんだ下山時に起きた。西側の麓から登頂し東の麓にある住宅地に下っているとすぐ目の前の岩陰から中型のイノシシ一頭が突然走り逃げたのだ。ほんの5メートルあるかないかという距離だった。その逃げっぷりからして、岩陰で寝ていて僕の気配に気づき慌てふためいた、というところか。
しかし、僕のほうは逃げてくれてホッと胸をなでおろした。正面同士で対面していたりしたら対決せねばならなかっただろう。そうすればあの凄まじい突進と鼻の威力の餌食になっていたに違いない。その後の下りは周囲の岩や草むらに神経を傾注しながら慎重に下ったことを覚えている。
この近隣の山にはとにかくイノシシが多いようだ。山中のあちこちでイノシシ臭がするし、ヌタ場も見かける。人間にとっての害も多く山中には檻罠や括り罠もあちこちに仕掛けられている。実際に罠にかかったものは見たことはないが偶然出会った駆除を請け負っている猟師の人に聴くとそれなりに捕獲しているそうだ。また、罠だけではなく銃での駆除現場に遭遇したことがあった。ある日いつも通り林道に入ろうとすると、林道の入り口で両手で大きくバツ印をするおじさんがいた。おじさんの背中には猟銃が掛かっていた。多分林道の奥では追い出し役が居て走り出て来たイノシシを仕留める役回りの人だったのだろう。ことを察した僕はその日の散歩を諦めて帰った。
あの手この手での駆除対策はこの山で暮らすイノシシたちには災難であろう。かつて、すでに災難に遭ってしまったものにも遭遇したことがある。いつもの散歩コースである林道脇の沢で二頭の遺体が放置されていたことがあった。二体とも完全体ではなく毛皮と骨であり、捕獲者がさばいた後放置したものであろう。特段イノシシに思い入れがあるというのではないがこうしたものを見るとそれらの不運に、哀れで気の毒さも感じる。
ほんの身近かな森の散歩道ではあるが人間界と野生動物界のせめぎ合いの場であることを実感するのだった。
クマ
5月中旬、残雪期の白山に登った帰り、白峰村から勝山に超える峠手前の車道で熊を見た。峠に向けて車で登っていると路肩に止めた軽自動車のおじさんが僕の車を呼び止めるので何事かと車を停めてみると熊が道路を横断したのだと言うのだ。おじさんは後続車をわざわざ止めることまでするなど、興奮状態だったようだ。 車を降りた僕は熊が横切ったという方を指し示すおじさんの指先の沢に目をやった。熊は雪に埋まった沢をすでに横断し川の向こう岸の雪面にいてこちらを見ていた。大きな熊だ。しかし、その動作にはこちらに対する警戒や威嚇といったものは現れておらず、ゆっくりとした動作で対岸の雪面を降り始めた。その後もこちらにほとんど関心を示す様子もなくどんどん下って行く。おかげで僕はゆっくりと野生の熊を見ることができた。ふと気づけばおじさんは車に乗って去っていた。あんなに勢いづいて他人の車まで止めたというのに。
野生の熊を見るのはこれが2度目である。一度目は職場の山の会で南アルプスの仙丈ケ岳に登った際、北沢峠への林道でバスの車中からの見た子熊であった。この時も林道を横断して谷側の藪に入ろうとする時であったが、この時はほんの一瞬であった。おそらく子熊の前には親熊も横断したのだろうが可愛い子熊だけでも見ることができて幸運だった。
これまでの二回の遭遇は安全な状況でのものだったが、遭遇したわではないもののちょいと緊張をしたこともあった。10月、白山の下山時のこと、長い観光新道の下りも後もう少しを残すばかりという森の中で、動物臭が急に強まった。歩調を落とし辺りを見回しながらゆっくりと下るにつれ匂いはより強くなっていく。生々しく、つい今しがたまでその辺りにいたであろうことが推察できる。ただ問題はその臭いの種類であった。猪や鹿のものはこれまで幾度となく嗅いだ経験があるのでそれだと判断はできるのだが、その匂いはそれらではないのは明らか。匂いの強さとそれなりの範囲に漂っていることを考え合わせると大型の獣のものであることは間違いないだろう。すると…熊か?と考えるには時間はかからなかった。辺りの木々を見渡し爪痕を確認しながら足早にそこを立ち去った。街道の車道や林道よりももっと遭遇に似つかわしい山中のことである。あれはクマのものだったのかどうかと考えるのだが、どうにも確かめようがない。しかし、匂いの主に出会わなかったことが幸いであったということは確かなことのようだ。
森のスティーブ・ガッド
新しい年を迎えて程ない1月の上旬、いつもの散歩コースの林は葉をすっかり落とし、樹々の枝間の濃い青が美しかった。山道の谷筋から支尾根を登っていると頭上から乾いた連続音が聞こえてきた。耳を澄まして音の出どころを探してみると、すぐ左に生えているリョウブの上方の枝に、頭をせわしなく左右に振りながらドラミングしているコゲラを認めた。その嘴は細い枝の同じ場所めがけていて執拗であった。中に虫がいることを確信しているのだろう。 生木だからか、硬く絞った乾いた音が心地よく響いてくる。
タン、タタ、タタ、タン、タタ、タタ、タタタタ、タタ、タタ よく聞いてみると等拍の連打だけでなくいろんなリズムが混じっている。
人間の目に映る微笑ましさとは裏腹に、コゲラにとっては食糧事情が厳しい冬場の採餌は大変であろう。しかし、鳥とはいえ単調になりがちなひたすら木をつつく行為に遊びを入れてみようと思いつくことだってあるかも知れない。リズムの変化はそうした遊び心の響きにも聞こえてくる。こんな小柄な体で粒立ちの良い軽快な音を鳴らすコゲラを見ていると、世界のトップドラマーであるスティーブ・ガッドが思い浮かんだ。最上のドラマーが叩き出す音、リズム、それにグルーブ。幾度か生で酔いしれたものだ。
イノシシは身近な野生動物だ。かつての職場は山の麓の湿地と林を造成して建てられた施設であった。日が暮れてしばらくするとイノシシの親子連れがよく現れた。遅出勤務の退勤時など建物の周囲にある駐車場の車に乗ろうとすると近くに集団がいたり、車のライトにもさほど動じない一団が歩いているなどまるでナイトサファリのようであった。
イノシシたちは敷地内の植え込みなどの地面の中にいるミミズを狙って来ているらしかった。翌朝には地面のあちこちが掘り起こされていた。イノシシは鼻で土を掘るらしい。けっこう硬い地面でも豪快に荒らされており、その鼻の力たるや驚くばかりのものだ。その年は隣接する自然公園の芝地なども派手にやられていた。
そんな折、職場施設の裏山に登った時のことである。至近距離で遭遇するというヒヤリとした出来事があった。裏山は天山(あまやま)といって低山ながらも見晴らしの良い山である。山頂近くの尾根にある見晴らし岩の上からは滋賀県の山が視界300度ほど見渡せる。ニヤミスはその展望を楽しんだ下山時に起きた。西側の麓から登頂し東の麓にある住宅地に下っているとすぐ目の前の岩陰から中型のイノシシ一頭が突然走り逃げたのだ。ほんの5メートルあるかないかという距離だった。その逃げっぷりからして、岩陰で寝ていて僕の気配に気づき慌てふためいた、というところか。
しかし、僕のほうは逃げてくれてホッと胸をなでおろした。正面同士で対面していたりしたら対決せねばならなかっただろう。そうすればあの凄まじい突進と鼻の威力の餌食になっていたに違いない。その後の下りは周囲の岩や草むらに神経を傾注しながら慎重に下ったことを覚えている。
この近隣の山にはとにかくイノシシが多いようだ。山中のあちこちでイノシシ臭がするし、ヌタ場も見かける。人間にとっての害も多く山中には檻罠や括り罠もあちこちに仕掛けられている。実際に罠にかかったものは見たことはないが偶然出会った駆除を請け負っている猟師の人に聴くとそれなりに捕獲しているそうだ。また、罠だけではなく銃での駆除現場に遭遇したことがあった。ある日いつも通り林道に入ろうとすると、林道の入り口で両手で大きくバツ印をするおじさんがいた。おじさんの背中には猟銃が掛かっていた。多分林道の奥では追い出し役が居て走り出て来たイノシシを仕留める役回りの人だったのだろう。ことを察した僕はその日の散歩を諦めて帰った。
あの手この手での駆除対策はこの山で暮らすイノシシたちには災難であろう。かつて、すでに災難に遭ってしまったものにも遭遇したことがある。いつもの散歩コースである林道脇の沢で二頭の遺体が放置されていたことがあった。二体とも完全体ではなく毛皮と骨であり、捕獲者がさばいた後放置したものであろう。特段イノシシに思い入れがあるというのではないがこうしたものを見るとそれらの不運に、哀れで気の毒さも感じる。
ほんの身近かな森の散歩道ではあるが人間界と野生動物界のせめぎ合いの場であることを実感するのだった。
クマ
5月中旬、残雪期の白山に登った帰り、白峰村から勝山に超える峠手前の車道で熊を見た。峠に向けて車で登っていると路肩に止めた軽自動車のおじさんが僕の車を呼び止めるので何事かと車を停めてみると熊が道路を横断したのだと言うのだ。おじさんは後続車をわざわざ止めることまでするなど、興奮状態だったようだ。 車を降りた僕は熊が横切ったという方を指し示すおじさんの指先の沢に目をやった。熊は雪に埋まった沢をすでに横断し川の向こう岸の雪面にいてこちらを見ていた。大きな熊だ。しかし、その動作にはこちらに対する警戒や威嚇といったものは現れておらず、ゆっくりとした動作で対岸の雪面を降り始めた。その後もこちらにほとんど関心を示す様子もなくどんどん下って行く。おかげで僕はゆっくりと野生の熊を見ることができた。ふと気づけばおじさんは車に乗って去っていた。あんなに勢いづいて他人の車まで止めたというのに。
野生の熊を見るのはこれが2度目である。一度目は職場の山の会で南アルプスの仙丈ケ岳に登った際、北沢峠への林道でバスの車中からの見た子熊であった。この時も林道を横断して谷側の藪に入ろうとする時であったが、この時はほんの一瞬であった。おそらく子熊の前には親熊も横断したのだろうが可愛い子熊だけでも見ることができて幸運だった。
これまでの二回の遭遇は安全な状況でのものだったが、遭遇したわではないもののちょいと緊張をしたこともあった。10月、白山の下山時のこと、長い観光新道の下りも後もう少しを残すばかりという森の中で、動物臭が急に強まった。歩調を落とし辺りを見回しながらゆっくりと下るにつれ匂いはより強くなっていく。生々しく、つい今しがたまでその辺りにいたであろうことが推察できる。ただ問題はその臭いの種類であった。猪や鹿のものはこれまで幾度となく嗅いだ経験があるのでそれだと判断はできるのだが、その匂いはそれらではないのは明らか。匂いの強さとそれなりの範囲に漂っていることを考え合わせると大型の獣のものであることは間違いないだろう。すると…熊か?と考えるには時間はかからなかった。辺りの木々を見渡し爪痕を確認しながら足早にそこを立ち去った。街道の車道や林道よりももっと遭遇に似つかわしい山中のことである。あれはクマのものだったのかどうかと考えるのだが、どうにも確かめようがない。しかし、匂いの主に出会わなかったことが幸いであったということは確かなことのようだ。
森のスティーブ・ガッド
新しい年を迎えて程ない1月の上旬、いつもの散歩コースの林は葉をすっかり落とし、樹々の枝間の濃い青が美しかった。山道の谷筋から支尾根を登っていると頭上から乾いた連続音が聞こえてきた。耳を澄まして音の出どころを探してみると、すぐ左に生えているリョウブの上方の枝に、頭をせわしなく左右に振りながらドラミングしているコゲラを認めた。その嘴は細い枝の同じ場所めがけていて執拗であった。中に虫がいることを確信しているのだろう。 生木だからか、硬く絞った乾いた音が心地よく響いてくる。
タン、タタ、タタ、タン、タタ、タタ、タタタタ、タタ、タタ よく聞いてみると等拍の連打だけでなくいろんなリズムが混じっている。
人間の目に映る微笑ましさとは裏腹に、コゲラにとっては食糧事情が厳しい冬場の採餌は大変であろう。しかし、鳥とはいえ単調になりがちなひたすら木をつつく行為に遊びを入れてみようと思いつくことだってあるかも知れない。リズムの変化はそうした遊び心の響きにも聞こえてくる。こんな小柄な体で粒立ちの良い軽快な音を鳴らすコゲラを見ていると、世界のトップドラマーであるスティーブ・ガッドが思い浮かんだ。最上のドラマーが叩き出す音、リズム、それにグルーブ。幾度か生で酔いしれたものだ。