「ちょこっと街ある記」28 /鳥栖、小城、唐津、武雄、佐賀
最後になりますが、故郷の佐賀県のうち、思い付くままに5市についての感想も少し取り上げてみることにします。
佐賀県内の市に関しては、この本のテーマの「都市人口を切り口にした全国街歩き」のレベルで考えるのは難しいのです。何しろ第2の街、唐津市の人口約12万人が最多なのですから。
それでも、全国を巡った後に地元の姿はどう見えるのか、新しい視線で見慣れた郷土を見ることが出来るのか確認したかったのですが、残念ながら新鮮さは特に感じられません。ここでは「地元に対する想い」にしかならないのは仕方ないのでしょう。
しかし人間誰でも生まれ育った故郷は、その状況に拘わらず思い入れが変わらないのは確かです。中学・高校まで人生の基礎を作る時代に育った故郷は、何十年離れても忘れられないと言います。
この7年間ほど全国の街々を彷徨しましたが、比較出来る自分の故郷があるからこそ楽しかった、と思いながらの上梓です。
◆鳥栖市
基山町と並んで佐賀県の東端、福岡県の筑後地方に隣接する鳥栖市。
人口約30万人の久留米市と筑後川を挟んだ地域であり、電話番号の市外局番も県境を跨いで久留米市と同じです。
鳥栖市の元々のイメージは九州内での交通の要所(鉄道も高速道も)です。そして福岡県への依存度が高いエリアで、まさに福岡市文化圏に入っている街です。そして鳥栖ジャンクションは交通の要所だと実感します。
しかし交通の要所と言っても佐賀県内での話であり、全国的なレベルでは規模が大きい訳ではなく、むしろまだまだカワイイのです。都会地周辺の鉄道網・道路網の整備たるや我々が仰天するような大規模なインフラが当たり前で、地域の実力差を実感します。
それはともかく、この10年間ほどは何と言ってもJ1リーグ「サガン鳥栖」の本拠地として名声を得ており、地方の小都市ながら都会の名だたるチームの中で健闘する姿は、佐賀県民の誇りの1つであると言えます。
久光製薬の九州本社・工場、アウトレットモール、工業団地、そして鳥栖駅周辺の多くの高層マンションを見ると、人口が10万人以上あってもおかしくないのです。
佐賀市民の立場で見ると、高速道路ばかりでなく一般道路を通る時も、何故か「地域の活気と明るさ」を感じるのは不思議な感覚です。
その感覚は恐らく、九州の中で最も活気ある路線の北九州市・福岡市から久留米市方面に至るラインの上に乗っかっているので、そこからエネルギーを享受しているに違いありません。
近い将来、鳥栖駅周辺の整備事業が予定されているようで、新しい姿の駅前広場や駅のすぐ横のサッカースタジアム周辺など、今は脆弱な駅前ビューも多少は整えられると期待します。
ただ、老朽化が目立つ市役所庁舎の建て替えが優先されるので駅前の整備はその後になるようですが、鳥栖駅前と駅周辺を整備することは佐賀県の窓口として「佐賀はそんなに田舎じゃないよ…」という印象を与えられる可能性が高い場所です。
現状では、鳥栖駅と連携しているサガン鳥栖のスタジアムへ誘導するエリアに、テーマパークやミュージアムの設置など関連施設が出来れば、若い人ばかりでなく年配者にもアピールする要素になります。
それはチームの好成績があれば効果が高くなりますが、J1の常連になっている現状を維持している間は、小さな街に大きな活気を供与してくれるスポーツイベントの盛り上りに便乗出来ると思います。
いずれにしても佐賀県内で活気を感じさせる一番手の街として、訪問者に対して佐賀県の新しい姿を見せることが出来る鳥栖市、このまま進んで行って欲しいですね。
◆小城市
人口や市の規模を考えると街歩きをするようなレベルではないのですが、何故か取り上げてみたくなるのは私が親しんだ場所だからと思います。
まず思い付くことは「羊羹、小城公園、清水の滝」でしょう。そして佐賀市から唐津方面へ向かう際の通過点で、高速道路を使わないなら必ず通る町(街?)です。
鎌倉・室町~戦国時代にかけての千葉氏の隆盛から、龍造寺氏を経て、江戸時代の鍋島氏の藩政まで肥前鍋島藩の支藩として、鹿島、蓮池とともに存在した小城藩の名残はそのまま歴史的な古さを感じさせ、今では落ち着いた町の情緒を感じます。
千葉氏が建立した「祇園社」は鍋島氏まで代々藩主の崇拝を受け、明治初期の廃仏毀釈の際に「須賀神社」に改名されてからも祇園川に映えています。
弥生時代の遺跡などは、佐賀平野全体を見回しても、東名遺跡がある佐賀市にも遜色ないほどの歴史があり、刻まれた年月の重みを感じます。
しかし「街歩き」の視点から言えば、国道沿いにかろうじて街らしきイメージはあるものの、小城市には片側2車線の道路はなく、高い建物もないのでローカル感しか無いのは仕方ありません。
小城市の鉄道史をみると、明治36年に九州鉄道の駅として開業しています。その頃はすでに佐賀~唐津間の唐津線が開通していたのです。そう言えば私が小学生低学年の頃にSLに乗って唐津まで言った記憶があります。
当時の運行状況は知る由もありませんが、年月が過ぎて現在の唐津線は1時間に1本ほどの運転で1~2両編成のディーゼルカー。小城駅は朝夕を除いて無人駅になっているようで、とても活況を呈しているとは言えないのが現状でしょう。
昭和時代の中頃までは唐津・多久炭鉱の石炭運搬の担い手として活躍した唐津線ですが、時代の流れとは言え寂しいですね。
それはともかく、小城公園の中を歩く時はもちろん、その周辺を巡ると特に幼少時を過ごした経験はないのに、説明しがたい安寧感を感じるのは不思議な感覚です。
佐賀市民の立場で見ると、小城公園の桜見物や祇園川でのホタル観賞、また清涼感を味わうために訪れる清水の滝など、ちょっと出かけるのに手軽に行ける
場所と言えます。
そして小城羊羹の歴史と言えば明治時代の初期に開発されて、日清・日露戦争
では兵士の保存食の一端を担い、また嗜好品として人気を博したようです。
ネット検索で「羊羹」と入力すると、最初に小城羊羹の名称が出てくるのは全国的に認められている証でしょう。
鳥栖市や佐賀市とは違い、もう今後の発展的展開を多くは望めないので、それは諦めて現状の「落ち着きある地域」の姿勢を保っていければ良いと思います。
◆唐津市
玄海国定公園の中心地として、魅力的な東の浜海水浴場の海岸線や虹の松原、それらを見下ろす鏡山など、唐津市はまさに風光明媚の言葉が当て嵌る佐賀県民が誇れる場所です。
遠方から来る知人・友人などを案内する時、虹の松原・東の浜一帯や唐津城周辺を案内する機会は多く、呼子のイカをはじめとする水産物も人気が高いので話題の一つになります。
更に「曳山展示場」は唐津おくんちを紹介するのに恰好の展示館として、2年前に経験した青森市の「ねぶた展示館(ワ・ラッセ)」にも匹敵するほどでした。
今は建て替えの為に曳山は移転展示中ですが、数年後に新しくなる曳山展示場が更に立派になることを期待しましょう。
人口約12万人と言えば、全国的な人口ランキングとしては200番目くらいですが、小樽市・会津若松市・別府市・大牟田市…など全国的に有名な思いもよらない街々がいくつかあります。
佐賀県内の市に関しては、この本のテーマの「都市人口を切り口にした全国街歩き」のレベルで考えるのは難しいのです。何しろ第2の街、唐津市の人口約12万人が最多なのですから。
それでも、全国を巡った後に地元の姿はどう見えるのか、新しい視線で見慣れた郷土を見ることが出来るのか確認したかったのですが、残念ながら新鮮さは特に感じられません。ここでは「地元に対する想い」にしかならないのは仕方ないのでしょう。
しかし人間誰でも生まれ育った故郷は、その状況に拘わらず思い入れが変わらないのは確かです。中学・高校まで人生の基礎を作る時代に育った故郷は、何十年離れても忘れられないと言います。
この7年間ほど全国の街々を彷徨しましたが、比較出来る自分の故郷があるからこそ楽しかった、と思いながらの上梓です。
◆鳥栖市
基山町と並んで佐賀県の東端、福岡県の筑後地方に隣接する鳥栖市。
人口約30万人の久留米市と筑後川を挟んだ地域であり、電話番号の市外局番も県境を跨いで久留米市と同じです。
鳥栖市の元々のイメージは九州内での交通の要所(鉄道も高速道も)です。そして福岡県への依存度が高いエリアで、まさに福岡市文化圏に入っている街です。そして鳥栖ジャンクションは交通の要所だと実感します。
しかし交通の要所と言っても佐賀県内での話であり、全国的なレベルでは規模が大きい訳ではなく、むしろまだまだカワイイのです。都会地周辺の鉄道網・道路網の整備たるや我々が仰天するような大規模なインフラが当たり前で、地域の実力差を実感します。
それはともかく、この10年間ほどは何と言ってもJ1リーグ「サガン鳥栖」の本拠地として名声を得ており、地方の小都市ながら都会の名だたるチームの中で健闘する姿は、佐賀県民の誇りの1つであると言えます。
久光製薬の九州本社・工場、アウトレットモール、工業団地、そして鳥栖駅周辺の多くの高層マンションを見ると、人口が10万人以上あってもおかしくないのです。
佐賀市民の立場で見ると、高速道路ばかりでなく一般道路を通る時も、何故か「地域の活気と明るさ」を感じるのは不思議な感覚です。
その感覚は恐らく、九州の中で最も活気ある路線の北九州市・福岡市から久留米市方面に至るラインの上に乗っかっているので、そこからエネルギーを享受しているに違いありません。
近い将来、鳥栖駅周辺の整備事業が予定されているようで、新しい姿の駅前広場や駅のすぐ横のサッカースタジアム周辺など、今は脆弱な駅前ビューも多少は整えられると期待します。
ただ、老朽化が目立つ市役所庁舎の建て替えが優先されるので駅前の整備はその後になるようですが、鳥栖駅前と駅周辺を整備することは佐賀県の窓口として「佐賀はそんなに田舎じゃないよ…」という印象を与えられる可能性が高い場所です。
現状では、鳥栖駅と連携しているサガン鳥栖のスタジアムへ誘導するエリアに、テーマパークやミュージアムの設置など関連施設が出来れば、若い人ばかりでなく年配者にもアピールする要素になります。
それはチームの好成績があれば効果が高くなりますが、J1の常連になっている現状を維持している間は、小さな街に大きな活気を供与してくれるスポーツイベントの盛り上りに便乗出来ると思います。
いずれにしても佐賀県内で活気を感じさせる一番手の街として、訪問者に対して佐賀県の新しい姿を見せることが出来る鳥栖市、このまま進んで行って欲しいですね。
◆小城市
人口や市の規模を考えると街歩きをするようなレベルではないのですが、何故か取り上げてみたくなるのは私が親しんだ場所だからと思います。
まず思い付くことは「羊羹、小城公園、清水の滝」でしょう。そして佐賀市から唐津方面へ向かう際の通過点で、高速道路を使わないなら必ず通る町(街?)です。
鎌倉・室町~戦国時代にかけての千葉氏の隆盛から、龍造寺氏を経て、江戸時代の鍋島氏の藩政まで肥前鍋島藩の支藩として、鹿島、蓮池とともに存在した小城藩の名残はそのまま歴史的な古さを感じさせ、今では落ち着いた町の情緒を感じます。
千葉氏が建立した「祇園社」は鍋島氏まで代々藩主の崇拝を受け、明治初期の廃仏毀釈の際に「須賀神社」に改名されてからも祇園川に映えています。
弥生時代の遺跡などは、佐賀平野全体を見回しても、東名遺跡がある佐賀市にも遜色ないほどの歴史があり、刻まれた年月の重みを感じます。
しかし「街歩き」の視点から言えば、国道沿いにかろうじて街らしきイメージはあるものの、小城市には片側2車線の道路はなく、高い建物もないのでローカル感しか無いのは仕方ありません。
小城市の鉄道史をみると、明治36年に九州鉄道の駅として開業しています。その頃はすでに佐賀~唐津間の唐津線が開通していたのです。そう言えば私が小学生低学年の頃にSLに乗って唐津まで言った記憶があります。
当時の運行状況は知る由もありませんが、年月が過ぎて現在の唐津線は1時間に1本ほどの運転で1~2両編成のディーゼルカー。小城駅は朝夕を除いて無人駅になっているようで、とても活況を呈しているとは言えないのが現状でしょう。
昭和時代の中頃までは唐津・多久炭鉱の石炭運搬の担い手として活躍した唐津線ですが、時代の流れとは言え寂しいですね。
それはともかく、小城公園の中を歩く時はもちろん、その周辺を巡ると特に幼少時を過ごした経験はないのに、説明しがたい安寧感を感じるのは不思議な感覚です。
佐賀市民の立場で見ると、小城公園の桜見物や祇園川でのホタル観賞、また清涼感を味わうために訪れる清水の滝など、ちょっと出かけるのに手軽に行ける
場所と言えます。
そして小城羊羹の歴史と言えば明治時代の初期に開発されて、日清・日露戦争
では兵士の保存食の一端を担い、また嗜好品として人気を博したようです。
ネット検索で「羊羹」と入力すると、最初に小城羊羹の名称が出てくるのは全国的に認められている証でしょう。
鳥栖市や佐賀市とは違い、もう今後の発展的展開を多くは望めないので、それは諦めて現状の「落ち着きある地域」の姿勢を保っていければ良いと思います。
◆唐津市
玄海国定公園の中心地として、魅力的な東の浜海水浴場の海岸線や虹の松原、それらを見下ろす鏡山など、唐津市はまさに風光明媚の言葉が当て嵌る佐賀県民が誇れる場所です。
遠方から来る知人・友人などを案内する時、虹の松原・東の浜一帯や唐津城周辺を案内する機会は多く、呼子のイカをはじめとする水産物も人気が高いので話題の一つになります。
更に「曳山展示場」は唐津おくんちを紹介するのに恰好の展示館として、2年前に経験した青森市の「ねぶた展示館(ワ・ラッセ)」にも匹敵するほどでした。
今は建て替えの為に曳山は移転展示中ですが、数年後に新しくなる曳山展示場が更に立派になることを期待しましょう。
人口約12万人と言えば、全国的な人口ランキングとしては200番目くらいですが、小樽市・会津若松市・別府市・大牟田市…など全国的に有名な思いもよらない街々がいくつかあります。
作品名:「ちょこっと街ある記」28 /鳥栖、小城、唐津、武雄、佐賀 作家名:上野忠司