「ほんのちょこっと街ある記」26/福岡、久留米、大牟田、熊本
65歳から「全国の街歩き」をスタートして7年、一通り主な街々を巡りました。
当初は執筆することなど考えてもいませんでしたが、訪れた先々を思い出しながら書き進めるうちに次第に面白くなり、下手な文章ながらもライフワークになったようです。
初めて訪れる場所は、市街地でも街はずれの風景でも、未経験の交通機関を利用する時でも、どこに行っても新しい発見があり、新鮮さがあって楽しいものです。
常に「あの時、あの街、あの交通機関、あのお店」の記憶を辿りながら文章を書くので、ボケ防止の一貫になっているのではと思います。
そんな中、佐賀市の近隣で日帰りが出来て、「街歩き」のポリシーに合致する人口を抱える都市として福岡市、熊本市、長崎市があります。2年前に第1巻を上梓した際にも取り上げていますが、もう一度この第2巻にも入れたいと思います。
そして、思い付くままにその周辺のいくつかの街々を加えます。いつでも行ける場所なので返って観察が疎かになったかも知れませんが、書き添えてみました。
◆福岡市
コロナ禍のなか、最近2年間は福岡市に出かける機会がめっきり減りました。
それでも年に数回は出掛けているのですが、広い福岡市のどこを歩こうか…決めて歩かないと、闇雲に出掛けるのは考えものです。
他の大都市に出かける場合は、その時だけの訪問なので、見る範囲は基本的にその都市の主な駅界隈とメインストリート周辺です。
それに対して、福岡市は何度も訪れています。今回はそれまで出掛ける機会が少なかった東区へ行ってみました。
佐賀駅から博多駅で乗り換えて香椎駅の1駅手前、千早駅で下車することに。
千早駅周辺は10数階建ての大型マンションが多く、いかにも福岡市の郊外らしい姿を呈し、新鮮なイメージを感じます。その日は千早駅前から国道3号線沿いに凡そ8km、博多駅まで2時間近く歩きました。
2kmほど歩いた名島橋付近ではJRや西鉄電車ばかりでなく、国道3号線や海岸沿いの都市高速などが並行する姿は躍動的で福岡都心へのアプローチ感が一杯です。
以前の福岡国際マラソン開催時によく聞いた千鳥橋に近づく頃からビルが多くなり都市高速道も交錯して、都会的な雰囲気が強くなって来ます。
同じ福岡市でも西側の百道方面に比べたら、やや古さはあっても、呉服町や祇園などのエリアを含む博多駅前の大博通りは本来の「博多」としての貫禄は十分です。
空港から至近距離の為に、目立つような高層ビルは殆どありません。
それでも全国の大都市を巡るにつけ、博多駅界隈は勿論、天神地区周辺に至るまでの賑わいなど、その「都会的な姿」の福岡市の存在は九州の誇りと言えるでしょう。
更に街の姿を大きく変えようとしている「天神ビッグバン」など、佐賀市民から見ると企画力とそれに伴う経済力は羨望の的にも思えます。
山陽新幹線が昭和50年に開通して以来、更に加速した福岡市の拡大は目を見張るようで、辛子明太子が全国に広まったのもその頃から、新幹線効果を最も享受したと言えますね。
私が注目したいのが昭和38年、当時の「博多駅」を祇園周辺から今の場所に移転して広いスペースを確保した先見性です。
50年後を見据えての用地確保が「必ず街は発展する」との狙いが嵌って、今の福岡市の発展に繋がっていると思います。
直近5年間で8万人ほど増加して人口約161万人、数年前に神戸市(人口は微減、約152万人)を超えて全国の市で5位、全国屈指の増加率と相まって、あっという間に神戸市を抜き去りました。
そしてまだまだ人気が出そうな福岡市、周辺のいくつかの街々を合わせると人口約250万人を超える「福岡大都市圏」の呼称は決してオーバーではありません。
東京のようなメガシティーではありませんが、都心から少し離れれば自然も残り、文化施設も充実して「丁度良いサイズの大都市」の代表のような存在と言えます。
◆久留米市
福岡県筑後地方の中心都市として存在感がある久留米市。
明治22年に政府が定めた市制制度発足時の全国39都市に名を連ねています。
九州では福岡市、長崎市、佐賀市、熊本市、鹿児島市そして久留米市の6市でした。小倉市、大分市、宮崎市などはもっと後に市になっているので当時から九州エリアでも中心の1つだったことが分かります。
古代から筑後地域の気候・水・土地に恵まれて稲作が始まっていたと言われ、北部九州の要衝として、地方政庁である筑後国府が設置されています。
大宰府にも近いので往来もあったのでしょう。
筑後地方は歴史を辿ればかなり以前まで遡ることが出来て、古墳時代からの逸話も多く、近隣の大刀洗町の名称で代表される「古戦場、筑後川の戦い」などの歴史もありますが、ここは「街歩き」の視点に戻ります。
現在の久留米市から受けるイメージは30万人の人口に相応した規模と街並み、更に文化面を考えても歩いて楽しい街なのです。
ブリヂストン・久留米絣・焼き鳥の街・豚骨ラーメンの発祥地・筑後川河畔…見た目にも楽しいですね。
ただ、これだけの姿なのに福岡市の陰に隠れがちで、私にとって出掛けるとなると、どうしても福岡市優先になってしまうのは惜しい気もします。
久留米市は筑後川から恩恵を受けているからでしょうか、見た目にも明るく爽快なイメージを醸し出して、九州新幹線が開通した10年ほど前にJR久留米駅が刷新されてから、更に整った街並みになりました。
もちろん西鉄久留米駅周辺が街の中心エリアなのは以前と同じで、日常的に活気があります。
私がこれまで訪れた全国の人口30万人ほどの都市と比較しても全く遜色はありません。(同規模人口都市=秋田市、盛岡市、四日市市、福島市…等)
但し、全国的な傾向である人口減と中心市街地の衰退傾向を免れるのは至難なのは仕方ありません。それでもあまり劣化を感じさせないのは,地域の中心都市として存在するからでしょう。
筑後地域の中心としてこれからも揺るぎない立場の久留米市だと思います。その街並みに加えて、美術館・鳥類センター・文化施設など、やはり歩くのに適度な広さと内容を持っているのは違いありません。
◆大牟田市
久留米市から約30km離れた筑後地方のもう1つの中心都市、大牟田市。
私が小学生の頃(昭和38年頃)は大牟田市の人口が久留米市よりも上回っていたと思うので確認してみると、やはり下のような結果に。
大牟田市=約20万5千人
久留米市=約15万5千人
(ちなみに佐賀市=約13万2千人)
石炭産業が華やかだった往時、大牟田市に限らず全国的にも産炭地は大いに羽振りが良かったと思われます。
筑豊地方や大牟田市などの石炭は、石油に代わるまで日本の産業を支えていたのです。
私としては、凡そ30年前まで大牟田市はよく知らない街でした。お隣の荒尾市・グリーンランドに子どもを連れて遊びに行っていた時に通過したくらいです。
そして大牟田市には特に訪れる機会もなく、20万人を超えていた人口が12万人以下まで減っているので、近年はさぞや街が衰退しているものと思っていました。
当初は執筆することなど考えてもいませんでしたが、訪れた先々を思い出しながら書き進めるうちに次第に面白くなり、下手な文章ながらもライフワークになったようです。
初めて訪れる場所は、市街地でも街はずれの風景でも、未経験の交通機関を利用する時でも、どこに行っても新しい発見があり、新鮮さがあって楽しいものです。
常に「あの時、あの街、あの交通機関、あのお店」の記憶を辿りながら文章を書くので、ボケ防止の一貫になっているのではと思います。
そんな中、佐賀市の近隣で日帰りが出来て、「街歩き」のポリシーに合致する人口を抱える都市として福岡市、熊本市、長崎市があります。2年前に第1巻を上梓した際にも取り上げていますが、もう一度この第2巻にも入れたいと思います。
そして、思い付くままにその周辺のいくつかの街々を加えます。いつでも行ける場所なので返って観察が疎かになったかも知れませんが、書き添えてみました。
◆福岡市
コロナ禍のなか、最近2年間は福岡市に出かける機会がめっきり減りました。
それでも年に数回は出掛けているのですが、広い福岡市のどこを歩こうか…決めて歩かないと、闇雲に出掛けるのは考えものです。
他の大都市に出かける場合は、その時だけの訪問なので、見る範囲は基本的にその都市の主な駅界隈とメインストリート周辺です。
それに対して、福岡市は何度も訪れています。今回はそれまで出掛ける機会が少なかった東区へ行ってみました。
佐賀駅から博多駅で乗り換えて香椎駅の1駅手前、千早駅で下車することに。
千早駅周辺は10数階建ての大型マンションが多く、いかにも福岡市の郊外らしい姿を呈し、新鮮なイメージを感じます。その日は千早駅前から国道3号線沿いに凡そ8km、博多駅まで2時間近く歩きました。
2kmほど歩いた名島橋付近ではJRや西鉄電車ばかりでなく、国道3号線や海岸沿いの都市高速などが並行する姿は躍動的で福岡都心へのアプローチ感が一杯です。
以前の福岡国際マラソン開催時によく聞いた千鳥橋に近づく頃からビルが多くなり都市高速道も交錯して、都会的な雰囲気が強くなって来ます。
同じ福岡市でも西側の百道方面に比べたら、やや古さはあっても、呉服町や祇園などのエリアを含む博多駅前の大博通りは本来の「博多」としての貫禄は十分です。
空港から至近距離の為に、目立つような高層ビルは殆どありません。
それでも全国の大都市を巡るにつけ、博多駅界隈は勿論、天神地区周辺に至るまでの賑わいなど、その「都会的な姿」の福岡市の存在は九州の誇りと言えるでしょう。
更に街の姿を大きく変えようとしている「天神ビッグバン」など、佐賀市民から見ると企画力とそれに伴う経済力は羨望の的にも思えます。
山陽新幹線が昭和50年に開通して以来、更に加速した福岡市の拡大は目を見張るようで、辛子明太子が全国に広まったのもその頃から、新幹線効果を最も享受したと言えますね。
私が注目したいのが昭和38年、当時の「博多駅」を祇園周辺から今の場所に移転して広いスペースを確保した先見性です。
50年後を見据えての用地確保が「必ず街は発展する」との狙いが嵌って、今の福岡市の発展に繋がっていると思います。
直近5年間で8万人ほど増加して人口約161万人、数年前に神戸市(人口は微減、約152万人)を超えて全国の市で5位、全国屈指の増加率と相まって、あっという間に神戸市を抜き去りました。
そしてまだまだ人気が出そうな福岡市、周辺のいくつかの街々を合わせると人口約250万人を超える「福岡大都市圏」の呼称は決してオーバーではありません。
東京のようなメガシティーではありませんが、都心から少し離れれば自然も残り、文化施設も充実して「丁度良いサイズの大都市」の代表のような存在と言えます。
◆久留米市
福岡県筑後地方の中心都市として存在感がある久留米市。
明治22年に政府が定めた市制制度発足時の全国39都市に名を連ねています。
九州では福岡市、長崎市、佐賀市、熊本市、鹿児島市そして久留米市の6市でした。小倉市、大分市、宮崎市などはもっと後に市になっているので当時から九州エリアでも中心の1つだったことが分かります。
古代から筑後地域の気候・水・土地に恵まれて稲作が始まっていたと言われ、北部九州の要衝として、地方政庁である筑後国府が設置されています。
大宰府にも近いので往来もあったのでしょう。
筑後地方は歴史を辿ればかなり以前まで遡ることが出来て、古墳時代からの逸話も多く、近隣の大刀洗町の名称で代表される「古戦場、筑後川の戦い」などの歴史もありますが、ここは「街歩き」の視点に戻ります。
現在の久留米市から受けるイメージは30万人の人口に相応した規模と街並み、更に文化面を考えても歩いて楽しい街なのです。
ブリヂストン・久留米絣・焼き鳥の街・豚骨ラーメンの発祥地・筑後川河畔…見た目にも楽しいですね。
ただ、これだけの姿なのに福岡市の陰に隠れがちで、私にとって出掛けるとなると、どうしても福岡市優先になってしまうのは惜しい気もします。
久留米市は筑後川から恩恵を受けているからでしょうか、見た目にも明るく爽快なイメージを醸し出して、九州新幹線が開通した10年ほど前にJR久留米駅が刷新されてから、更に整った街並みになりました。
もちろん西鉄久留米駅周辺が街の中心エリアなのは以前と同じで、日常的に活気があります。
私がこれまで訪れた全国の人口30万人ほどの都市と比較しても全く遜色はありません。(同規模人口都市=秋田市、盛岡市、四日市市、福島市…等)
但し、全国的な傾向である人口減と中心市街地の衰退傾向を免れるのは至難なのは仕方ありません。それでもあまり劣化を感じさせないのは,地域の中心都市として存在するからでしょう。
筑後地域の中心としてこれからも揺るぎない立場の久留米市だと思います。その街並みに加えて、美術館・鳥類センター・文化施設など、やはり歩くのに適度な広さと内容を持っているのは違いありません。
◆大牟田市
久留米市から約30km離れた筑後地方のもう1つの中心都市、大牟田市。
私が小学生の頃(昭和38年頃)は大牟田市の人口が久留米市よりも上回っていたと思うので確認してみると、やはり下のような結果に。
大牟田市=約20万5千人
久留米市=約15万5千人
(ちなみに佐賀市=約13万2千人)
石炭産業が華やかだった往時、大牟田市に限らず全国的にも産炭地は大いに羽振りが良かったと思われます。
筑豊地方や大牟田市などの石炭は、石油に代わるまで日本の産業を支えていたのです。
私としては、凡そ30年前まで大牟田市はよく知らない街でした。お隣の荒尾市・グリーンランドに子どもを連れて遊びに行っていた時に通過したくらいです。
そして大牟田市には特に訪れる機会もなく、20万人を超えていた人口が12万人以下まで減っているので、近年はさぞや街が衰退しているものと思っていました。
作品名:「ほんのちょこっと街ある記」26/福岡、久留米、大牟田、熊本 作家名:上野忠司