やさしいあめ6
『少年』
男は、少年が少年のままいてはくれないものかといつも考えていた。この少年がいつまでも幼気な少年でいてくれるなら何もいらない。必要なものがあるのなら、なんだって、惜しみなく渡そう。それで少年が少年たる所以を失わないのなら。
そうでなくても、少年には、考え得るすべてを与えた。少年が愛おしくて仕方ないから。幼気なまなざしに、長くて濃いまつげに、ぷっくりとした唇に、赤い頬に、どうしようもなく愛おしさを感じていた。
家に招く度に、少年の気に入りそうな新しいおもちゃを用意した。そして、セーラーカラーの服や、サスペンダーのついた黒い半ズボンに白いワイシャツ。どこぞの王国の王子のような服。それを用意して、家にいる間に着せていた。
少年が好きな甘いお菓子も忘れなかった。生クリームたっぷりのショートケーキや、シナモンの効いたアップルパイ。チョコレートをサンドしたクッキー。ドライフルーツの入ったパウンドケーキ。メープルシロップをかけた分厚いホットケーキや、噛むと口の中でじゅわりとするフレンチトースト。
少年がおもちゃに目を輝かせて楽しそうに遊ぶ様に、どれが似合うだろうと悩みに悩んでいつも結局すべてを購入してしまう服がやはり似合っている姿に、お菓子を頬張るうれしそうな顔に、恍惚としていた。やましいことはしてはいない。ただ、一緒に遊んでいるだけだ。少年もよろこんでいる。
男は、近所で不審がられているのを知っていたが、少年がよろこんでいるのだから何も問題は無いと、堂々としていた。
けれど、少年はある日、こんなことを言った。
「女の子ってね、なんかー、生理ってのがあるんだって。汚いって言う友達もいるんだけど、でも女の人はやわらかくて、いいにおいもして、きれいだよね」
汚されつつある。そう気づいた。気づいたときにはもう遅かったのかもしれない。少年は自分の意志を主張しはじめていた。隔離して、汚れから守ってやれないものか。そうは考えるも、少年には親御さんもいて、勝手にそんなことをしようものなら、自分は犯罪者に堕ちる。
「ねえ、この問題分かる?」
いつの間にか、少年は遊ぶことはせず、学校の宿題をするようになっていた。与える服はこの家の中では着てくれるけれど、趣味じゃないと言っている。甘いお菓子も、甘いものは苦手だなんて、大人ぶって手を付けなくなっていた。
もうすぐ、この少年は少年ではなくなる。いや、この少年も、自分が求める永遠の少年ではなかった、そういうことなのだ。男は、落胆に染まり、それ故に抑えていた欲望が湧き上がってきた。少年が、まだ少年の内に。
「ちょっと、こちらへ来なさい」
「なあに?」
「座りなさい」
徐にズボンを下ろし、膝を開いて少年の顔をそこに引き寄せた。
「やだ。汚い」
嫌がる少年に、しつけをするように厳しく教える。はじめからこうしていればよかった。瞳を潤ませてこちらを見て、苦しい、とやめようとするから頭を押さえた。こちらの方から動いて、その瞬間から、世界が生気を失ったように萎れていった。
涙目の少年に、二度とここへ来るなと言いつけた。少年は、自分の服や鞄を持って逃げるように部屋を出て行った。
この少年も違った。自分の探す、永遠の少年はどこにいるのだろう。きっと自分が現れるのを待っている。そして、少年は自らの意志で、少年でい続けることを選び、真の天使となるのだ。
女など知る必要はない。少年にとってそれは汚れだ。女を知った少年は、女を抱くことに夢中になり、憐れな末路をたどる。女を孕ませることによろこびを覚え、その赤子を抱き、その頃には見る影もない。臭くてたまらない。
色素の薄いやわらかい髪を撫でているだけで至福の時間だった。けれど、お眼鏡にかなう少年はそうそういない。永遠の少年になり得る少年は。今回こそはと思っても、どいつもこいつも最後には男に成り下がる。
永遠の少年を見つけられたら、楽園で暮らし、少年のためだけに生きよう。
けれど、男には寿命が迫っていた。医者に言われたわけではないが、感じるのだ。美しいものが、少年の肌がなければ、自分の命など簡単に尽きてしまう。永遠の少年を得たのなら、自分も永遠の命を得るだろうに。
その次の少年も、また次の少年も、駄目だった。引っ越しを重ね、場所を変えて探すも、求めるもの見つからない。
そして、本当に寿命が近づいた頃、医者から余命宣告をされたとき、見つかった気がした。
いま暮らしているのは自宅ではなく有料ホーム。散歩先の公園で、一人、ボールを蹴って遊ぶあの少年。彼こそはきっと、永遠。あの少年を自分だけのものにしたい。奪いたい。
時間がない。あの永遠を貪り、自分にも永遠を。
少年に声をかけ、一緒に遊ぼうと人気のない場所へと誘い込んだ。人の好い老人の笑顔に、少年はまんまとついて来た。
ズボンをずらし、ベンチに腰掛ける。不審がる少年を呼び、目の前に座らせる。
「舐めなさい」
「やだよ」
「いいから、やれ」
頭を押さえつける。少年は頑なに口を開けない。けれど、この少年は、永遠。忘れかけていた力が滾る。頬にこすりつけ、唇に押し付ける。眉をしかめるその姿にすら興奮した。
「絶対に歯を立てるんじゃないぞ」
少年は涙を浮かべて、けれど頷いた。柔らかい舌が触れて、その瞬間、恍惚を感じた。少年の顔にかかり、少年はなにが起きたのかと驚いたようだった。大人しくなった少年の顔を優しくハンカチで拭ってやっていると、少年は急に叫び声を上げて逃げ出した。走り去っていくその姿にすら、興奮を覚えた。
少年にまた会えないものかと、公園を何度かのぞいた。二度と会えないのかと思うと、恋する乙女のようなため息が漏れた。乙女? いや、女など汚らわしい。
いつの間にか、自力では歩けなくなり、散歩をするにしても車いすを押されてのものとなった。
再び、あの少年を見かけたとき、それは宣告されていた余命を過ぎていた。動くこともほとんどできず、息をするのがやっとだった。
車いすのもとに転がってきたサッカーボール。それを追いかけてくるのは、夢にまで見たあの少年。間違いない。けれど、もう男には少年をどうすることもできなかった。
ただ、最後の力を振り絞り、立ち上がってボールを力いっぱい蹴った。ボールはよろよろとあさっての方向に転がった。その様子を付き添いのヘルパーが凝視していた。
「へたっぴー」
少年は自分に気づいていないのだろう。男はずいぶんと変わってしまった。
「こら、りょうちゃん。すみませーん」
一緒にボールを蹴っていた母親らしき女性が、その子と共に頭を下げた。
車いすに戻ると、立ち上がったことが嘘のように、痩せ細った足はステップにすら上手く乗せられなかった。
「りょうちゃんか。私にもあんな頃があった」
掠れた声で呟いた。
男は、少年が少年のままいてはくれないものかといつも考えていた。この少年がいつまでも幼気な少年でいてくれるなら何もいらない。必要なものがあるのなら、なんだって、惜しみなく渡そう。それで少年が少年たる所以を失わないのなら。
そうでなくても、少年には、考え得るすべてを与えた。少年が愛おしくて仕方ないから。幼気なまなざしに、長くて濃いまつげに、ぷっくりとした唇に、赤い頬に、どうしようもなく愛おしさを感じていた。
家に招く度に、少年の気に入りそうな新しいおもちゃを用意した。そして、セーラーカラーの服や、サスペンダーのついた黒い半ズボンに白いワイシャツ。どこぞの王国の王子のような服。それを用意して、家にいる間に着せていた。
少年が好きな甘いお菓子も忘れなかった。生クリームたっぷりのショートケーキや、シナモンの効いたアップルパイ。チョコレートをサンドしたクッキー。ドライフルーツの入ったパウンドケーキ。メープルシロップをかけた分厚いホットケーキや、噛むと口の中でじゅわりとするフレンチトースト。
少年がおもちゃに目を輝かせて楽しそうに遊ぶ様に、どれが似合うだろうと悩みに悩んでいつも結局すべてを購入してしまう服がやはり似合っている姿に、お菓子を頬張るうれしそうな顔に、恍惚としていた。やましいことはしてはいない。ただ、一緒に遊んでいるだけだ。少年もよろこんでいる。
男は、近所で不審がられているのを知っていたが、少年がよろこんでいるのだから何も問題は無いと、堂々としていた。
けれど、少年はある日、こんなことを言った。
「女の子ってね、なんかー、生理ってのがあるんだって。汚いって言う友達もいるんだけど、でも女の人はやわらかくて、いいにおいもして、きれいだよね」
汚されつつある。そう気づいた。気づいたときにはもう遅かったのかもしれない。少年は自分の意志を主張しはじめていた。隔離して、汚れから守ってやれないものか。そうは考えるも、少年には親御さんもいて、勝手にそんなことをしようものなら、自分は犯罪者に堕ちる。
「ねえ、この問題分かる?」
いつの間にか、少年は遊ぶことはせず、学校の宿題をするようになっていた。与える服はこの家の中では着てくれるけれど、趣味じゃないと言っている。甘いお菓子も、甘いものは苦手だなんて、大人ぶって手を付けなくなっていた。
もうすぐ、この少年は少年ではなくなる。いや、この少年も、自分が求める永遠の少年ではなかった、そういうことなのだ。男は、落胆に染まり、それ故に抑えていた欲望が湧き上がってきた。少年が、まだ少年の内に。
「ちょっと、こちらへ来なさい」
「なあに?」
「座りなさい」
徐にズボンを下ろし、膝を開いて少年の顔をそこに引き寄せた。
「やだ。汚い」
嫌がる少年に、しつけをするように厳しく教える。はじめからこうしていればよかった。瞳を潤ませてこちらを見て、苦しい、とやめようとするから頭を押さえた。こちらの方から動いて、その瞬間から、世界が生気を失ったように萎れていった。
涙目の少年に、二度とここへ来るなと言いつけた。少年は、自分の服や鞄を持って逃げるように部屋を出て行った。
この少年も違った。自分の探す、永遠の少年はどこにいるのだろう。きっと自分が現れるのを待っている。そして、少年は自らの意志で、少年でい続けることを選び、真の天使となるのだ。
女など知る必要はない。少年にとってそれは汚れだ。女を知った少年は、女を抱くことに夢中になり、憐れな末路をたどる。女を孕ませることによろこびを覚え、その赤子を抱き、その頃には見る影もない。臭くてたまらない。
色素の薄いやわらかい髪を撫でているだけで至福の時間だった。けれど、お眼鏡にかなう少年はそうそういない。永遠の少年になり得る少年は。今回こそはと思っても、どいつもこいつも最後には男に成り下がる。
永遠の少年を見つけられたら、楽園で暮らし、少年のためだけに生きよう。
けれど、男には寿命が迫っていた。医者に言われたわけではないが、感じるのだ。美しいものが、少年の肌がなければ、自分の命など簡単に尽きてしまう。永遠の少年を得たのなら、自分も永遠の命を得るだろうに。
その次の少年も、また次の少年も、駄目だった。引っ越しを重ね、場所を変えて探すも、求めるもの見つからない。
そして、本当に寿命が近づいた頃、医者から余命宣告をされたとき、見つかった気がした。
いま暮らしているのは自宅ではなく有料ホーム。散歩先の公園で、一人、ボールを蹴って遊ぶあの少年。彼こそはきっと、永遠。あの少年を自分だけのものにしたい。奪いたい。
時間がない。あの永遠を貪り、自分にも永遠を。
少年に声をかけ、一緒に遊ぼうと人気のない場所へと誘い込んだ。人の好い老人の笑顔に、少年はまんまとついて来た。
ズボンをずらし、ベンチに腰掛ける。不審がる少年を呼び、目の前に座らせる。
「舐めなさい」
「やだよ」
「いいから、やれ」
頭を押さえつける。少年は頑なに口を開けない。けれど、この少年は、永遠。忘れかけていた力が滾る。頬にこすりつけ、唇に押し付ける。眉をしかめるその姿にすら興奮した。
「絶対に歯を立てるんじゃないぞ」
少年は涙を浮かべて、けれど頷いた。柔らかい舌が触れて、その瞬間、恍惚を感じた。少年の顔にかかり、少年はなにが起きたのかと驚いたようだった。大人しくなった少年の顔を優しくハンカチで拭ってやっていると、少年は急に叫び声を上げて逃げ出した。走り去っていくその姿にすら、興奮を覚えた。
少年にまた会えないものかと、公園を何度かのぞいた。二度と会えないのかと思うと、恋する乙女のようなため息が漏れた。乙女? いや、女など汚らわしい。
いつの間にか、自力では歩けなくなり、散歩をするにしても車いすを押されてのものとなった。
再び、あの少年を見かけたとき、それは宣告されていた余命を過ぎていた。動くこともほとんどできず、息をするのがやっとだった。
車いすのもとに転がってきたサッカーボール。それを追いかけてくるのは、夢にまで見たあの少年。間違いない。けれど、もう男には少年をどうすることもできなかった。
ただ、最後の力を振り絞り、立ち上がってボールを力いっぱい蹴った。ボールはよろよろとあさっての方向に転がった。その様子を付き添いのヘルパーが凝視していた。
「へたっぴー」
少年は自分に気づいていないのだろう。男はずいぶんと変わってしまった。
「こら、りょうちゃん。すみませーん」
一緒にボールを蹴っていた母親らしき女性が、その子と共に頭を下げた。
車いすに戻ると、立ち上がったことが嘘のように、痩せ細った足はステップにすら上手く乗せられなかった。
「りょうちゃんか。私にもあんな頃があった」
掠れた声で呟いた。
作品名:やさしいあめ6 作家名: