やさしいあめ
『涙』
姉は愛されている。そう認識したのは、まだそれを具体的に言語にすることが出来ない頃だ。けれど、姉は愛されている、と直感的に悟った。そしてわたしはそうでもない。ないがしろにされているわけではないが、わたしはそうでもないと気づいたのは小学校の高学年の頃だった。
その日、姉は足を骨折して、母は姉と病院にいた。そんなときに初潮を迎えたわたしは、母にあらかじめ言われていたナプキン入れからそれを取り出し、怖々と付けて、悪いことでもしたかのように隠れて下着を洗った。はじめて経験する腹痛にベッドに横になっていたら、シーツを汚してしまって絶望的な気持ちを味わった。
そのとき、ぼんやりと、姉ならこんな気持ちにもならずに済むのになあ、と姉とわたしの違いについて思った。どれもこれも、わたしが愛されていないということではないだろうか。両親は基、神様にも。
わたしの特別な日、楽しみにしている日、緊張している日、そんな日にはことごとく姉がわたしよりも優先すべき事情を抱えるのだ。幼稚園のはじめての遠足の日は、姉が熱を出していけなくった。小学校の入学式には姉が在校生代表で言葉を述べることになっていて、母も父はそっちにばかり気を取られていたし、卒業式には朝、姉が盲腸で入院したせいでレンタルする予定の袴が着られなかった。そうすると、わたしの記念日はわたしの記念日と言った感じでもなくなる。中学の入学式は逆にどうでも良いとさえ思っていたせいか何事もなく、そのときには両親のことはもうどうでも良いと思っていたけれど、友達との別れを惜しんだ卒業式の頃は姉が大学進学に合わせて一人暮らしをはじめるその準備でバタバタしていたし、やっぱりわたしが特別だと思った日はこうなるんだって分かった。かくい姉のそう言った日には、決まって素敵な天気で迎えられ、そして素敵な思い出が残っていた。
姉は特別だった。幼い頃、迷子になったと思ったら後の父の仕事のパートナーになる人に保護されて、商談を運んできた。何かに迷ったときなんかは、そうとは知らずに父と母の思い出の地に足を運んで、思い出の一端に触れて来たりしていた。そういう知らず知らずの内に偶然を呼び寄せる力が姉にはあった。わたしはその偶然を目にする度に、姉には敵いっこないのだと思い知った。
わたしが変わったのは、高校に入ってからか、それとももっと前からだったのか。姉は一人暮らしを始めていたし、わたしだけを両親が見てくれる機会も増えるだろうに、でも、必要以上に頑張ってきた今までとは違う生き方をしようって思って、中学まではやっていた、クラス委員や生徒会や、そういった方向で頑張るのも、授業中に保健室に行った人がいても気づかないくらいに勉強に集中するのも、やめようと思った。地味で静かに過ごしたいと、たぶんそれが本来のわたしらしかった。良い子でいようと思って生きてきて、勉強ができた方が、何かの代表に選ばれた方が、なんでも真面目に取り組んだ方が、友達がたくさんいた方が、明るく朗らかな方が良い子だと思ってそう言う子になろうと生きてきたけど、それに疲れてしまっていると気づいたから。姉は愛されている。わたしはそうでもない。良い子じゃないから愛されない。愛されるために良い子でいよう。そうやって続けていたこと全部が無意味に思えていた。そうして、せっかく両親から注目してもらえるかもしれないときを地味に過ごすことにしていた。父も母も、とりわけわたしの変化に興味を示すこともなく、やっぱりわたしはそれほどでもないんだなと、いないのにいつでも姉の話ばかりをしている両親に思った。
たぶんその頃、わたしは緩やかな希死念慮があって、自分があまりにも空っぽに思えていて、そのがらんとした心の中にぽつんとある希死念慮の扱いに悩んでいたし、おかげで生きるとはなんだろうと哲学に耽ることもあった。死にたいと思ったり、退廃的な世界に憧れたり、その途中で声をかけてきた男の人について行き、お金をもらい処女を捨てたりした。お金が欲しかったのかと言われればそれは違う。けれど、タダでそうするのもなんとなく癪に障った。しかしながら、そのお金をどうしたらいいのかも分からないし、使うのも気が引けた。自分でもどうしてそんなことをしたのか分からなかった。けれど、失ったものと同じくらい何かを得た気もしていて、それ以来わたしは知らない人について行くということを繰り返した。声をかけてくれる人はいないかな。そうやって、みんなが学校帰りにショッピングモールや映画館やファーストフード店に行くのと同じ感覚で、その日の相手を探しに行くようになった。
やさしい雨を降らしてくれる人を探しているの。いつかそんな風に言った。やさしい雨、ひんやりとした空気や、寄り添ってくれるような光、そして心地好い雨音で包んでくれるような、そんな人を探しているの。わたしは愛されていないから。愛してくれる人を探しているの。
誰でもいいからとついて行って、そんなことを言った。自分は不幸なのだと話し、嘘で着飾って、悲劇のヒロインになった気分でいた。そのときは、自分が特別で、強い光を放っているように感じた。
わたしの母親はヒステリーを起こして、手が付けられないの。わたしのことを理不尽に怒鳴って、叩くの。そのくせいつも男の人のにおいが染みついてて、わたしはその男たちに酷いことをされるの。同級生や先輩にはレイプされた。動画も撮られて、ネットにばら撒かれたくなかったら誰にも言うなって。そいつらの顔を毎日見てる。吐き気がする。そんな風に話して、特別な自分になった気がしていた。かわいそうに、辛かったね、そう言ってわたしを抱く男たちをわたしも愛した気になっていた。
ある人は柔らかく、ある人は軽薄な笑みで、ある人は欲望を隠しもせず、わたしを抱いた。やさしい雨とは程遠い。探していると言うけれど、どこにもいないだろうと思っていた。
そんなわたしにも、両親は気づかなかったし、わたしもそれでいいと思っていた。姉は愛されている。わたしは違う。それも分かった。理解した。
けれど、両親は気づかなかったのに、亮太にはバレてしまった。それがどうしてだったのかは分からない。高校二年生になったばかりのとき。放課後に誰もいない教室に呼び出されてなにかと思ったらそのことだった。
「金、欲しいの?」
「違う」
「俺がヤらせろって言ったらどうするの?」
「それで黙っててくれるならいくらでも。そうなの?」
「馬鹿じゃねえの?」
けど、わたしは跪いて制服のベルトに手をかけた。外そうとすると亮太は怯えたように後ずさった。
「馬鹿じゃねえの」
軽蔑するだろう。それで構わない。けれど、その表情は妙なものだった。頬を痙攣させて、笑みを浮かべようとしていて、ただそれは蔑視の笑みではなく、なるべく嫌みのないものを作ろうとしていると分かった。
「ホント、馬鹿だろ。そんなつもりはない。男がみんなそれだけだと思ったら間違いなわけ」
「じゃあ、なに? こんなとこに呼び出して」
姉は愛されている。そう認識したのは、まだそれを具体的に言語にすることが出来ない頃だ。けれど、姉は愛されている、と直感的に悟った。そしてわたしはそうでもない。ないがしろにされているわけではないが、わたしはそうでもないと気づいたのは小学校の高学年の頃だった。
その日、姉は足を骨折して、母は姉と病院にいた。そんなときに初潮を迎えたわたしは、母にあらかじめ言われていたナプキン入れからそれを取り出し、怖々と付けて、悪いことでもしたかのように隠れて下着を洗った。はじめて経験する腹痛にベッドに横になっていたら、シーツを汚してしまって絶望的な気持ちを味わった。
そのとき、ぼんやりと、姉ならこんな気持ちにもならずに済むのになあ、と姉とわたしの違いについて思った。どれもこれも、わたしが愛されていないということではないだろうか。両親は基、神様にも。
わたしの特別な日、楽しみにしている日、緊張している日、そんな日にはことごとく姉がわたしよりも優先すべき事情を抱えるのだ。幼稚園のはじめての遠足の日は、姉が熱を出していけなくった。小学校の入学式には姉が在校生代表で言葉を述べることになっていて、母も父はそっちにばかり気を取られていたし、卒業式には朝、姉が盲腸で入院したせいでレンタルする予定の袴が着られなかった。そうすると、わたしの記念日はわたしの記念日と言った感じでもなくなる。中学の入学式は逆にどうでも良いとさえ思っていたせいか何事もなく、そのときには両親のことはもうどうでも良いと思っていたけれど、友達との別れを惜しんだ卒業式の頃は姉が大学進学に合わせて一人暮らしをはじめるその準備でバタバタしていたし、やっぱりわたしが特別だと思った日はこうなるんだって分かった。かくい姉のそう言った日には、決まって素敵な天気で迎えられ、そして素敵な思い出が残っていた。
姉は特別だった。幼い頃、迷子になったと思ったら後の父の仕事のパートナーになる人に保護されて、商談を運んできた。何かに迷ったときなんかは、そうとは知らずに父と母の思い出の地に足を運んで、思い出の一端に触れて来たりしていた。そういう知らず知らずの内に偶然を呼び寄せる力が姉にはあった。わたしはその偶然を目にする度に、姉には敵いっこないのだと思い知った。
わたしが変わったのは、高校に入ってからか、それとももっと前からだったのか。姉は一人暮らしを始めていたし、わたしだけを両親が見てくれる機会も増えるだろうに、でも、必要以上に頑張ってきた今までとは違う生き方をしようって思って、中学まではやっていた、クラス委員や生徒会や、そういった方向で頑張るのも、授業中に保健室に行った人がいても気づかないくらいに勉強に集中するのも、やめようと思った。地味で静かに過ごしたいと、たぶんそれが本来のわたしらしかった。良い子でいようと思って生きてきて、勉強ができた方が、何かの代表に選ばれた方が、なんでも真面目に取り組んだ方が、友達がたくさんいた方が、明るく朗らかな方が良い子だと思ってそう言う子になろうと生きてきたけど、それに疲れてしまっていると気づいたから。姉は愛されている。わたしはそうでもない。良い子じゃないから愛されない。愛されるために良い子でいよう。そうやって続けていたこと全部が無意味に思えていた。そうして、せっかく両親から注目してもらえるかもしれないときを地味に過ごすことにしていた。父も母も、とりわけわたしの変化に興味を示すこともなく、やっぱりわたしはそれほどでもないんだなと、いないのにいつでも姉の話ばかりをしている両親に思った。
たぶんその頃、わたしは緩やかな希死念慮があって、自分があまりにも空っぽに思えていて、そのがらんとした心の中にぽつんとある希死念慮の扱いに悩んでいたし、おかげで生きるとはなんだろうと哲学に耽ることもあった。死にたいと思ったり、退廃的な世界に憧れたり、その途中で声をかけてきた男の人について行き、お金をもらい処女を捨てたりした。お金が欲しかったのかと言われればそれは違う。けれど、タダでそうするのもなんとなく癪に障った。しかしながら、そのお金をどうしたらいいのかも分からないし、使うのも気が引けた。自分でもどうしてそんなことをしたのか分からなかった。けれど、失ったものと同じくらい何かを得た気もしていて、それ以来わたしは知らない人について行くということを繰り返した。声をかけてくれる人はいないかな。そうやって、みんなが学校帰りにショッピングモールや映画館やファーストフード店に行くのと同じ感覚で、その日の相手を探しに行くようになった。
やさしい雨を降らしてくれる人を探しているの。いつかそんな風に言った。やさしい雨、ひんやりとした空気や、寄り添ってくれるような光、そして心地好い雨音で包んでくれるような、そんな人を探しているの。わたしは愛されていないから。愛してくれる人を探しているの。
誰でもいいからとついて行って、そんなことを言った。自分は不幸なのだと話し、嘘で着飾って、悲劇のヒロインになった気分でいた。そのときは、自分が特別で、強い光を放っているように感じた。
わたしの母親はヒステリーを起こして、手が付けられないの。わたしのことを理不尽に怒鳴って、叩くの。そのくせいつも男の人のにおいが染みついてて、わたしはその男たちに酷いことをされるの。同級生や先輩にはレイプされた。動画も撮られて、ネットにばら撒かれたくなかったら誰にも言うなって。そいつらの顔を毎日見てる。吐き気がする。そんな風に話して、特別な自分になった気がしていた。かわいそうに、辛かったね、そう言ってわたしを抱く男たちをわたしも愛した気になっていた。
ある人は柔らかく、ある人は軽薄な笑みで、ある人は欲望を隠しもせず、わたしを抱いた。やさしい雨とは程遠い。探していると言うけれど、どこにもいないだろうと思っていた。
そんなわたしにも、両親は気づかなかったし、わたしもそれでいいと思っていた。姉は愛されている。わたしは違う。それも分かった。理解した。
けれど、両親は気づかなかったのに、亮太にはバレてしまった。それがどうしてだったのかは分からない。高校二年生になったばかりのとき。放課後に誰もいない教室に呼び出されてなにかと思ったらそのことだった。
「金、欲しいの?」
「違う」
「俺がヤらせろって言ったらどうするの?」
「それで黙っててくれるならいくらでも。そうなの?」
「馬鹿じゃねえの?」
けど、わたしは跪いて制服のベルトに手をかけた。外そうとすると亮太は怯えたように後ずさった。
「馬鹿じゃねえの」
軽蔑するだろう。それで構わない。けれど、その表情は妙なものだった。頬を痙攣させて、笑みを浮かべようとしていて、ただそれは蔑視の笑みではなく、なるべく嫌みのないものを作ろうとしていると分かった。
「ホント、馬鹿だろ。そんなつもりはない。男がみんなそれだけだと思ったら間違いなわけ」
「じゃあ、なに? こんなとこに呼び出して」
作品名:やさしいあめ 作家名: