「ほんのちょこっと街ある記」 25/鳴門、徳島、丸亀
【鳴門市・徳島市・丸亀市】令和4年1月
令和3年10月に水戸市と前橋市を訪れ、令和3年末までに訪問していない県庁所在地は徳島市と那覇市の残り2都市でした。
12月頃から令和4年当初にかけてコロナ感染者の数もかなり落ち着いていたので、残った2都市のうち、まずは1月早々に徳島市を訪れることに。(その1週間後から、感染者が急激に増加したのには驚きましたが。)
佐賀から四国へ行くには飛行機利用が便利だったので、今回も福岡空港から徳島空港往復を予約。1日目の出発時間は10時頃で丁度良い時間でしたが、翌日の帰りは適当な時間に航空便が無く、徳島空港から夜の8時頃出発の便になって、帰宅が随分遅くなったのは仕方ない。
実は今回の徳島市への訪問は、私にとって新年から予期しないハプニングが2回も起こり、近年になく大慌ての事態を経験する羽目になってしまいました。
1、 ≪往路≫
当日、福岡空港行き高速バス・乗車予定時間の便が運休ということがバス停で待っている時に判明。
一瞬中止を考えるも、費用も予定もすべて消滅するので急遽自分の車で高速道を飛ばして空港へ。出発20分前に空港到着、ギリギリの出発8分前に冷や汗搭乗でした。
2、 ≪復路≫
丸亀市から徳島空港へ行くには予讃線で高松駅まで戻り、そこから徳島駅行き高速バスを利用、途中で徳島空港行きバスに乗換えです。
ところが高速バスの停留所は思ってもみなかった広い国道沿いで、運転手さんはバス会社が異なるので空港行きのバス停留所の場所を知らないと言う。
乗換え時間まで残り15分なのに、そのバス停が分からず、暗い中を10分くらい右往左往(汗々)。
焦りながら問い合わせた近くのラーメン屋の親切なおばちゃんがバス停を探してくれたのが乗車2分前。いつかこのおばちゃんにお礼をしなければ。
●教訓
ネット検索を利用して完璧な予定を立てたつもりでも、自分の思い込みに思わぬ落とし穴があるのではないかと疑ってみるのが妥当のようです。
………………
さてさて、徳島市周辺では鳴門海峡の渦潮が有名です。鳴門市の人口は少ないものの、せっかくなので1日目は鳴門市にも寄ってみることにしました。
◆鳴門市【人口 約5.5万人】
私としては、普通は人口6万人に満たないほどの街に行くことは特にありませんが、今回は徳島市のお隣で渦潮の市なので立ち寄ることにしました。
11時頃到着した「徳島阿波おどり空港」。まず徳島市と反対方向に8kmほど離れた鳴門駅に寄るために「鳴門公園」行きのバスを50分ほど待ち合わせ(待ち合わせ時間に空港内で食事)、乗車しておよそ15分で鳴門駅前へ。
鳴門駅には観光案内所のスペースはあったものの、駅舎が公民館を大きくしたような普通の建物で、駅周辺の街の様子も取り立てて特徴がなく街歩きで書けるような材料も見当たりません。
少し残念だった鳴門駅で30分ほど待って次のバスに再乗車、およそ20分で鳴門公園に到着です。
路線途中にある大塚国際美術館にも寄ってみたかったのですが、入場すれば2〜3時間はかかると思い、鳴門公園を優先しました。
今回は鳴門市へ行く、というよりも「渦潮の鳴門海峡へ行く」というのが正しく、大鳴門橋を鳴門側から見る…という目的もありました。5年ほど前に淡路島側から見たことがあるその橋を徳島県側から見る機会を待っていたのです。
徳島県にとっては「鳴門の渦潮」は「阿波踊り」との観光2枚看板と言えます。
あの海峡を跨いで建設されたというだけで価値がある大鳴門橋、時に速くなる潮流の中では難工事だったことでしょう。
「NHK・プロジェクトX」の番組で、本州と四国をつなぐ橋として最初に建造された「瀬戸大橋」の大工事の様子を見たことがあります。
それは常に揺れ動く海底に土台を据える工事がいかに大変か…との放送でしたが、時間が限定的とは言え潮の流れが速い鳴門海峡は他の場所よりも更に潮流が速いと思います。
そんなことを考えながら大鳴門橋を見ると、難工事であったろう様子を思い浮かべてしまいます。私が訪れた時間は大潮発生まで数時間もあったので渦潮を見ることは出来ませんでしたが、20分ほど目の前の海原などを楽しめました。
鳴門の渦潮の名称に惹かれて訪れる人も多いのでしょう、200台ほど入れそうな鳴門公園の駐車場には他県ナンバーの車が半分くらいあったようで、1月初旬にも拘わらず、うららかな日和に誘われたのか70〜80台が停まっていました。
そして鳴門公園から徳島駅までの直行バスを利用して徳島市へ。
その乗車時間およそ1時間、最初の10分ほど車窓から見えるのは海や漁港で、海がない佐賀市民にとっては新鮮な景色です。
◆徳島市【人口 約25.5万人】
徳島市には陽が傾きかけた午後4時半頃に到着、駅前のバスセンターを降りての第1印象は「おっ!結構 都会的!」
四国4県の県庁所在地の中では最も人口が少ないので、街としては大したことはないだろう…と勝手に思っていたのが覆されました。
他の3市と比べて(駅前だけに限定すると)街として最も纏まった形に見えます。高松駅前の近代的な様相とも異なる、いわゆる「地方を代表する街」の典型的な姿のようで、人口30数万人と聞いても疑わないような佇まいがあります。
駅の建物そのものは大きくないものの、隣接する18階建てのホテルや周辺のショッピングモール、駅前広場から見る大通りにはかなり背が高いシュロ並木があり、好印象を与えます。
今回宿泊したホテルは徳島駅の目の前。そこは見た目も施設内容も良く、9階には天然温泉大浴場もあり、料金から考えるとかなりコスパが高くて、前年9月に宿泊した水戸市のホテルに勝るとも劣らない居心地を提供してくれました。
そのホテルのホールと言うか、宴会場のような部屋の名称が「BIZAN」となっていて、翌朝の食事会場になっていました。
「ビザン?」とは何のこと、旧国名で備前ならあるけど…分からないまま何気なくホテルのパンフレットを見ると「眉山」と書いてあります。
それは徳島市を一望出来る山の名称で高さ290mのまさに自然の展望台、ロープウエイで山頂まで登れると書いてあります。
翌日の徳島市内歩きで、当然のように登ることにしました。
また徳島市に関しては、以前から「川面を活かしたイベント」などが市民に憩いを与えているという情報があり、今回の街歩き中にでもそこの場所を確認しようと思っていました。
その船着き場を市街地図で探してみると、ホテルからはシンプル過ぎするくらい近所にあって、何だか拍子抜けするほどでした。
さて翌日、午前中は徳島市内を散策です。
前日確認したその船着き場は、本当に良い具合にホテルから眉山に向かう途中にあり、コンクリートで囲まれてはいたものの、楽しめそうなエリアです。
そしてその川は吉野川の支流と思われますが、まだ9時前だったためか周辺の店舗も冬の日差しに誘われて、やっとシャッターを開けるような何だかゆったりした時間が流れていました。
令和3年10月に水戸市と前橋市を訪れ、令和3年末までに訪問していない県庁所在地は徳島市と那覇市の残り2都市でした。
12月頃から令和4年当初にかけてコロナ感染者の数もかなり落ち着いていたので、残った2都市のうち、まずは1月早々に徳島市を訪れることに。(その1週間後から、感染者が急激に増加したのには驚きましたが。)
佐賀から四国へ行くには飛行機利用が便利だったので、今回も福岡空港から徳島空港往復を予約。1日目の出発時間は10時頃で丁度良い時間でしたが、翌日の帰りは適当な時間に航空便が無く、徳島空港から夜の8時頃出発の便になって、帰宅が随分遅くなったのは仕方ない。
実は今回の徳島市への訪問は、私にとって新年から予期しないハプニングが2回も起こり、近年になく大慌ての事態を経験する羽目になってしまいました。
1、 ≪往路≫
当日、福岡空港行き高速バス・乗車予定時間の便が運休ということがバス停で待っている時に判明。
一瞬中止を考えるも、費用も予定もすべて消滅するので急遽自分の車で高速道を飛ばして空港へ。出発20分前に空港到着、ギリギリの出発8分前に冷や汗搭乗でした。
2、 ≪復路≫
丸亀市から徳島空港へ行くには予讃線で高松駅まで戻り、そこから徳島駅行き高速バスを利用、途中で徳島空港行きバスに乗換えです。
ところが高速バスの停留所は思ってもみなかった広い国道沿いで、運転手さんはバス会社が異なるので空港行きのバス停留所の場所を知らないと言う。
乗換え時間まで残り15分なのに、そのバス停が分からず、暗い中を10分くらい右往左往(汗々)。
焦りながら問い合わせた近くのラーメン屋の親切なおばちゃんがバス停を探してくれたのが乗車2分前。いつかこのおばちゃんにお礼をしなければ。
●教訓
ネット検索を利用して完璧な予定を立てたつもりでも、自分の思い込みに思わぬ落とし穴があるのではないかと疑ってみるのが妥当のようです。
………………
さてさて、徳島市周辺では鳴門海峡の渦潮が有名です。鳴門市の人口は少ないものの、せっかくなので1日目は鳴門市にも寄ってみることにしました。
◆鳴門市【人口 約5.5万人】
私としては、普通は人口6万人に満たないほどの街に行くことは特にありませんが、今回は徳島市のお隣で渦潮の市なので立ち寄ることにしました。
11時頃到着した「徳島阿波おどり空港」。まず徳島市と反対方向に8kmほど離れた鳴門駅に寄るために「鳴門公園」行きのバスを50分ほど待ち合わせ(待ち合わせ時間に空港内で食事)、乗車しておよそ15分で鳴門駅前へ。
鳴門駅には観光案内所のスペースはあったものの、駅舎が公民館を大きくしたような普通の建物で、駅周辺の街の様子も取り立てて特徴がなく街歩きで書けるような材料も見当たりません。
少し残念だった鳴門駅で30分ほど待って次のバスに再乗車、およそ20分で鳴門公園に到着です。
路線途中にある大塚国際美術館にも寄ってみたかったのですが、入場すれば2〜3時間はかかると思い、鳴門公園を優先しました。
今回は鳴門市へ行く、というよりも「渦潮の鳴門海峡へ行く」というのが正しく、大鳴門橋を鳴門側から見る…という目的もありました。5年ほど前に淡路島側から見たことがあるその橋を徳島県側から見る機会を待っていたのです。
徳島県にとっては「鳴門の渦潮」は「阿波踊り」との観光2枚看板と言えます。
あの海峡を跨いで建設されたというだけで価値がある大鳴門橋、時に速くなる潮流の中では難工事だったことでしょう。
「NHK・プロジェクトX」の番組で、本州と四国をつなぐ橋として最初に建造された「瀬戸大橋」の大工事の様子を見たことがあります。
それは常に揺れ動く海底に土台を据える工事がいかに大変か…との放送でしたが、時間が限定的とは言え潮の流れが速い鳴門海峡は他の場所よりも更に潮流が速いと思います。
そんなことを考えながら大鳴門橋を見ると、難工事であったろう様子を思い浮かべてしまいます。私が訪れた時間は大潮発生まで数時間もあったので渦潮を見ることは出来ませんでしたが、20分ほど目の前の海原などを楽しめました。
鳴門の渦潮の名称に惹かれて訪れる人も多いのでしょう、200台ほど入れそうな鳴門公園の駐車場には他県ナンバーの車が半分くらいあったようで、1月初旬にも拘わらず、うららかな日和に誘われたのか70〜80台が停まっていました。
そして鳴門公園から徳島駅までの直行バスを利用して徳島市へ。
その乗車時間およそ1時間、最初の10分ほど車窓から見えるのは海や漁港で、海がない佐賀市民にとっては新鮮な景色です。
◆徳島市【人口 約25.5万人】
徳島市には陽が傾きかけた午後4時半頃に到着、駅前のバスセンターを降りての第1印象は「おっ!結構 都会的!」
四国4県の県庁所在地の中では最も人口が少ないので、街としては大したことはないだろう…と勝手に思っていたのが覆されました。
他の3市と比べて(駅前だけに限定すると)街として最も纏まった形に見えます。高松駅前の近代的な様相とも異なる、いわゆる「地方を代表する街」の典型的な姿のようで、人口30数万人と聞いても疑わないような佇まいがあります。
駅の建物そのものは大きくないものの、隣接する18階建てのホテルや周辺のショッピングモール、駅前広場から見る大通りにはかなり背が高いシュロ並木があり、好印象を与えます。
今回宿泊したホテルは徳島駅の目の前。そこは見た目も施設内容も良く、9階には天然温泉大浴場もあり、料金から考えるとかなりコスパが高くて、前年9月に宿泊した水戸市のホテルに勝るとも劣らない居心地を提供してくれました。
そのホテルのホールと言うか、宴会場のような部屋の名称が「BIZAN」となっていて、翌朝の食事会場になっていました。
「ビザン?」とは何のこと、旧国名で備前ならあるけど…分からないまま何気なくホテルのパンフレットを見ると「眉山」と書いてあります。
それは徳島市を一望出来る山の名称で高さ290mのまさに自然の展望台、ロープウエイで山頂まで登れると書いてあります。
翌日の徳島市内歩きで、当然のように登ることにしました。
また徳島市に関しては、以前から「川面を活かしたイベント」などが市民に憩いを与えているという情報があり、今回の街歩き中にでもそこの場所を確認しようと思っていました。
その船着き場を市街地図で探してみると、ホテルからはシンプル過ぎするくらい近所にあって、何だか拍子抜けするほどでした。
さて翌日、午前中は徳島市内を散策です。
前日確認したその船着き場は、本当に良い具合にホテルから眉山に向かう途中にあり、コンクリートで囲まれてはいたものの、楽しめそうなエリアです。
そしてその川は吉野川の支流と思われますが、まだ9時前だったためか周辺の店舗も冬の日差しに誘われて、やっとシャッターを開けるような何だかゆったりした時間が流れていました。
作品名:「ほんのちょこっと街ある記」 25/鳴門、徳島、丸亀 作家名:上野忠司