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酔生夢死の趣意

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6.酒の魚



 ファン・ミン・ホンさんは、ベトナムからやってきた留学生の女性だ。

 ショートにまとめた髪、まん丸くて愛くるしい顔、これまた猫のようなまん丸い目に、鼻筋がすらっと通り、その下に大きめの唇。大学の構内を歩けば、誰もが振り向くような美人。その上とても勉強家で、来日して数カ月で、片言ではあるが日本語での日常会話を問題なくこなすようになっていた。

 ある日、時間に余裕ができたので、学部内で飲みに行こうかという話が持ち上がった。僕らと留学生との間も結構打ち解けてきた。とはいえ、まだまだ壁があるので、この際、お酒の力を借りてさらに親睦を深めようじゃないかという提案だ。まあ、実はそう見せ掛けて、ただ単にみんなで飲んで騒いで暴れようという魂胆なのだが。
 僕は断ろうと思ったのだが、すかさず主催者に止められた。なんでも、男女の数が合わないらしい。そんなのでどうでもいいと思うが、すっかり合コン気分の主催者は譲れないそうだ。僕はため息をつきながらしかたなく参加を表明した。
 一方、もともと生真面目な留学生たちは、ほとんどがすぐさま参加を表明していた。もしかしたら、ここで断るとその後の留学生活に支障をきたすんじゃないか、という懸念も頭に入っていたかもしれない。しかし、とにかく頭数はそろった。すかさずフットワークの軽いやつが、大客をコスパ良くもてなす居酒屋に予約を入れる。

 その後、僕たちは店にたどり着き、各々が席に座り出した。お調子者が「男女交互で座ってくださーい」なんて指示している。あんなやつらと一緒になって、お祭り騒ぎをする義理はない。要はこの会を成立さえさせればいい。留学生が日本で思い出を作る作業を、ちょっと手伝うだけ。そう言い聞かせて、下座の一番端に座る。調子のいいやつらのノリに巻き込まれるくらいなら、注文の取り次ぎに徹するほうがまだましだと思ったから。

 そうして、半ばすねながら、みんなの注文をまとめて店員に伝える。人心地ついておしぼりの袋を開いたとき、隣の席にいて話しかけてきたのが、ホンさんだった。

「こんばンは」
「……あ、追加の注文、あった?」

私は隣の彼女に対しても、事務的な対応に終止することにした。ホンさんは留学生の中でも掛け値なしの美人だ。どうせ、すぐに主催者たちのほうへと行ってしまうだろう。話をしたくないと言えばうそになるが、メイン級の女優に脇役は下手に絡まないほうがいい。すると、少しムッとしたホンさんから意外な言葉が返ってきた。

「ワタシ、あなたとお話がしたイです」
「…………」

その言葉にまごついていたら、頼んだものが運ばれてきた。僕らはそれらをみんなに受け渡すのに手一杯になってしまう。

 全員に注文が行き渡り、乾杯の音頭が取られる。僕は次々と襲いかかってくる追加注文を処理し、ホンさんは何度もやって来る席替えの要請を交わし続ける。そんな中、僕らはたわいもない会話をぽつぽつとし始めた。

 僕は普段こういう会にやって来るメンバーではないこと。主催者たちにあまりいい感情を持ってないこと。将来は海外で日本語教師の職に付きたいこと。でも、話すのが苦手なんでちょっと自信がないこと……。
 ホンさんも、僕にいろんな事を話してくれた。
 お父さんが奇術師をしているということ。将来は奇術師を継げと言われていること。それが嫌で勉強して大学に入り、こうして日本にやって来たこと……。

 次第に、僕らの周囲には強固なバリアを張っているかのようになった。もうホンさんの席を変えようとするものはいない。僕らはひたすら話し続けながら、追加の注文をさばき続ける。

 その話の途中、ホンさんは突然、すっと僕と距離を近づけた。ふいに香ってくるいい匂い。それととともに、「ちょっと見テ」という声が聞こえる。

 ホンさんの手の中には、お酒が注いである透明な小さいグラスがあった。そして、その底近くに一匹、小さい魚がパクパクと口を開きながらたゆたっていた。

「!?」

僕はびっくりして、もう一度よく杯をのぞき込む。確かに生きている魚がゆらゆらと酒中を泳いでいる。

「どウ? すごイでしょ? コれが本当の酒のさカな」

ホンさんは今日一のすてきな笑顔をすると、くぴっとその杯をあおって空にしてしまった。僕はぽかんとした後、思わず声を出して笑ってしまう。そうしたら、ホンさんも笑ってた。

 それからも僕らは、いつまでも、いつまでも、二人で笑い続けていた。


 そんなことがあってから数カ月。
 僕とホンさんは、意気投合し付き合うことになった。だが、ホンさんは留学期間を終えてしまったので、本国に帰らなければならない。そんな中、僕は先日、ベトナム国内の日本語学校の教師の職に内定した。仕事ぶりが問題ないようであれば、僕らはベトナムで晴れて一緒になる予定だ。

 あのとき僕に見せてくれた魚は、彼女の数少ない奇術のレパートリーだったそうだ。一発芸を披露するために用意しておいたものらしい。タネは簡単。杯に水と魚を入れ、そこに透明な薄いアクリル板で仕切りをする。その上にお酒を注げば出来上がり。僕は、ホンさんがいきなり近づいてきたことや魚に驚いて、その杯がお店のものじゃなく、ホンさんのものだと気付かなかったんだ。

 でも、実は僕以上に、彼女自身がその手品に驚いていた。あれだけ大嫌いな手品で、意中の人が笑ってくれた。手品ってすごいんだ。そう思い、手品をちゃんとやってみようという考えになった。母国に返ったら、お父さんの下で本格的に修行に励むつもりだそうだ。

 僕も、すてきな彼女ができたことで、人と話すことに自信がついた。そして、日本語学校の教師という職業にチャレンジしてみようと考え、無事、内定というところまでこぎつけた。

 「酒の魚」という幻影は、確実に僕ら二人のその背中を押してくれた。僕らはきっとこれからもいろいろなものを目にするだろう。けれど、あれほど僕ら二人を動かしてくれたものは、恐らくないかもしれないなって、彼女の横顔を見ながら思った。
作品名:酔生夢死の趣意 作家名:六色塔