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酔生夢死の趣意

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2.白衣高血圧



 久しぶりに支社に出張に来ていた。

 九州のとある県に建てられているこの場所は、とてもへんぴな場所にあるため、行き帰りに時間がかかる地だ。そのため、用事がある者は急ぎでもない限り、一泊してから本社に戻るのが恒例になっていた。
 今回、私もその例に漏れず、駅前でホテルを予約してから訪問する。そして、今回のプロジェクトの主任である佐々木くんに会い、製品の開発状況や試作品などを見せてもらった。

 佐々木くんは品行方正で仕事ができる上に、奥さんと子どもを愛する美男子ときている。大の酒好きという点はプラスにもマイナスにもなるが、少なくとも私は自身も酒好きなので、この点も好印象を持っている。それに、20代で主任という地位にいるぐらいだから、十分、信用に値する男だろう。そんな彼が、今回、見事われわれの期待にこたえ、製品の試作品開発というという素晴らしい仕事を成し遂げてくれたのだった。

「よくやってくれた。さあ、ねぎらいの宴といこうじゃないか」

 あと少しで定時というところで、佐々木くんの肩をたたいて目配せをする。いつもの店で、今日も痛飲しようというわけだ。しかし、私のそのサインを見て、彼は申しわけなさそうに答える。

「……それが、実はこないだの健康診断で、血圧が高いって言われちゃって。今、酒を控えてるんです」

 その話を聞いて思わず考え込んでしまう。佐々木くんが飲めないのはものすごく残念だが、かといって今日の宴を取り止めにするのも難しい。彼だけでなく、その部下や開発に携わった関係者も十分にねぎらいたい。それに、ここだけの話、私自身もこの宴を楽しみにしてきているのだ。よくよく考えれば、佐々木くんだって、飲まなくても食べることはできるだろう。私は入り組んだ事情を整理した結果、飲みの席を決行することに決めたのだった。

 店までの道、隣を歩く佐々木くんは、悔しそうに健康診断の様子を話し始める。

 彼いわく、病院で血圧が高いと言われてしまったそうだが、正確に言うと、もう少し話は込み入っていた。どうも彼は白衣を着た人に血圧を測ってもらうと、普段より値が高く出る体質らしい。要するに、病院という場所で、看護師さんに手を取られて血圧を測定されると、緊張で異様に高い数値が出てしまったらしいのだ。

 そんな話を聞いているうちに私たちは店に着く。みんな、思い思いの席につき、おしぼりをもらう。次々とアルコール類が頼まれていく中、佐々木くんは顔をしかめてウーロン茶を頼んでいた。

 彼の酒好きはよっぽどなので、自分だけが飲めないこの状況がつらいのだろう。その苦しい胸中を周囲━━主に隣席の私に吐露し始める。

「普通は何の問題もないんです。家で測ったら、本当に普通の値なんです」

せつせつと語る佐々木くんは、お預けされた犬のような目で、たった今、置かれた私のビールをじっと見つめてくる。その視線は、本当に痛いくらい突き刺さるが、分けてやるわけにもいかない。お酒を控えるよう医師に言われている以上、こればかりは飲兵衛同士でもどうしようもない。

「白衣の雰囲気とか、ああいうのが、本当、駄目なんすよ」

気持ちはよく分かる。確かにああいった場所の雰囲気は独特だ。その独特の場で悪い結果が出てしまえば、大好きなものを止められてしまう。彼にとってみたら、病院とは飲酒免許取得試験場のようなものなのだ。恐らく、その場の雰囲気に飲まれ、試験官のような立場の看護師さんにも飲まれ、緊張で普段の力が発揮できなかったために、今、肝心のお酒がこうして飲めなくなっているのだろう。

 思えば、学生のときもそうだった。本番に強い子と弱い子がいた。実力は確かなのに、おなかが痛くなって試験どころではなくなってしまう子、舞い上がってしまって本来の実力が発揮できない子。だが、そういう子たちは、自分がそういう人間であるとちゃんと自覚して、目標校よりさらに上の学力を身に付けたり、滑り止めの学校を用意したりしていたのだ。要するに、彼ら、彼女らにとっては、そういうところも試験の一部だったのだ。

 つまるところ、佐々木くんは妻や娘たちに白衣を着てもらって、耐性をつけておけば良かったんじゃないかと思う。可能な限り白色に慣れていたら、今ごろはおいしいお酒が飲めていたんじゃないだろうか。
 そんなことを言おうと思ったが、あまりに悔しそうなこの若人を見ていると、なかなかそれも切り出せない。今、そんなくだらない提案をしたら、本当に恨まれてしまいそうだ。

「服部さん、聞いてますか。ナースの人、もう無理っす。僕もう、一生、飲めな……Zzz」

 ドレッシングを控えた薄味の大根サラダを頬張りながら、まだぼやいていたかと思ったら、ついにはこの体たらく。確か以前に飲んだときも、泣いてから眠ってしまっていた。こりゃ、飲んでも飲まなくても同じだなと、彼には申し訳ないが思ってしまう。

 実は私も本番に弱い。白衣に対して苦手意識はまだないが、明日はわが身だなと自分に言い聞かせる。そして、泣きながら眠る彼に気付かぬよう、そっとおかわりの日本酒を頼んだのだった。


作品名:酔生夢死の趣意 作家名:六色塔