端数報告6
バカらしいにもほどがある。〈1948:帝銀事件GHQ実験説〉は、〈1947:ロズウェル事件の円盤をエリア51で米軍が研究している話〉と何も変わらない。セーチョーが『黒い霧』に書いた時点では完全にそうだったのが、後の者らにお湯で茹でられ脂を抜かれてただのクニャクニャになったのをポン酢なんかつけられて現代人は食わされてるのだ。
おれは定食を食べながらその結論に達したが、まだわからないこともあった。『黒い霧』。このギトギトのトリ皮はGHQの陰謀論に終始して、平沢にはろくに触れていなかったのだ。セーチョーは、
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私は、ここで再び平沢被告論を書くつもりはない。以前に「小説・帝銀事件」を書いて、そのことはすでに云い尽したことだし、面倒な捜査内容や裁判経過をいちいちここに記録する根気もないのである。(略)
アフェリエイト:日本の黒い霧
と書いていてその通り、平沢がなぜ犯人となったかという話はこの本にない。
だから結局、おれがいちばん知りたいことがわからず終わる。しかしそれでも、よく言われる〈証拠はひとつもなく、自白だけで有罪となった〉というのはどうやら嘘らしいと感じた。平沢の犯行を示す証拠はたくさんあるようなのだけど、セーチョーのような人間が「そんなのは証拠と言えない、それも証拠と言えない」と言い張って認めていない。だから〈ひとつもない〉ことになってしまっているだけで、実はかなり強力な証拠がいくつもあるらしいのがなんとなく見える。
うーん、どういうことだろうな。と思ったが、結局おれは、またこいつも棚に上げる。わかり始めたマイ人間革命を誰かに伝えたい気持ちがなくはなかったがまだPCすら持ってなかったし、帝銀事件なんてものはしょせん古い事件でしかない。
そうも思った。そんなところに、
アフェリエイト:それでもボクはやってない。
この映画が評判になる。おれが見るのが2008年初め。テレビ放映されてだったが、しかし見て、
「けっ、全部嘘じゃねえか。どうせこんなこったろうと思ったけどよ」
と思った。世ではみんな騙されて、「推定無罪の原則は絶対だ」なんていう嘘を疑わずに信じ込んでる。わかってないのにわかった気になり、それを大声で言うことで自分が誰より偉い人間になったつもりになったりしている。
それで自分の革命を為し遂げた気になっちゃっている。そんなやつらを横目に見ながら、おれはどんどんそういうものが嫌いになってく自分を感じた。
アフェリエイト:清水潔殺人犯はそこにいる
まあこういう話を聞けば警察はひどいと思うしそのバスの運転手さんは気の毒だと思うけれどもそれはそれ、これはこれだ。恋に恋して恋気分というものだ。事件はケース・バイ・ケースであり、ひとつひとつの事件は分けて見なければならない。「あの事件は冤罪だったのだからこの事件の被告人も無実なのだ」という論法を操る者に頷いてはならない。
そう考えるようになる。そして結局またやっぱり、『マイノリティ・リポート』だった。〈女子高校コンクリート詰め殺人事件〉の主犯格がまた監禁の罪を犯したというニュースが流れたのもその頃だが、それを聞いて特に思った。
あの映画では「計画殺人は4日前に予知されるが衝動殺人は30分前」なんてことを言い、その設定がまたいいかげんなのだけれども〈コンクリ詰め〉はどうなるんだ。女の子が拉致されたのは死の40日前だぞ。その日から、最期のときまで恐ろしい目に遭わされ続ける。
ライターオイルを足にかけられ火をつけられたりしたという。彼女の死はいつ予知されるんだ。大体そもそも、予知されるのか。連中は最後まで明確な殺意を持つわけでなく、毎日いたぶってるうちに息をしなくなったのであり、だからこれは殺人でなく、傷害致死なわけでもなく、女の子が勝手に死んだ事件なのだと人権論者は当時に吠えた。少年達は無実なのだ。無実なのだと。何も悪いことしてないじゃないか。ええ、そうでしょう。そうでしょうがと。
あれは〈殺意のない殺人〉だが、『マイノリ』は明確な殺意をプレコグは予知するとした。その設定であの殺しは予知できるのか。できるとして、トム・クルーズのナレーション通り、すべてをチャラにして無条件に釈放なのか。
「何人かは警察の監視下に置かれた」と言ってあれは終わるけど、ちゃんと監視できるのか。どうせ人権がどうとか言っておざなりなことになるんじゃないのか。
画像:マイノリティリポート釈放・監視下 アフェリエイト:マイノリティ・リポート
そう思った。「あの世界ではそんな犯罪はそもそも起きない」とトム・クルーズとスピルバーグは言うかもしれない。いいや、起こるさとおれは思った。そいつらはバカなのだから、最初は強 姦したいだけで女の子を道で襲う。〈A〉に向かってBだかCだかDだかが「こいつを飼うことにしましょうよ」と言うから彼女を飼うことにする。
その時点では殺そうとは考えてない。そもそも何も考えてない。でも殺すしかないことに何日かして気づくけれど、「方法は後で考えよう。別に急ぐことでもないし」。
それはそういうやつらだった。たぶん、おれが思うのに、『マイノリ』のワシントンならそいつらが次に考えるのは、
「うまくやれば予知なんかひっかからずに済むだろう」
だろうな、と考えて、
画像:貴方と私の獄中結婚表紙
https://novelist.jp/92180.html
画像:バレずに済めばいいことだもの表紙
https://novelist.jp/92098.html
こんな短篇を旧いワープロで書くことになる。しかしどうせ新人賞に送ったってダメだろう。そう考えて手元に置くことになる。
それが2008年で、その翌年、ゼロ年代最後の年の2009年におれのほんとのマイ・レボリューションが起こるのだが、それについては次の回で。