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錆びた時計とした約束


 
阿久津「ソフィーはあなたのことをfossil、化石だと言った。ようやく意味がわかりました。あなたは今も、1984年のままだ」
 
画像:小栗旬空疎な国を見せつけて アフェリエイト:罪の声映画版
 
と『罪の声』の映画版で小栗旬演じる主人公の阿久津は言う。1984年3月、グリ森事件が始まった頃に中学を卒業したおれはその時、『装甲騎兵ボトムズ』に出てくるrobot、〈ストライクドッグ〉のプラモを作っていた。ひょっとして、おれはあの頃のままなのだろうか。
 
アフェリエイト:ストライクドッグ
 
1984年におれは初版で出たばかりの笹本祐一『妖精作戦』を読み、清水義範の『魔獣学園』を読み、菊地秀行の〈トレジャーハンター八頭大〉シリーズや〈吸血鬼ハンターD〉シリーズを読み、加納一朗の〈是馬・荒馬〉シリーズなど読んでいた。それから平井和正の〈アダルト・ウルフガイ〉シリーズを読んで、
「これがアダルトというものなのか」
と思っていた。新谷かおる『エリア88』のバンバラ篇を胸を熱くして読んでたし、『きまぐれオレンジロード』とか『ハイスクール奇面組』なんていうのも読んでいた。ひょっとして、おれはあの頃のおれのままなんにも変わってないのだろうか。
 
人間は1984年のままであってはいけないのか。としても大きなお世話であり、小栗旬や星野源に偉そうな口を利かれたくない。おれが知ってる1984年は『ターミネーター』の時代だった。日本に来ておれが見るのは翌年春だが、ターミネーターの時代だった。核戦争で21世紀は来ないんじゃないかと思われていた。
 
代わりに来るのは『北斗の拳』のような未来で、Gジャンの袖を落としたワイルドなやつらがモヒカン刈りでバイクに乗ってぎゃははと笑う。そこでは子供がピラミッドを造る奴隷にされている。
 
画像:世界征服は可能か?26-27ページ北斗の拳後半
画像:世界征服は可能か?表紙
 
これだ。未来はこのようなものになると思われていた。それがおれが知っている1984年だ。
 
 
ピラミッドを造るために子供を奴隷にする人間は悪人だ。子供の未来を奪っている。
 
 
というのはわかりやすく、つい納得させられてしまう。『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』も1984年の映画で、変な教団が子を奴隷にし、あまつさえ、儀式のいけにえにまでしていた。許せん、なんというやつらだ――というのは画にしてわかりやすく、つい納得させられてしまう。あまり、
 
 
   「荒唐無稽で幼稚な話に騙されている」
 
 
と感じる者はいないし、『北斗の拳』や『インディ・ジョーンズ』『リーサルウェポン4』といったものはこれでいいものでもある。
 
でも子供をスパルタ式の塾に通わせムチ打つように勉強さすのと何が違うと言うのだろう。いい学校に進学していい会社に就職さすのが子供に未来を与えること。だから違うという価値観を植え付けられて子が育ち、結果として1984年のままのおれに向かって、
 
 
「空疎な国を見せつけて、何か変わりましたか? 犯罪という形で社会に一矢報いて、何が残りましたか。日本はあなたの望む国になったんですか」
「あなたは今も、1984年のままだ。あなたがしたことは、子供達の運命を変えただけです。あなたは3人の子供に罪を背負わせた」
「青木組に捕まって娘は死にました! 息子は、35年間、地を這うような人生を送りました。あなたが、子供達の未来を壊したんです、あなたが! そんなものは、正義じゃない」
「俊也さんから伝言を預かりました。『私はあなたのようにはならない。この先、何があっても、誰かを恨んでも、社会に不満を抱いても、決してあなたのようにはならない!』」
 
「俺の声が犯罪に使われることに抵抗はなかったの。伯父さん達は、青酸ソーダを入れたお菓子をバラ撒いた。許されることやと思うた?」
「それが、お母さんの望みやったん? そんとき、俺のことは考えた? お父さんのことは? 俺は、このテープを見つけて、苦しんだね。今だって苦しいで。これから先も、俺が、お母さんやない俺が! この声の罪を背負っていくことになるんやで。それがほんまに、お母さんの望みやったん?」
 
 
なんてことを口で言うのが社会人のあるべき姿。正しく立派でカッコいい、という考えの人間が出来る。ソフィーはあなたのことをfossil、化石だと言った。ようやく意味がわかりました。あなたは今も、1984年のままだと言って勝ち誇る人間が出来る。原作にないセリフであり、小栗旬をカッコよく見せるために足されたセリフだ。だから長い。1984年の何を知ってるつもりか知らんが、知ったつもりで偉そうに言う。
 
人間をそんな生き物に変えることは悪でないのか。それはレプリカントであり、タイレルの姪の記憶を植え付けられたレイチェルと同じだ。デッカードもレプリカントで、自分ではそれを知らないから逃げるだけの相手の背中を撃つことができる。それが正義の行いのつもりで。
 
ハリソン・フォードは10年後、無実の罪を着せられて逃げる男の役を演じた。いい気なもんだ、とも思うが、あれはおもしろいからいい。最近の映画はどうもつまらん。この元旦にケーブルテレビで『ターミネーター ニュー・フェイト』をやったの見たけどおもしろくなかった。
 
アフェリエイト:ターミネーター ニュー・フェイト
 
つまらない。おもしろくもなんともない。何が悪いんだろうな、と考えながら見ていたが、終わったところで結局思った。「嘘臭いんだな、何もかもが」と。
 
『ターミネーター ニュー・フェイト』。話は1984年のままだ。『2』も『3』もそうだったが、まず未来からハダカのふたりがやって来て、服と武器を手に入れる。うち一方が標的を襲い、もう一方が救けに入ってカーチェイスの末になんとか振り切って逃げる。
 
その後ヒロインが警察などに囚われの身になったところをまたターミネーターが襲い、救出してまた逃げる。で、ヒロインが人類を救う戦士となる覚悟を決めるドラマがあって最後の対決へ。
 
という流れはこれまでとまったく同じだ。いいのか、1984年のままで。と見ながら考えてしまった。そもそもこれに関して言えば、男女の愛の話として描く第1作が結局いちばんおもしろい。シンプルな展開とたたみかける演出で見る者の心をつかみ、飽きさせない。
 
『2』はいろいろスケールアップしていて確かにおもしろいが、それはいろいろスケールアップしているからで、かなり嘘臭くもなってる。しかしそこを母親の愛の話とすることによって乗り切っている。子を想う母の心が本物なので、敵があんなに嘘臭くても嘘臭いと感じないのだ。
 
『3』でふたたび男女の愛の話となるが、〈サラ・コナーの物語〉ではなくなってしまったために、アーノルド・シュワルツェネッガーが若いふたりを無理にくっつけ、
「永遠の愛を誓え」
と迫るような感じになってる。どうも評判悪いようだが、おれは割と好きである。負け犬のジョン・コナーはおれを見てるようでもあったし、そこにグラサンの筋肉おやじが女の子を捕まえてきて、
作品名:端数報告6 作家名:島田信之